この家に通うようになって暫く経った頃、城之内が、ふと思い立ってその部屋の事を問いかけると、モクバはさらりと答えを返した。
「剛三郎の奴が、気に入らない人間を閉じ込めてたって言われてるんだぜ。」
「………誰が言ってんだよ?」
「メイドとか。」
自分とかな。と、心の中でモクバに返して、城之内はその部屋のドアを眺めた。
他の部屋同様に、綺麗に磨き立てられたドアだけれど、確かにドアノブは鍵が掛けられていて動かないし、重たそうなドアはぴくりとも動かない。
そうなれば、開かずの間と言われているのもおかしくないけれど、鍵の管理がちゃんとされてないだけじゃないのか、と思わなくもない。
きっと、部屋数は沢山あるからと言って、鍵を探させるのが面倒な家主が放っているに違いないと、城之内は思った。
「そんな事実があったのかよ?」
モクバはそれを信じているのか、単におもしろがっているだけなのかよくわからないが、とても自信ありげな状況だ。だからこそ、とりあえず確認はしておくべきだろうかと、城之内はそう問い掛けた。
「剛三郎は気分屋だったから、メイドが入れ替わるのも早かったし、やめますって言っていなくなるわけでもなかったからさ。どうだったかって言われると、ちょっとわかんない。」
「でも、あってもおかしくないなぁって、思うってことか。」
城之内の意見に振り替えるなら、海馬が気に入らない人間を童実野埠頭に沈めていても驚かない。という感じだろうか。奴ならやりかねないな。という評価だ。
「うん。」
でもまぁ、開かずの間なんて、学校にもよくある話だし、これだけ広い家なら、あってもおかしくないだろうと、城之内は思う。ちょっと嫌な感じの謂れだけれど、多分、後でとって付けた理由に違いない。
「でも、夜に、この部屋から人が出てくるのを見たって言うメイドもいるんだぜ。」
「……え?」
モクバの言葉にぎくりとして、城之内はその表情を伺った。
もしかしたら、暗い所が嫌いな自分を驚かせようとしているだけかもしれないとも思える。モクバは、確かに分別のついた子供だけれど、小学生であるには変わらないし、兄をからかうなんてもってのほかだからか、城之内をからかって遊ぶ事がないわけでもない。
「白い服で、青白〜い顔をしてるんだってさ。」
「まじで?」
「俺は見てないけど、メイドは何度か見てるらしいぜ。」
モクバは軽くそう言って、すたすたと歩き始め、城之内は慌ててその後を追い掛けた。
「見間違いじゃねぇのか?」
その部屋は、城之内がこの家に泊めてもらう時に使わせてもらっている客間の、隣になる。
今まで、その部屋から人が出てくるのを見た事がなかったから、前を通ったついでに理由を聞いただけだったのだが、まさか、そんな由来があるのなら、聞くのではなかったと思う。
だって、今日はここに泊まる事になっていて、この話を聞いた後に帰るとか部屋を変えてくれとか言い出したら、お化けが怖いんだって自分で言っているようなものじゃないか。
「多分そうだと思うけど…………」
そう呟いて振り返ったモクバは、城之内が青い顔をしているのを見て、思わず吹き出していた。
「まさか、怖いのかよ、城之内ぃ。」
「んなわけあるかよ!」
小学生に、そうです、お化けが怖いんです、なんて事も言えず、城之内は虚勢を張ってそう答えたが、モクバにそれが通じるわけもなかった。
何と言っても、相手は海馬モクバ。かなり語呂の悪い名前は置いておいて、海馬コーポレーションの副社長である。海千山千のオヤジども相手に、必死になって会社経営を勉強中の彼は、高校生の一人や二人、手玉に取るのは朝飯前だ。
まして、相手は城之内。何もかもが表情に出る彼を読み違える事など、平時のモクバには有り得ない事だった。
「そう言えば、DEATH-Tでもキングダムでも、気絶してたよな、城之内。」
記憶を辿ってそう指摘したモクバに、城之内はため息をついて肩を落とした。
海馬ランドでの一連の事は、諸々のメディアを使って公開されていたし、モクバはその場にいたのだから、見ていないわけもない。けれど、まさか、仲間たちでも見ていなかった、デュエリストキングダムでの気絶まで見られているとは思ってもみなかった。
「なんで、知ってんだよ。」
