背中に太陽の光を受けながら、そこに見える背中を眺めて、ぼんやりと考え事をするのは、最近の時間の過ごし方としては、ごくごく普通の事になってきた。
それは、こっちから何かを働きかけない限り動かないし、こっちから何かをしても動かない事もある。それでも、拒絶している様子は見えないから、それはそれでいいと思っていた。
そして、今日も今日とて、ぼんやり考え事に耽るのだ。
当人に向かってこんな事言ったら、きっと怒るだろうけど、家族になったら、大事にしてくれるなんて思ってたなら、それは、見通しが甘かったって事だろう。
自分の家族が優しかったからって、他の家族も優しいものだなんて思ったなら、そりゃ、考えが甘いってもんだ。本当の親だって、優しいだけじゃないのに、イカサマで手にいれた親が、優しいだけのわけないじゃないか。
俺は、直接、海馬剛三郎って人間に会った事がないから、誰かが語った事でしかその人を知る事はできないし、自分のイメージが偏ってないとも限らないけど、世間一般に知れてるその話をまとめてみたら、どう考えたって、子煩悩だったり、優しかったりするとは思えない。
孤児院を経営してた。それは、確かにいい人かもしれないと思えるかもしれないけど、自分の主催するチェス大会で、自分で優勝して得意げになってるような人間なんて、どう見たって嫌な奴だし。その孤児院で預かってた子供に勝負挑まれて、負けて本当に養子にしちまう人間なんて、更にあやしい。
その勝負だって、考えてみたら、あっさり負けたのもおかしいだろう。自分の大会で自分で勝っちまうような人間が、勝負にこだわってないわけがない。それを、イカサマしかけられても負けを認めたって言うんだから、裏で何か考えてるに違いないじゃないか。
もし、子供にもわかるようなイカサマに気付かないような人間だと思ってたなら、尚更見通しが甘かったってもんだし、そう思ってなかったなら、裏があるに違いないって気付いてもよかったはずだ。
自分が這い上がる為に、大人を使おうとしたくらいの頭があったなら、当然考える事だろう。それでもそれを切り捨てたってなら、甘かったって言うか、傲慢だったってことか。
前に、腹黒い人間は、腹黒い人間しか傍に置きたがらないって、何かで見た。自分が色々疑って掛かるから、真直ぐ裏のない人間は読み切れなくて、傍に置くと不安になるんだってさ。
もしそれが本当で、更に、人が言うみたいに、海馬剛三郎が腹黒い人間だったとしたら、ガキが自分にイカサマ持ちかけてまで這い上がろうとしてるって事に、これなら、自分の傍に置いてもいいだろうって思ったってことなんじゃないだろうか。
海馬剛三郎は、ガキの海馬が、自分と同類だって思ったんじゃないだろうか。だから、反論もしないで養子にした。自分の後を継がせるのに申し分ないと思ったから。自分と同類だと思った。そう、期待した。そして、自分の思うように海馬を教育した。
でも海馬は、そういう事は期待してなかったし、予測してなかった。今でも、海馬剛三郎を酷く嫌っている様子を見せるのは、多分、それを嫌だと思ってたってことだろう。
海馬は、自分と弟を引き取って、不自由ない生活を与えてくれる事を、期待してたに違いない。
海馬じゃなかった頃の海馬は、そうやって期待するくらいに、幸せな家族に囲まれてたんだろうなと思う。だから、その期待が裏切られたショックは大きかったろうと思う。小さな頃のこいつは、後々になって義理とは言えど、親を容赦なく追い詰めてしまえるくらいに、期待してたってことだろう。
家族なら、大切にしてくれる。優しくしてくれるって。新しい父親が、なくしてしまった父親と同じだと思ってたに違いない。そんなわけないのに。
でも、手酷く扱われた、って言って、恨んだり憎んだりするくらいに期待してた親だけど、他人だからって諦められる部分もあったんじゃないだろうか。やっぱりこれは、自分の父親とは違うって、他人だから仕方がないって、理由は作れたんじゃないだろうか。
俺なんて、他人じゃないから、どれもこれも、諦めつかねぇけど。海馬は、今じゃ、自分が父親を追い詰めて死なせてしまった事を、気にしているようには見えないけど、本当に気にしてないのかどうか、俺にはわからねぇし、俺の聞いた話は、モクバの目から見た話だから、こいつの気持ちが本当にどうかなんて、更にわからない。
でも、なんとなく、海馬剛三郎って人間の事をより悪く言ってるのは、モクバの方なんじゃねぇかって気もする。
大事な兄貴を酷く扱ってた人間だし、自分にもちっとも優しくない人間だったんだろうし、そいつが兄貴を奪ってったような感じもするだろうし。
モクバの言い分は、あくまでもモクバの主張で、大事な兄の行動を正当化したいって気持ちも大きいだろうと思う。だって、モクバの海馬への感情って、妄信に近いものがあるような気がするからな。
だからって別に、こいつが海馬剛三郎を恨んでなかったなんて事もないだろうけど、でも、どこかに、自業自得だって諦めたりする部分もあったかもしれない。
