お兄ちゃんの言い分



もっとちゃんと、自分の立場と向き合おうと、
あの日思った。
もっとちゃんと、自分の仕事をしようと思った。
その役目をくれた兄の本当の意図はわからなかったけど、
偽物の肩書きになんてしないように、頑張ろうと思った。
そうしたら、あの時みたいに、自分が何もできない事を
悔やまなくてもいいと思った。
 


 
「ふぅん……」
 あんまり興味がないような顔をして、城之内はそれだけの反応をくれた。
「つまんねぇ?」
「うん。」
 きっぱり返った肯定に、俺は盛大にため息をついて、城之内を見上げた。
「なんかさぁ、そこまでケタがでかいと、俺みたいな貧乏人には、さっぱり、想像もつかねぇんだよなぁ。」
 海馬コーポレーションって、どれくらい凄い会社なのよ?という、城之内の質問に答えていたのに、質問した当人は、すっかり飽きてしまったようで、俺はちょっと悲しくなった。
「城之内が、聞いたんじゃないか。」
「だから、俺は、簡単に答えてもらいたかったわけよ。」
 手元のグラスからコーヒーをストローで吸い上げてそれを空にすると、城之内はストローを加えたまま首を振る。ストローの先からちょっとだけ飛んだコーヒーの雫に気付いて、眉を顰めてみせると、城之内は苦笑を浮かべて一緒に運ばれて来た手ふきを手に取って、ちょいちょい、とそれを拭った。
 こういう姿を見てると、城之内がガキっぽいのか、兄サマが大人びてるのか、ちょっとわからなくなる。兄サマが、あんな風にストローをくわえてる姿なんて見た事ないし、手ふきでテーブルを拭く姿だって見た事ない。
 でも、二人は同じ高校生で、同じ学校に通ってて、同じクラスにいる。レベルは掛け離れてるけど、趣味も一緒で、一緒の部分を拾ったら、意外に多いのは確かなのに。
「簡単に?」
「そう。どれくらい支社があって、従業員がどれくらいで、収益はどれくらい。って程度でいいんだよ。まぁ、あとは、新入社員がどれくらいの給料もらえるか、とかな。」
 新入社員に支払える給料の額は、会社の業績に関わる事だから、全くの無経験で入って来た人間に払える額が高ければ高いだけ、会社は儲けてるって思えるものだと、城之内は説明してくれた。
 そういう答えを求めてた人間に、株価が幾らで、開発してる商品がどれくらいあって、なんて話したって、そりゃ楽しくないのはそうだな、と思った。
「同業者から、こういう質問されたら、さっきみたいな答えでもいいかもしんねぇけど、俺みたいな素人サンには、そんな答えの方がわかりやすいと思うぜ?」
「そっか……」
「特に、パーティーなんかで会う、社長婦人とか御令嬢なんて、顔顰めるぞ?」
「ありがと。」
 そう返すと、城之内は笑って俺の頭を撫でてくれた。こういうのも、最近の兄サマはしないから、自分が子供扱いされてるって事が、わかって、なんだか複雑だ。
「でも、そんなことまで、先に考えとくのか?」
「失敗したら困るだろ。」
 副社長も大変だな。なんて、城之内は感心したようにそう言う。でも、俺なんかより、社長の兄サマの方が、ずっと大変なんだって事、城之内はわかってるんだろうか。
 俺は子供だから、副社長ではあるけど、ちょっとくらい失敗したって、ごまかされてくれる大人の方が多い。本当は、それは屈辱的な事なのかもしれないけど、でも、俺にはまだ、それが有り難かった。
 でも、兄サマは、海馬コーポレーションの社長で、兄サマの失敗はそのまま会社の失敗ってことになる立場だ。兄サマがいなくなった海馬コーポレーションが倒れそうになったのもそのせい。
 あの時、俺は、副社長なのに何もできなかった。重役たちの行動を止める事もできなければ、兄サマの為に闘う事もできなかったし、鍵を奪って逃げるのが精々で、それすら、結局やり遂げられなかった。
 あの時、遊戯達が来てくれなかったら、海馬コーポレーションはペガサスのものになってて、俺も兄サマもこの世にはいなくなってたかもしれない。
 それもこれも、俺が、副社長だっていうのに、何の役にも立てなかったからだって、俺は思った。
 もし俺が、本当に副社長としてきちんと仕事をしていたら、兄サマがいなくなっても、その変わりを少しでも勤められたかもしれなかった。それなのに、俺は、家で兄サマの傍にいるのが精一杯で、それだって、結局何かをしてあげられたわけでもなかった。
 兄サマは、後から、俺がいたから戻ってこられたんだって言ってくれたけど、でも、俺は、それを喜んでるだけじゃ嫌だった。
 もっとちゃんと、兄サマがくれた仕事と役目を、ちゃんとしようと思った。もし今度、何かが起きたとしても、兄サマが安心していられるように、頑張ろうと思った。
 兄サマは、仕事に興味を持ち出した俺に、少し驚いたように見えたけど、でも、やっぱり、少し喜んでくれているようにも見えた。だから、もっと、兄サマの役に立つ為には何をしたらいいかと思って、経営の方に力を入れようと思った。