「バーチャルシミュレータボックス作ってるのがどこか、知ってるだろ?」
「……データも取ってんのかよ?」
そう言えば、バトルシティで海馬がいち早くラーのカードの力を知る事ができたのは、自社のシステムを使っての事だと言っていた。出場者の全ての所持カードをスキャンさせたのだと言うし、そんな人間が率いる会社が作ったものが、データをこっそり収集していたっておかしくはない。
「まぁ……その辺は……兄サマもちょっと……だけど……」
端切れの悪い事を言うモクバを見て、城之内は彼は彼なりに、兄の行動に言いたい事もあるのだな、と、少し驚いた。
端から見ていると、モクバは兄にべったりで全てに於いて兄の行動を容認しているように見えたのだが、色々と目に入るものが増えれば、思う事も増えてくるという事かもしれない。
「でも別に、それで悪さしようなんて考えてるわけじゃないからな! 不正がないかとか、チェックする意味もあるんだぞ。」
それだけじゃないんだけど、という意味がありありとわかる事を言い、モクバはハッとしたように城之内を見上げる。
「城之内、やっぱり怖かったんだな。」
モクバから見れば、城之内は背も高くて喧嘩も強いし、とても、お化けや暗闇が怖いなんて言うようには見えないのだが、でも、そう聞いてしまうと、納得できてしまうところも不思議だった。
「……人間、苦手なものの一つや二つあった方が可愛げがあるってもんなの。」
苦し紛れの言い訳をすれば、モクバは少しそれについて考え込むように口を噤み、それから暫くして小さく頷いた。
「そうかも。」
きっと、自分の兄の事を考えているのだろうな、と思いながら、あれ程、『可愛げ』から遠い人間はいまいと、城之内はこそりと思った。
夜10時を回って、小学生らしく早々に眠らせたモクバと別れて、いつもの部屋に通された城之内は、窓に寄って、そっと隣の部屋の様子を伺った。
今まで、何度かこの部屋に泊まらせてもらっている城之内は、隣に人の気配なんて感じた事はないし、もちろん、明かりがついているのも見た事がない。
ただそれは、自分以外の客がこの家にいるのを見た事がないだけの事で、隣が誰も立ち入らない部屋だから、という認識があったわけじゃない。
まして、誰かが閉じ込められていたかもしれないなんて話を聞くと、絶対何かいるんだという気になってくる。
ぶるぶると頭を振って、城之内はベッドに潜り込んだ。
以前だったら、窓を開けてベランダに出て、隣を覗き込むくらいしたかもしれない。だけど、覗き込んだそこに何かいたらどうするんだと思うと、窓を開ける事すら怖くなる。
「……聞くんじゃなかった……」
隣が気になって、なかなか睡魔は訪れてこない。明日も新聞配達に行かなくてはいけないし、早く寝るに越した事はないのだが、それすらもうまく行かない。
気を張り詰めて、隣に気配がないかと必死に伺ってしまう。そうなれば、体は緊張して眠ることからどんどん掛け離れていく。
暫く、せわしなく部屋の中を眺めていた城之内が、がばりと頭の上までベッドカバーをかぶった時、廊下を歩く足音が聞こえてきた。
この時間、海馬邸のメイドたちは殆どが自室に引き払い、呼び出しをしなければ、廊下を歩く事はない。
外が騒がしければ、客も眠れないだろうという配慮と、次の朝も早くから仕事に就く自分達の為の行動なのだが、それ故に、廊下を歩く足音は城之内を驚かせるに足りるものだった。
息を詰めて、その足音の行く先を追っていた城之内は、それがすぐそこで止まった事に気付いた。
もしかして、自分を気遣って、モクバが降りてきたんだろうかと期待した城之内は、体を起こし、それでもそれが違う人であったらばと思い、シーツをかぶってドアの方へ足を向けた。
止まった足音の後に続くと期待したドアを叩く音は聞こえず、耳を済ました城之内は、ドアの鍵を開ける音に気付いた。
すぐそこで聞こえる、鍵を開ける音。普通客間には、ドアに鍵は掛けられていない。ならば、ドアが開いたのは、隣に違いない。
城之内は息を飲んで、ドアにピタリとくっついて隣へ聞き耳をたてた。
鍵の開く音に続いて、ドアの閉まる音が聞こえ、微かに足音が聞こえた。そして、窓の方を伺えば、隣の部屋に明かりが着いたと思えるだけの薄明かりが見える。
