ある探偵の憂鬱』上映日記

2000年4月29日より5月19日、中野武蔵野ホールレイトロードショー

 

 3月3日(金)上映2ヶ月前

 長崎市内にある喫茶店でミルクティーを注文した。初主演映画『ある探偵の憂鬱』の長崎での上映。この打合せを地元ラジオ局で行うためだ。約束の時間までまだ少しあり、この店に入った。
ちょうどTVドラマの九州ロケでこちらに来ており、このロケ中に待望のチラシが出来あがった。監督から実家の方に送ってもらったそのチラシを見ながら、店の雰囲気にも手伝われ、涙が溢れてきた、これまでの事を思い出し…。自主配給、宣伝もすべて自分達でやり、このチラシも友人のデザイナーに頼み、さらに印刷も私の知人でかなり安くしてもらった。
素晴らしい出来映えのチラシにあらためて、デザイナーの宮野さんに感謝である。上映まで約2ヶ月、長崎でこれまでの事を思い出し、独り思いにふけった春の日だった。


 

 4月29日(土) 上映初日

 いよいよ初日だ、緊張するでもないのだが何か落ち着かない。上映前に舞台挨拶があるのだ。この日は知人の舞台(昼の部)を駒場アゴラ劇場(井の頭線、駒場東大前)に観に行った。自分の都合でこの日しか時間が取れない。ただ、芝居が終わって5時。ここから舞台挨拶までの4時間半何をするか…映画を観る気もせず、自宅まで帰ったところで直ぐ出なければいけないし。この沿線の東松原、ここには5年近く住んでいた事もあり馴染みの中華屋に行く事にする。久しぶりでご主人、奥さん共に歓迎してくれ、取敢えずビールと餃子を注文する。それから手羽先のから揚げ、紹興酒と進み、酔いもまわって来る。店の雰囲気は夕方5時から呑み続ける感じでもなく、ひとまず勘定を済ませ店を出る。
しかしまだ時間はたっぷりある、どうしよう、そうだぁ! 近くに住んでいた友人の事を思い出し、連絡をとる。奢りだったらいいよ、というわけで駅前の養老の滝に場所を移し、再び呑み始める。うまく表現できない妙な感じで呑んでも呑んでもどこか醒めている。久しぶりに会った友人と話も弾み、あっという間に時計の針は8時をまわっていた。
電車を乗り継ぎ、中野駅に着いたのは9時ちょっと前。劇場前には既にたくさんのお客さんが待っていた。友人知人もたくさん来ており、ちと照れ臭く…呑んでいて正解だった。

9時を少し回ったところで監督と私は支配人の酒井さんに連れられ、舞台そでにスタンバイ。監督に続き私も舞台中央に、監督は少し上がり気味で早口になっていた。不思議と隣がそうだと自分は落ち着くものである。数日前からどう挨拶しようか考えていた。9割の席が埋まっている、割と冷静に客席を見ることが出来た。
「こんばんは。大城英司です。えっーと、今日ここに来る電車の中で、舞台挨拶は上映の前が良いのか、後が良いのか、考えていました。前の場合、これから始まるまだ観ていない映画の監督、役者が出てきてもどう反応すれば良いのか?後の場合、その映画がつまらなかったとすれば、とても挨拶を聞く気にもならないような、自分だったら帰るだろうなと思うし…と、まぁ色々考えましたが結論は出ませんでした。
でも僕は初主演した映画がこの作品だった事を誇りに思ってます。

役者が自分の出た作品のことを、こんなふうに言うのはどうかとも考えた。よく有名な俳優さんが自分の出演した作品を絶賛しているコメント聞く。その作品を見て詰まらない駄作だった場合、そのコメントを残した俳優のセンスを疑いたくなる。さりとて自分の主演作品となると、消極的なコメントも監督はじめスタッフに失礼である。
そのような事を初日までうじうじ考えていた。

でもこれまでの映画祭での事などを考えると、この作品のエネルギーというか、生命力の強さを感じた。
役者人生にとって映画初主演というのは一生に一度。その1度がどんな作品にあたるか?
幸運にもその1度がこの作品だった。そしてこの作品に初主演として、参加できたことを心から誇りに思えた。迷っていた気持が、吹っ切れ、本当にそう思っているのだから、誰に否定されても、この思いだけは変わらないし、変えられない、そう思えた。