っつーか、そう思ってて欲しいってのが、俺のこいつに対する期待なんだろう。だって、こいつが、全部のきっかけは自分にあったのに、全部誰かのせいにするような人間であってほしくねぇんだ。
事がどんなに悪い方に向かったって、結局、それ選んだのは自分なんだって、わかってる人間であってほしいんだよ。そうじゃねぇと、俺が一番嫌いな、昔の俺みたいで、俺が、多分一生切り捨てられねぇ、親父みたいで、嫌なんだ。現状把握できてねぇ人間は。
誰かのせいになんて、したくないんだ。
背中に視線を受けながら仕事をするのが、最近あまり違和感を感じなくなってきたと思いつつ、さほど頭のいらない報告書のチェックをしながら、後ろでぼんやり何かを考えているらしい人間の事を考える。
城之内を傍に置くようになって、自分にはどうしてもできない事を、やすやすとやってのける姿を見て、自分にもできない事があるのだと、認められるようになった。
例えば、モクバが叫ぶようにして笑う事など、城之内といる姿を見るまでは、見た事もなかった。
笑った姿を見た事がなかったわけではないし、モクバだって笑うが、年相応に笑っている姿というのは、あまり見た事がなかったと思う。この家に来てからは、特に。
それが、先日も、城之内の押す車椅子の上で、肘掛けを必死に掴んで、大きな声で叫んでいた。叫んでいた内容といえば、『落ちる』とか『目が回る』とか、そんな事だったが、それはどう見ても、楽しんでいるものだった。車椅子に乗せられて、廊下を走り回っているだけで、だ。
自分は、あんな風に、モクバと遊んでやる事はできない。小さな頃はそうではなかったと思うが、今となっては、無理な話だ。何より、モクバが遠慮をする。
弟に遠慮される兄というのは、なかなか痛い現実だ。そう思うと、我がままを言ったり、他愛無い事で喚いたり笑ったりできる城之内の方が、良い兄の役をこなしているのではないかとさえ思う。
もし、自分があの男を選ばず、今を選んでいなかったとしたら、自分は、ああしてモクバと笑っていられただろうかと思う事も時折はある。それでも、自分がこれを選んだのだから、そんな風に、取り戻せもしない選択を後悔しても遅いのもわかっている。
あの時は、それが最善だと思っていた。どんな選択をした時でも、後から後悔しようと、その時は、それが最善だと思っていた。後悔もした。自分の甘さも認識した。振り返ってみれば、欠片も後悔がない事などない。どうしてそれを選んだのかと、自分で自分がわからないような選択をしている時もある。
それでも、仕方がない。選んだのは自分だ。人を巻き込んで、それでも選んだのは自分なのだから。誰かのせいにする事もできないし、したくもない。それでは、あまりに情けなさ過ぎるし、みっともない。
こうして、自分があまり賢くないとか、みっともないとか、馬鹿な事をしているとか、そんな事を自覚するようになったのも、最近の事だと思う。以前は、そういう自分が存在する事を認めるわけにはいかないと思っていた。そう教育されたせいもあるとは思う。
自分の非を認める事は負けだと、自分が無能であると考える事など正気の沙汰ではないと、謝る事などあってはならないとまで言われてきた。それは、それまでの生活とは正反対の感覚で、どれほどの違和感を感じたことか。それが、いつの間にか当然の事として身に付き、自分に間違いはないのだと、思うようになっていた。
積み重なった歪みが、自力で矯正しようもなくなったところで破壊され、それも、全て悪い事ではなかったような気にもなった頃、城之内は更にそれに変化を加えに現われたと言ってもいいだろう。
とにかく、真直ぐな人間だった。負けるのも恐れずに突っ込んでくる。それで負けても、それが終わりにはならない。自分の弱さも容認する。そして更に上を目指す。 己の非は躊躇わず認めて謝罪する。認めるから二度は同じ事をしない。それでも、他愛無い事は開き直る。
見た事もないくらいに一直線のその姿を見ていると、それが変わってしまう日が来ない事を願いたくなる。
こちらが、一直線だと感じているようには、城之内の内面は一直線ではないのだろうとも思う。それでも、奴がこのままであればいいと思う。俺の傍にいても、影響など受けるなと思う。
誰かが傍にいれば、その影響は少なからず受ける。モクバが城之内から受けている影響は、意外に多いのではないかと思う。俺にしても、幾らかの影響は受けているのだ、城之内が、そうでないとは言い切れない。
城之内が、剛三郎の影響を受けている俺の影響を受けるなど、おぞましくて考えたくもない。傲慢な城之内など、城之内ではないだろう。根拠のない自信は多大に持ち合わせている男だが、傲慢さとは無縁だ。
俺がそう思っているだけかもしれない。単なる期待なのかもしれない。それでも、俺は、そういう奴を望んでいる。俺の傍へ置く者として、あの真直ぐな男がいいと、思っている。
俺がこんな事を考えているなど、城之内は考えもしないだろう。口に出して言えば、奴は声をあげて驚くのだろう。
熱でもあるのか、などと言って。