「……なんで……」
よく考えれば、幽霊がドアの鍵を開ける事も、部屋の電気をつける事もないのだろうが、頭からそうと信じている城之内には、そこまでの考えが回らない。
やっぱり、隣には何かいるのだと思った城之内は、ガタガタと震えながら、ドアの鍵を開け、そろそろとドアを開けると、廊下を伺い、そこに何もいないのを確認すると、勢いをつけてドアを飛び出し、廊下の端の階段に向かって走り出した。
廊下を駆け抜け、階段を二階分駆け上がった城之内は、更に廊下を走って、この屋敷で一番立派な部屋のドアを叩いた。
「海馬! 海馬!!」
この時間に帰っているという保証もない人間ではあるが、助けを求める相手はそれ以外にいないだろうと、何の迷いもなく城之内は部屋の中へ声をかける。
「いねぇのかよ!」
ドンドンと暫くドアを叩いていた城之内は、ここまでうるさくすればすぐに返るはずの反応がない事に、小さくため息をついて、廊下を見回し、ずるずるとその場に座り込んだ。
「何処行ってんだよ……」
当人が聞いたら、呆れたような顔をするに違いない事を呟いて、城之内は頭から被ったシーツをしっかりと体に巻き付けて、ドアにもたれて大きくため息をついた。
部屋の中に入った直後に起きた、廊下の騒がしさに気付いて、彼は微かに首を傾げて入ってきたドアに足を向け、ドアを開けて廊下の様子を伺った。
「………?」
廊下の奥に、白くひらひらと揺れるものが消えていくのが見えた。
それを見て、そう言えば、この家にも怪談なんてものがあったな、と、彼は思い出し、そこから連想される人間を思い起こして、その部屋を出た。
夜中近くに帰ってくる場合、彼は素直に自室に戻るのだが、半端な時間に家に戻る時、彼は一度この部屋へ寄る事にしていた。
弟のモクバが寝入る頃、というのが、その半端な時間に当るのだが、それは、モクバが自分の帰りに気付いて、起き出してこないようにという気遣いと、何もない部屋で、暫くぼんやりしたいという、両方の狙いがあった。
客間の一つの鍵を手に入れたのは、随分前の事で、この家の主人が彼でなかった頃の話だ。
自室として与えられている部屋にいても、始終監視されていることを、彼は気付いていた。だから、こっそりとこの部屋の鍵を盗んで、ただぼんやりする為だけにこの部屋を占領した。
メイドの幾人かはそれに気付いていたようで、海馬邸の怪談ができたのはその頃だ。
それを聞いた家の主は、何を馬鹿なと切り捨て、それでも、部屋のドアを開けようなどという事はしなかった。
それは、主人の性格を読んでいた、メイドたちの勝ち、という事になる。
家の主人が変わった後も、その話は消える事なく、その噂を作ったメイドたちではなく、別のメイドたちに依って、真意とは別の所で怪談は残ってしまったが、当然彼がそれを止める事はなかった。
ゆっくりとした足取りで、白い布の消えた後を追い掛けながら、彼は小さく笑みをもらした。
最近になって、何度か泊まっていくようになった彼は、多分、今日になって初めてその話を聞いたのだろう。あの、恐がりの彼が、それを聞いた後に、隣の部屋に人が来た事に怯えないわけがない。
モクバに助けを求めた彼が、二人で降りて来たら、何と言ってやろうかと、海馬は考える。
だが、ゆったりと歩いて階段を上がっている間にも、誰かが上から降りてくる事はなかった。
モクバは、あの話の本当の所を知らないが、それを楽しんでいる事を、海馬は知っていた。ならば、城之内が駆け込めば、必ず降りてくるだろうと思った。それなのに、そうではない事が不思議になる。
まさか、目的地も決めず、ただ怯えて飛び出しただけなのかと、半ば呆れた気分で階段を上がり切った海馬は、その廊下の先に、白い塊がある事に気付き、その場所に驚いた。
廊下のほぼ中央、海馬の自室の前に、その白い塊は転がっていた。
わずかに早足になってそこへ辿り着いた彼は、白いシーツの塊の端からちらりと見える金色の髪で、それが誰なのか、判断を間違っていなかった事を確認する。
だが、それならば何故、これはここにいるのだろうか。とも思う。
しかも、怯えて飛び出したのだろうというのは、想像に易いのだが、どうやらそれはドアの前で眠っているらしい。
