Special Report

みちのく国際ミステリー映画祭

キネマ旬報 2000年3月下旬号 No1304号

 

99年10月に行われた第3回みちのく国際ミステリー映画祭in盛岡、

この映画祭の新人監督奨励賞に主演映画『ある探偵の憂鬱』の矢城潤一監督がノミネート。

矢城監督と同行した大城英司、渾身のリポート。

 

 夏の終わり“みちのく国際ミステリー映画祭”のチラシを見て驚いた。主演映画「ある

探偵の憂鬱」(脚本・監督、矢城潤一)が、少し前にこの映画祭の新人監督コンペ(ミス

テリー映画新人監督奨励賞)に選ばれたことを聞いてはいたが、こんな大規模なものとは

思っていなかった。しかも他の3作品は「生きない」、「鮫肌男と桃尻女」、「ポルノスター」

といずれも公開され高く評価されている。

 これは行きたい、そう行くべきだ、いや行かなければ…ちょうどこの時期に重なった仕

事があり、はっきりしないスケジュールに苛々したが、1週間前には何とか行けるこにな

った。

 10月8日(金)、みちのく国際ミステリー映画祭の幕があいた。この日、矢城監督と

共に盛岡入り。盛大な歓迎を受け、ゲストとしてのスケジュールをこなし、オープニング

パーティで酔い、軽い記憶喪失になりながらようやく落ち着いて矢城監督、鯉渕氏(梟の

城のプロデューサー)と飲んでいた。

 オープニングセレモニーでの舞台挨拶は緊張した。表面上は平静を装いつつ「…今晩は。

…きっと…たぶん、ここにいらっしゃるほとんどの方が知らないであろうオオキエイジで

す。これを期に…」と明日の上映のことを話して終わった。会場は静かだったが、北方謙

三さんが大笑いしてくれて、救われた。

 さて、その飲み屋にしばらくして映画祭スタッフも加わり、映画祭の創立メンバーでも

あるM氏が言う、「大城さん、あれ、読みましたよ。『大城英司、バンクーバーを行く』(本

誌に隔号掲載)」と。思いがけない言葉が嬉しかった。自分としては、あの拙いレポート

を読んでくれた人は殆どいないのではないかと思っていた。

 矢城監督は映画祭招待が決まったとき「新人作品が足りないから選ばれたようなもので

す」と言っていた(謙遜もあるだろうが)。私も他の3作品は少し先を行っているように

思っていた。

 しかしその話をすると、M氏はとんでもないとばかりに、我が「ある探偵の憂鬱」は厳

正なる審査のうえのノミネートであり、本来は5作品のところ今回はそのレベルをクリア

ーしたのがこの4作品だったので、と言う。

 こちらに来るまではこの映画のお祭りを楽しもう、と思っていたのだが、盛岡入りして

8時間余りが経過したこの時点で、私の賞が取れるかも、いや“賞を取りたいモード”に

ギアが入ってしまった。

 10月9日(土)映画祭2日目

 爽やかな二日酔いで目覚めしっかりと朝食をとり、二日目のスケジュールをこなす。こ

の日は我々の作品も上映された。上映終了後、駆けつけてくれたこちらの友人たちと飲み、

食べ、またしても昼間から酔っ払い、深夜まで様々なアルコールを口にした私。この日の

シメは、無性に腹が減り近くのラーメン屋さんで、独りみそラーメンを食べた、美味しか

った。

 10月10日(日)映画祭3日目

 私にとっては最終日、昨夜あれだけ飲んだのに、朝食を沢山いただき(やはり、水、米、

味噌が美味いのだ)荷造りをしてチェックアウト。10時からの「鮫肌男と…」を観て、

昼食には盛岡名物、冷麺をいただく、これまた美味かった。

 私の盛岡滞在もあと数時間、ロビーで矢城監督と今回の周りの反応を話し合い時が過ぎ

ていき、タクシーが来て若いスタッフが駅まで送ってくれた。丁重に断ったのだが 荷物

を持ってくれ、改札まで見送ってもらい握手をして別れた。

 私は明日からの仕事のことを考えバックの中の台本を探しつつ、何番ホームなのか切符

を確認した。歩きながら、ふと振り返ると若いスタッフは大きく手を振っていた。私も手

を振ろうとすると、人波が私の視界を遮り、次の瞬間視界が開けたときには、その若いス

タッフの姿はなかった、しびれた。先程の力強い握手の感触がよみがえり胸が熱くなった。 

私は思った、この映画祭はずっと続いていくだろうと、そして日本映画は大丈夫な気がし

た。

 こうして私にとって2度目の映画祭、みちのく国際ミステリー映画祭は終わった。心残

りは最終日まで滞在できなかった事であるが、翌日(この日新人監督奨励賞が決まる)T

Vドラマのリハーサル中(ほとんど上の空)ポルノスターが賞を取ったことを、矢城監督

からの電話で知った。悔しかった、でも何故か今回は心が和んでいた。

 みちのく国際ミステリー映画祭。私はまた行きたい、いつになるか分からないが行きた

い。そう、行かなければ。こうなりゃ自分で撮るかぁ(冗談です)映画祭のスタッフの皆

さん、お疲れ様でした。そしてありがとう。



映画祭出発の数日前、矢城監督から電話があった。「決まった、決まりましたよ」私は

何のことか分からず「僕の宿のことだったら…」とトンチンカンな返事をした。「違いま

すよ、公開です、公開が決まったんです」と監督。

 4月29日(土)より、中野武蔵野ホールにてレイトロードショー。95年秋に脚本を

戴き、足掛け6年。実に長い道だった。よかった…本当によかった。

 私は映画が好きだ。映画好きの人間にとって映画祭とは、最高の空間であり、時間であ

る。「ある探偵の憂鬱」という映画が、私を2度も映画祭に連れて来てくれた。そのこと

に感謝し1人でも多くの人にこの映画を観てもらいたいと思う。それがこの映画に対する

恩返しだ。よぉーしチケット売るぞぉー、このフィルムはちょっと取っ付きにくいところ

もあるが、なかなかいい奴だと思う。そう、劇場に会いに来てやっていただけると、喜ぶ

と思う。読者の皆様「ある探偵の憂鬱」を何卒宜しくお願い致します。

                   

 大城英司