舞台挨拶を終え、劇場前で何をするでもなく終映を待った。この日は来ていただいたお客さんと初日の打ち上げを予定している。この劇場の中で皆が何を思い何を感じているのかまもなく判る。
終映の少し前に赤い帽子をかぶった、ぴあの出口調査隊が5,6人やってきた。
しばらくすると、初日のお客さんが出てきた。私と監督は知り合いの祝福?を受けながらひとまず、ぴあのアンケートに答えてもらうべく、説明をした。(2週間後のぴあ出口調査では第10位にランクされた)
その後打ち上げ会場に場所を移し、盛り上がった。総勢25人、仲間と映画の話をし酒を飲み楽しい時間だった。
矢城監督の師匠にあたる村橋監督(CAB,幸せになろうね)の隣に行き挨拶する。さっきの舞台挨拶の話になり、お褒めの言葉を頂いた。主演の在り方、覚悟など為になる話をたくさんしていただいた。それまでの自分は、主演の責任ということに関しては全く考えてなかった。更に村橋監督はこれからの3週間は、矢城監督と私にとって生涯忘れられない至福の時間になるだろうと。
こうして初日の打ち上げは閉店時間の朝5時まで続き、始発電車に乗ってそれぞれが帰っていった。終わり間際、喧嘩があった。私の事務所の先輩、草見潤平さんと、若い役者の卵、小山くん。殴り合いにはならなかったがとても素敵な真剣な喧嘩だった。二人の姿、特に小山くんの言葉に昔の自分を思い出し、何故か涙が出てきた。頑張れ小山!
帰りの電車のなか、さっきの事、やっと初日を迎えられたこと、監督の事を想い、人目もはばからず大泣きしてしまった。
明日は川上麻衣子さん(姉御)迎えてのトークショー。


  

 4月30日(土)トークショー
 

 上映後、川上麻衣子さんをゲストに迎え、監督、私とトークショーを行う。ビールを飲みながらラフな感じのトークショーを考えており、自分達だけ飲むのはお客さんに失礼だし…というわけで、サッポロビールの手島さん(不思議な縁で知り合った)にお願いし試飲缶を提供していただき、お客さんにも飲んでもらえることになった。

この日はこのビールを8:30分に劇場に搬入、クーラーボックスで冷やす作業を監督と二人でやった。ビールを冷やし終わる頃からお客さんが集まり出した。友人の顔も多く見られる、やはり川上効果は利いている。
9:50に川上さんが中野駅にタクシーで到着、監督、撮影の新妻氏、私の3人で出迎える。劇場近くのバーで打合せ、軽く飲みながら…サッポロビールの宣伝だけはわざとらしいがお願いした。

川上さんとは2ヶ月ほど前にTVドラマで夫婦を演じた。九州ロケだった現場では色々話をした。川上さんのお母さんが博多出身であるとか、あごだし(飛魚)スープがお気に入りだとか…、この時、私があごだしスープを買って帰る約束をした。
3月下旬、この映画のプレス試写があり、川上さんが来てくれる事になった。終了後、川上さん(以下姉御という)に感想を聞くと、「とてもよかった…」との事。私はここだとばかりにトークショーの件をお願いした、そしてギャラはこのあごだしスープで…私の矢継ぎ早な話で断るきっかけを失ったようでもあったが、スケジュールがあいていればOKという返事をいただき、この日を迎えることができた。



左から、姉御、私、矢城監督

10時40分近く、私の司会でトークショーがスタートした。しかしほとんどが私、しかもアップが多い映画である、緊張というか、裁判にかけられているようで(裁判にはかけられた事がないので、きっと被告人の心境はとはこんなものだろう)とても辛かった。監督は心なしか落ち着いているようであった。
平常心でない私は噛みっぱなしで散々な司会となり、後半は監督と姉御が進めていってくれた。姉御はやはり映画にこだわって行きたいと、映画に対する思いの丈をたくさん話してくれ、私の喋り以外は楽しく充実したトークショーになったと思う。終わってからも近くの飲み屋に場所を移しトークは続いた。今更ではあるが川上麻衣子という女優はとてもチャーミングで魅力的だと思った。また是非仕事したい…監督も同じ事を言っていた。
かさねて、姉御、有難うございました。
次回のトークショーは5月6日、高嶋政伸さん、青木伸輔くんを迎えて私がホスト役、この日の反省をもとにある作戦を考えた。しかしこれが後日、思いもよらない展開になってしまう。