「おい……」
廊下に片膝をついて、肩と思わしき場所を掴んで声を掛けても、彼は起きる様子を見せず、海馬は小さくため息をついた。
城之内が部屋を飛び出してから、海馬がここへ辿り着く間に掛かっている時間など、10分もないはずだった。幾ら何でも、二つ上の階まで辿り着くのにそれほどの時間が掛かる事などない。
それなのに、城之内は今ここで寝ている。
一体、それはどういう事なのかと、海馬は事態が読み切れず、それが頭から被っているシーツを少しずらした。
もしかしたら、これは全然別の人間なのではないかと思ったのだ。
もしそうだったなら、それはそれで問題のある事態なのだが、海馬自身、状況に些か動揺しているらしく、そこまで頭は回らない。
だが、できる限りそっとずらしたシーツから覗いたのは、安心したように寝こけている城之内の顔で、そのお気楽具合にため息がもれる。
「………何なのだ、貴様は。」
どう考えても、ここに助けを求めてくるような性格はしていないはずの人間が、ここで安心したように眠っている。
さっぱりわからないまでも、それをどこか楽しく感じる自分がいる事に驚き、海馬はその体を抱き上げて、ドアを開けた。
抱き上げられた城之内は、うにゅうにゅと、わけのわからない声をもらしたが、目を開ける事なく、呑気に眠っている。
これも、なかなか、悪くはない。
微かに彼は、笑みを浮かべた。
ぱかり、と目を開けた城之内は、見慣れないベッドにいる事に気付いて、体を起こして辺りを伺った。
馬鹿みたいに豪華な天蓋付きの広いベッド。どう見ても、客間ではないそこは、今までに見た事のない部屋だった。
「………どこだよ…」
そう呟いて、ベッドを降り、城之内は目に入ったドアを開けて、その先にあった風景に固まった。
「起きたか。」
声を掛けて来たのは、すっかり身支度を整えた、この家の主人だった。
ならば、自分が寝ていたのは、彼の寝室。どうして、こういう事になっているのかと、必死に頭を働かせた城之内は、昨夜、ここへ助けを求めに来てからの記憶がない事に気付いた。
部屋の主はいなくて、それでもここなら大丈夫だと安心して、ちょっとだけ気が抜けて、その次の記憶が今さっきだ。
自分が、そこへ助けを求めた事も、今考えれば驚きだが、どうしてそこで眠れたんだと、城之内には昨夜の自分がさっぱりわからなかった。
それでももっとわからないのは、自分はベッドで寝ていて、海馬がそこにいるという事実。
自分が寝ていたのはドアの前で、この部屋に入るには、自分をどけなくてはならなかったのは明白だ。ならば、どうしてこういう状況になったのかは、多分、一つ。
「………運んでくれたのか?」
恐る恐る問いかければ、鼻で笑うように、意地の悪い笑みを浮かべた海馬が、固まっている城之内を眺めていた。
「ドアが塞がっていて、邪魔だったのでな。」
ならば、廊下の端に蹴り除けておけばいいようなものを、わざわざ運んでくれたのならば、口で言う程に邪険にされていたわけではないとわかって、城之内は言葉を失う。
「しかし、廊下ででも眠れるとは、呆れたものだ。」
「わ……」
悪かったな!と叫ぼうとして、それでも、ベッドで眠らせてくれた事を思い出し、城之内は口を噤む。
「あ………ありがと……」
海馬があのベッドで眠っていたかどうかは、城之内にはわからないが、もし、別の部屋に行かせてしまったのならば、それは申し訳ないし、そんな事をしないのであっても、城之内が寝ていたら、ベッドの半分は占領されたのだろうから、眠り難かったに違いない。
ならば、迷惑を掛けた事の謝罪と共に、礼を言わなければならないのは、人としての最低限の礼儀だ。
城之内のその言葉に、海馬は微かに目を見開いて驚きを示し、それでも、すぐににやりと笑ってみせた。
「どう致しまして。」
よもや、そんな反応が返るとは思っていなかった城之内は、どうにも恥ずかしくなり、顔を赤くして視線をあちこちへ飛ばし、時計の示す時間に気付いて、ハッと息をつめる。
「バイト! 邪魔したな、海馬!!」
叫んで、飛び出すように部屋を出て、廊下を走って昨夜飛び出して来た部屋へ向かいつつ、城之内は、ここまで動揺している自分がわからず、頭を掻きむしった。