『ある探偵の憂鬱』上映日記

2000年7月31日より8月4日、長崎・新世界レイトロードショー

 

7月初旬、正式に長崎での上映が決まった。長崎は私の故郷ということもあり、完成前から長崎公開は一つの目標だった。地元FM長崎の栗原さん、清島さん(今回上映の責任者)にはすでにこの映画に主演する事を96年には話しており、祝福していただいた事を憶えている。

8月2日にはトークショーを行う事になり、地元の友人知人にDMを送り、自分のスケジュールの調整など慌しく時間が過ぎて行った。

 

8月2日(水)

午後長崎入り、小雨模様の天気、そう長崎は今日も雨だった。この日は新聞、タウン誌の取材、ラジオ番組の出演があり、6:30から1回目の上映、8:00からトークショー、8:45から2回目の上映がある。長崎といえばちゃんぽん。市内、中島川沿いの美味しいお店で昼食をとる予定だった…が、なんと臨時休業でいきなり出鼻をくじかれる。なにしろ矢城監督は長崎はおろか、九州初上陸なのである、ここは色々と長崎を楽しんでもらいたい…ところだったのだが。仕方なく近くの蕎麦屋(なぜ長崎で蕎麦を…)で食事を済ませ、FM長崎にむかった。スケジュールを消化し、6時過ぎには監督が市内を歩きたいということもあり、歩いて劇場に向かった。すでに劇場前には30人ほどが並んでいた。顔見知りが多く照れ臭い、並んでもらっているのが気の毒に思えた。更に控え室で取材があり、映画もスタートした。今日3度目の取材になるが、とにかく映画をよく観ている、つまり映画好きなのだ、こちらも嬉しくなる。この3度の取材はだいたい同じ事を聞かれたのだが、聞き手によってこちらの答え方が少しずつ違っていくのは一つの発見だった。

                 

                 中央、矢城監督と照れ気味の私

キネマ旬報友の会、他たくさんの方々から花束をいただき、トークショーがスタート。これまでのトークショーでもそうだったが、矢城監督はかなり面白い。涼しい顔をしてギャグを飛ばす、ボケる、つっこむ、といった具合で、この日の私は両親、親戚、更には中学高校の恩師まで来ている、もちろん友人達も…かなりあがってしまった。それにしてもほぼ満員で立ち見まで出ている。(上映前に今日は立ち見が出るかもしれませんよ、と監督に言ったが信じてもらえなかった)とにかく有難かった。

この上映は自分の個人的繋がりと、長崎出身であるということで周りの方が動いてくれ、公開が実現した、そう思っていたのだが、取材の時の話しやこの満員の状況から、これはこの作品の力なのだと思えてきた。そしてやはり映画ファンはどこにでもいるのだと思った。トークが終わり監督と私は退場、しかしロビーには友人やら親戚やらが待ち構えていた、しばしの談笑。すると、一般のお客さんまでが続々出てくる、私と監督はさながら結婚式の新郎新婦のようにすべてのお客さんを送り出す事になってしまった。その後近くのお店で打ち上げ、FMの清島さん、劇場支配人の山崎さん、長崎新聞社の佐崎さん、他スタッフの皆さんと祝杯をあげた。やはり、皆さんこの映画のことを愛してくれていた。私の故郷長崎でも『ある探偵の憂鬱』は堂々と自己主張して受け入れられていた。その事がとても嬉しく、このフィルムには本当に感謝感謝である。その後、長崎名物のひとつ『雲竜亭』の餃子をいただき、ホテルに帰り休んだ。

 

8月3日(木)

この日は私の母の実家がある、佐賀県、武雄温泉に行った。監督は明日には帰京するので少しでも九州を楽しんででもらいたかった。ゆっくりと温泉につかり夜は宴会、母はとにかく私のことを誉めまくる、私はこの親ばか加減にストップをかけようとしたが、世界で唯一特別な観方が出来る人なのだからと監督に言われ妙に納得してしまった。この母はこの映画の前売り券、50枚を僅か1日で売ってしまった、一直線な人である、私も多少その血をもらっている。その母にして息子の主演映画、内容はどうであれ、誉めまくりたかったのかもしれない。映画というのは人それぞれ色々な感じ方があり、その中でも両親は全く違う角度から観るのかもしれない。そういえば監督のご両親もこの映画をご覧になったそうだ。ただ、あまりいい感想はもらえなかったらしいが…翌日監督は初九州を満喫して帰京した。私は6日の日曜日までしばらくこちらでのんびりして帰京した。

 

今回もまたまたこの映画には楽しませてもらった。そして、今回のスタッフの皆様、観に来てくださった長崎の皆さん有難うございました。さてこの映画、10月20日には金沢グランド劇場で19:00から1回のみの上映が予定されている。この映画の音楽を担当した小幡氏によるライブが上映後行われる。私と監督も金沢に行く予定である。今から楽しみ