撮影、新妻氏のホームページにて4/30のトークショーの模様をQuickTi
neムービーで観る事が出来ます。ただしダウンロードの時間を入れると3.40分
かかります。気長に待てる方はどうぞ。

ご覧になるには、
QuickTimeムービーという、アップルコンピュータ社製の
ムービー再生プログラムを手に入れる必要があります。 無償のものが、インター
ネットで配布されていますので
チャレンジしてみてください。
http://www.apple.co.jp/quicktime/download/index.html
 そして新妻さんのホームページ
http://www.linkclub.or.jp/~niizuma/


5月1日(月)

 かわさきFM、シネマストリートに、監督と私がゲスト出演。『ある探偵の憂鬱』について語った。地道な宣伝活動。しかし私は二日酔いで体調悪し…


5月3日(水)

 この日は個人的に私主催の飲み会をやった。監督にも出席してもらい、盛り上がる。
音楽の川崎真弘さん、そのプロデューサーの天翔さん(奥様)など。この川崎さんは原田眞人監督作品には必ず音楽として名前がある方、矢城監督とも原田監督の作品を通じ密な関係になっていったし、原田監督はこの映画のキーマンである。
さて、川崎さんも妙な感じが良いと言って下さり、まずは一安心。
3時を回った頃、解散しタクシーで帰宅。初日に村橋監督が言ってた様に、楽しい日々である、しかし、舞台と違って私と監督の場合、只、飲みに行ってるだけである。仕事と言うには強引過ぎる…でも楽しい、しばらく身を委ねる事にする。


5月6日(土)

 高嶋、青木、大城のトークショー。芸能人(私を除く)見ようと、やはり女性客が多い。
我々の関係は、TBS金曜ドラマ『君が人生の時』で共演した仲間であり、高嶋さんとは同級生、青木くんは少し歳は離れているものの、気が合いよく撮影の合間に馬鹿話をした関係だ。高嶋さんは大学時代自主映画を撮った事があり、子供の頃は映画少年だったと言う、さらにこの自主映画で借金を負う事になり、その返済のため芸能界に入ったというのだ。青木くんはどちらかというと映画の印象が強い。最近では、『メッセンジャー』に出演。デビュー作も映画である。
二人とも映画のトークショーにはぴったりのゲストだと思われる。

  

左から、高嶋さん、青木くん、酔ってる私

さて、たくさんのお客さんが入り、10時には青木くんがしばらくして高嶋さんが到着。3人で会うのは久しぶりである、私は前回の反省をもとにこの時点でかなりのアルコールを摂取していた。前回の川上麻衣子さんゲストの日は…というよりやはり自分が主演した映画の上映後、何食わぬ顔でトークショーの司会はシャイな?私にはできない。
ちなみに缶入り水割り250mlを5本飲み、同じくウーロンハイ350mlを1本飲んでいた。ということでかなり酔っており、上映終了後、トークショーのセッティングが完了し、舞台そでから私がハイテンションで登場し、前説のあと(前回の反省をもとに大量に飲んでます、ごめんなさい、と先に謝った)、お二人が登場。
しかし、この日記を書こうにも記憶が途切れていて…というよりほとんど覚えていないのである。
観に来てくれた方々の証言のよると、もともとでかい声にもかかわらず、時間が経つにつれ益々大きくなりうるさかった。明かに酔ってるのが分かり、そんな私を見て楽しかった。などなど…
残っている記憶ではせっかく高嶋さんがボケてくれているのに、かまわず突っ走った私の喋りやら、最前列の人が寝てた事、お客さんの帰りの時間(電車がなくなる人もいただろう)が気になり、しきりと時計を気にしていた事など。
最終的に、時間の関係で盛り上がっていたトークを無理やり終わらせてしまったのだが、今考えると、かなり乗って話してくれていた二人にもっと話してもらい、合間に電車の時間がある方は気にせず帰ってください、と、言えばよかった。
それにしてもフリートークは難しい…TVなどの司会をやってる方々が偉大に見えてきた。