 兄サマは、社長職についてるけど、本当は、開発の方が向いてる。最近の海馬コーポレーションの新商品の半分くらいは、兄サマが手を加えていたり、作り上げたりしたものだ。開発に力を入れていると、経営も疎かにはできないから、兄サマは休む間もなくなる。だから、その手伝いをするのが、一番だと思った。
 株価の事とか、会社の経費の事とか、俺はそういう事を勉強するのは初めてだったから、色々と教えてくれる人間をつけてもらって、毎日勉強した。
 そうしたら、なんだかこれが楽しくて、最初は、兄サマの役に立たなくちゃ、って思ってたのが、俺も、海馬コーポレーションの為に頑張ろう。って気持ちになって来て、自分でもちょっと吃驚した。
 あの時は、兄サマが戻ってくる為に、海馬コーポレーションを守らなくちゃと思ってたけど、今は、俺の為だったり、従業員の為だったり、自分の会社に、凄く愛着が湧いて来たような気がする。
 この間、兄サマにそう言ったら、兄サマは昔の兄サマみたいに、凄く優しい顔で笑ってくれた。
「でも、お前がそんなに頑張ってたら、海馬も気が抜けねぇな。」
 城之内は、笑いながらそんな事を言って、テーブルの上のクッキーを口に放り込んだ。
「なんでだよ?俺がそんなに頼りないって事かよ。」
 俺が失敗しないか、気が気じゃないって事なのかと思って問いかければ、城之内は吹き出すように笑って、大きく手を振った。
「違うって。兄貴のプライドってやつだよ。」
 何の事かと思って城之内を見上げると、城之内は吹き出した時にクッキーがこぼれてないかと、辺りをちょっと見回して、それから俺の頭をぽん、ぽん、と軽く叩いた。
「兄貴としちゃさ、自分の弟が頑張ってんのに、自分だけたらたらしてるわけにはいかねぇ。って気持ちがあんの。お前が頑張ってんなら、俺はもっと頑張る。お兄ちゃんは、兄弟守ってやんなくちゃいけねぇからな。」
 城之内も、妹がいるんだって聞いてる。ペガサスの大会で手に入れた賞金は、妹の手術に使ったって。兄サマがあそこに来たのは、俺を助ける為で、そういうところは、兄サマと城之内は似てたってこと。だったら、城之内の言う事は、そんなに外れてる事じゃないかもしれない。
「それじゃ、兄サマは、俺に仕事を任せてくれる事なんてないって事か?」
 簡単な仕事なら、後を任せてくれるようになったけれど、でもやっぱり、決済の必要な仕事は、兄サマが最終的にチェックをしなくてはいけないし、その代わりはできないんだろうか。
「今すぐは無理じゃねぇの?」
 城之内は、さらっと答えをくれて、俺はちょっと落ち込んで俯いた。そりゃ、確かに、まだ俺は完璧じゃないし、勉強しなくちゃいけない事も沢山あるけど、でも、それなりにはやれてると思うのに。
「あいつだって、お前に無理させたくないと思ってると思うぜ?」
 付け足された言葉に俺は顔を上げて城之内を見た。兄サマよりも、何倍も表情が豊かな城之内は、俺の吃驚した顔ににやりと笑って、俺の頭をくしゃくしゃと掻き回す。
「お前、お兄ちゃんに甘えてもやれよ。やっぱさ、心配されるより、そっちのが嬉しいからな。」
 きっとあのお兄ちゃんは、頼られてないと、不安になるクチだぜ。なんて城之内は笑って言い、俺は素直にそれに頷いた。
 兄サマの事は、大好きで、信頼してる。兄サマに背中向けられて、置いていかれるのが一番怖いと今でも思ってる。でも、そう言うのは、兄サマには重荷なんじゃないかと思ってた。だから、俺は、兄サマに頼るのはやめようと思ってた。
 でも、もし、城之内の言う事が本当だったら、兄サマは、俺が我がままを言っても聞いてくれるだろうか。今度の日曜は、二人でどこかに出掛けたいなんて言っても、兄サマは頷いてくれるだろうか。
 そう思った時、ドアがノックされ、ドアの外から、いつものお知らせが聞こえた。
「んじゃ、帰るわ。」
 城之内はそう言って、脇に置いてあった薄っぺらい学生鞄を手に持って、ソファを立ち上がる。
「明日も来れるのか?」
 ドアへ向かう城之内の後について、見送りの為に廊下へ出る。城之内は、兄サマが会社を出たという連絡が来ると、家に帰る。今日は、珍しく兄サマの帰宅は10時よりも前。俺は、兄サマの言い付けで6時までしか仕事をしてはいけない事になっているから、城之内といられたのは3時間ちょっとだった。
 兄サマの代わりになるわけじゃないけど、俺は、城之内といるのはなんだか気に入ってる。城之内はやっぱり高校生で、バイトだけど働いてるから、学校の友達とも違うし、俺の事をガキ扱いするから、会社の秘書たちとも違う。多分、そういうところが、気に入ってるんだと思う。
「明日は、8時までバイトだから、ちょっと無理かな…」