終了後、例によって近くの飲み屋でフリートークを展開、青木くんも参加して盛り上がった。友人など合わせて10数人、この日も始発まで飲みつづけた、肝臓は大丈夫なのだろうか…残るイベントは12日の監督ナイト。


5月12日(金)

長崎俊一監督、佐々木浩久監督、そして矢城監督によるトークショー。私の出番は無くリラックスしてこのトークを鑑賞した。この日もお客様にはビールのサービス、そう、私がこのビールを冷やしたのである。
この3人の関係は『ナースコール』という映画。長崎監督、チーフ助監督に佐々木さん。そして矢城さんは助監督のセカンドだった。実は私もこの映画にトップの2シーンだけ出演している。

トークが始まった。シャイで無口な長崎監督の顔が赤い、どうやらお飲みになっているようだ。それでも長崎監督は、一言喋るとすぐテーブルにマイクを置いてしまう。度重なるゴトッという音に(マイクを置く音)客席から笑いが起こる。私も最後列でビールを片手に笑いながら拝見した。長崎監督の人柄の良さ、佐々木監督の積極的な喋り、そして矢城監督の淡々とした喋り、これらがうまく絡み合った楽しいトークだった。この日は昨年のみちのく国際ミステリー映画祭や、その後の盛岡での上映会でもお世話になった内澤さん(パワーある女史)が盛岡から駆けつけてくれた。

話はそれるが、この盛岡での上映会がきっかけで私のファンクラブが出来た。会長、高橋純也さん、事務、古川あゆみさん、会員、細矢有香さん。以上3名だがありがたいことでである、これからも頑張らねばと思う今日この頃。

さてこの日もそのまま近くの飲み屋に移動し、宴会が始まった。この日は監督ナイトということもあり顔見知りのスタッフが多く、話も弾んだ。しかし私は体調が今一つで、3時には失礼させてもらった。残すは千秋楽、大宴会を迎え撃つため体調を整えなければ…

 

5月19日(金)

いよいよ最終日、淋しい…あっという間の3週間だった。それにここまで動員が今一つ、月曜日あたりから電話攻撃をはじめ、今日はなんとかたくさんのお客さんが来てくれそうだ。

9時過ぎには多くの人が集まり始めた、電話作戦成功。この日は同業の先輩方が来てくれた、蛍雪次郎さん、中原丈雄さん、黒沼弘己さん。(ちゃかされて恐縮でした)さて劇場はほぼ満員となり、監督と私はホッとした、最後はやはり決めたかった。この日、私と監督は最後列で鑑賞した、数10メートル先のスクリーンには私の顔が大きく映っている。映画祭でも体験した事だが自意識過剰の私は、お客さんと一緒に観るのが少し照れ臭く、そして上映最終日に少し感傷的にこの映画を観た。

終わって例のように飲み屋に移動、もうすっかり顔なじみとなりいささか待遇もいいようだ。何しろ今日が千秋楽の打ち上げパーティーなのだ、総勢30人になった。監督の同級生、業界関係、私の友人達、デザイナーの宮野さんも来てくれた(ちなみに宮野さんは3回来てくれた)。まぁ飲み会に参加するというのは、この映画に多少の好意を持ってくれた方々でお褒めの言葉をたくさん頂いた。しかしあまりにも誉めすぎられると、人間とはおかしなもので少しずつ疑問が生まれてくる。そんな時間が過ぎ、(濡れ場の事で蛍さんからお叱りを受けた、でも後は大変よかったとの事)閉店時間の5時になった。店を出て少しは感傷的になるのかと思っていたが、どうも電車を逃して仕方なく朝まで飲んだ時のような、そんな雰囲気で、監督にはちゃんと挨拶したかったのだが、同級生の皆さんと「ラーメン食べて帰りまーす、お疲れ様でしたー」という具合。涙でも流しながら監督と抱擁し会う、劇的な展開を少しは予想していたのだが、そんな事もなく、自分も驚くほどクールに帰途についた。

こうして3週間のレイトショーが終わった。飲みつづけ、仲間と語り合い、楽しく、充実した3週間。しばらく肝臓を休ませる事にする、8月には長崎で上映を予定している。これは私がプロデューサー的仕事をする事になる、酒ばかり飲んでないでしっかりしなけば。

この場を借りてこの映画を観るため、劇場に足を運んでくださった皆様ありがとうございました。そして矢城監督、お疲れ様でした。