「じゃ、明後日だな。」
「おう。」
 玄関では、執事とその辺りにいたメイドが見送りをする。俺や兄サマだと、殆どの使用人が顔を見せるけど、最初それをやったら、城之内が、もう二度と来ないとか言い出したので、やめさせた。
「お邪魔しました。」
 城之内は、ペコリと頭を下げてそう言ってから、俺に手を振る。
「じゃ、またな。モクバ。」
「うん、またな。城之内。」
 だから俺も手を振って、城之内が執事が開けたドアを潜っていくのを見送る。
 そのまま、暫くここにいれば、兄サマが帰ってくる。一緒に夕食を食べたりはできないけど、お帰りなさいはちゃんと言う。それから少しだけ話をして、俺は寝るけど、兄サマは、家に帰ってからも少し仕事をしてるみたいだ。執事は、兄サマの性分だから、って言うけど、もう少し、休んでほしいな。と思う。
「城之内さまは、次は何時おいでになられるのですか?」
 執事がそう問いかけるのは、それを迷惑に思ってるのじゃなくて、どこか楽しみにしてるからだって事を、最近、気付いた。執事だけじゃなくて、メイドたちも、なんだか楽しそうで、俺は、城之内がうちに来るようになってから、同じ菓子が出されたのを見た事がない。
 兄サマと俺だけのお茶の時間なんて、数種類のローテーションでお茶請けが回ってたような気がするのに、この違いは何故かと思ったら、単に、兄サマの好みに合わせてあるだけだったってのが、理由だった。
 俺は甘いお菓子は好きだし、城之内も好きみたいだから、俺と城之内だと、始めてみるような物も出て来て、城之内の質問にメイドが答えるのを、俺もしっかり聞いてるくらいだ。
「明後日だって。」
「左様でございますか。」
 城之内が来る日は、夕食は一人分多く必要になるし、俺と兄サマの時とは、ちょっとメニューも変わる。城之内は、何を食べても美味しそうな顔をしてるし、シェフが実は凄く喜んでるんだって話も、メイドから聞いた。兄サマは、美味しいと思ってもあまり顔に出ないから、そういうところ、損してると思う。
 ちょっとした事を話している間に、兄サマの乗った車が門を通ったと知らせが入り、使用人がホールに集まりはじめる。この家の主人を迎える大事な仕事だから、皆ちゃんと身だしなみをチェックして、きちんと並んで、姿勢を整える。
 それを背中で感じながら、ドアが開けられるのを待ち、いつものように、姿勢の良い兄サマが姿を見せると、俺はそこへ駆け寄った。
「お帰りなさい。兄サマ。」
「ただいま、モクバ。」
 兄サマにとって、使用人は壁と同じだから、彼等に声を掛けたりはしないけれど、でも、兄サマはちゃんと彼等の様子だって見てる。使用人たちもそれをちゃんとわかってるから、兄サマを迎える言葉を口にして、兄サマが玄関ホールを抜けていくと、それぞれの持ち場へ戻っていく。俺は、この時間が、結構好きだったりする。なんか、ちょっとだけ、暖かいような感じがするから。
「ねぇ、兄サマ。」
「なんだ?」
 城之内が帰り際に話していた事を思い出して、俺は兄サマの腕を取って声を掛けた。
「今度の日曜日、二人でどこかへ遊びに行こう。」
 仕事が、今はそれほど忙しくない事も知ってる。忙しくないだけで、暇なわけじゃないのも知ってるけど、でももし、こんな我がままを兄サマが許してくれたらいいな、と思った。
「……次の日曜か……天気はあまり良くないのではなかったか?」
 思案するようにそう返されて、俺はちょっと驚いた。まさか、兄サマが週間天気なんて見てるとは思っていなかったのだ。それに、天気が良くないというのは、お断りの常套文句じゃないだろうか。
「土曜ならば、問題ないだろう。何処へ行く?」
 だから、俺は、その答えに吃驚して、兄サマを見上げた。まさか、こんなにあっさり了承の答えが来るとは思わなかった。土曜は、一般の社員は休みだから、仕事の大半はないけど、開発の人間とかは休みも定期で取らないから、そこへ顔を出す兄サマは、殆ど毎日仕事に出掛けてる。
「本当に、いいの?」
 あまりに簡単に運んだ事に吃驚して確認すると、兄サマはちょっと笑って、俺の頭を撫でてくれた。
「最近、頑張っているみたいだからな。」
 ご褒美だ。と兄サマは言い、俺は嬉しくなって兄サマに抱き着いた。
 城之内の言い分も、適当なごまかしじゃないんだって思って、俺は凄く嬉しくなった。明後日、城之内が来たら、自慢してやろう。
「お弁当もって行こうね、兄サマ!」
 きっと、城之内は吃驚するだろうけど、それから笑って、俺の言う通りだったろう、って、自慢するに違いない。
 兄サマと城之内は全然似てないけど、お兄ちゃんの言い分だけは、信じてもいいんだなって、俺は思った。





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