沖縄旅行記

 

 2005年1月8日(土)から2泊3日で念願の沖縄に行って来ました。

今回の旅の目的は沖縄の地に足を着けてくること!

私は那覇生まれなのですが、生まれて数ヶ月で横浜に引越しをしてしまったので、

ここ数年は家族からずっと抱っこしていて、地に足を着けてないと言われ続けていました。。。

 

<1日目>

 9時15分羽田初の飛行機で那覇へ。

実は飛行機初めてでした。ドキドキしながらも荷物のチェックを受け、

機上の人へ。

荷物チェックで引っかかったら嫌だなぁ〜と思っていたけれど、

ただの旅人なんだから、そう引っかかるハズはないんですよね(笑)

 

 残念ながら窓側は取れず、しかも飛行機はずっと雲の上。

景色を楽しむ事はありませんでした。

 

沖縄到着は12時。東京より暖かいのでしょうけど、

そんなに暑い!とも感じませんでした。

これは3日間ともそうでした。寒波の影響は沖縄にもバッチリきていたみたいです。

 

空港からはゆいレールに乗って、ホテルのある牧志駅へ。

ゆいレールを降りたトコロで記念すべき第1歩を踏みました!

でも、荷物が重いから、早くホテルに行きたくて

普通に歩いてしまって後から初めて足を着けたことに気付きました。。。

まぁ、こんなもんなんだろうな〜。

 

 ホテルに荷物を置き、買ってきた空弁を食べて、

いざ私が生まれた町へ!

ホテルから母親の記憶を元に歩いて数分。

残念ながら私の生まれた産院はなくなっていましたが、

その横の写真館や当時ウチの家族が住んでいたアパートがありました!

←私が生まれた場所。

こう書くと駐車場で生まれたみたいですね。。。

私が生まれた産婦人科があった場所です。

駐車場になっていました。

こっちが住んでいたアパート。→

アパートっていうよりマンションな感じ。

26年前と変わってなかったそうです。

残っているとは思わなかったので、

ビックリしました。

 

 住んでいた家を確認した後は、雨が降り始めた事もありタクシーでダイエーへ。

なんで沖縄でまでダイエー。。。な感じですが、

ダイエーでよく買い物をしたと母親の思い出話をタクシーの中で聞きました。

そうそう沖縄はタクシーが初乗り料金が450円!

さすが車社会、安いですね〜。

最終日に乗った観光バスのガイドさんのお話しだと、

高校生とかも割り勘でタクシーで通学するとか。

確かにうなづけます。

 

 ダイエーの前を通り、国際通りへ。

ウロチョロしつつ、ここで沖縄で行きたかった場所の一つである沖縄三越に行きました。

ダイエーと同じく、またしても全国どこにもあるトコへ行ってしまいました(笑)

いや、ここも昔よく来ていたそうなので、覗きたかったんです。

一度ホテルに戻ってまた夕食を食べに出たのですが、

夕食を三越で食べちゃいました。

デパートに多々あるファミリーレストラン。

ただ、ソーキ定食があるのはさすが沖縄でした!

 

<2日目>

 沖縄旅行はフリープランのパック旅行だったのですが、

2日目と3日目は無料という事でJALライナーに乗る事に。

フリープランの意味が無い。。。

ただ、ガイドさんがいるおかげで、個人旅行じゃわからない事もいろいろ説明してくれるので

時間が慌しいっていうのがあるけど、観光バスに乗るのも有りだなぁと思いました。

ただ、私は乗り物に強くないので、ちょっと辛かったのですが(泣)

 

 私が乗ったのはまる1日で中北部観光をするタイプ。

まずは高速に乗って琉球村へ。

沖縄自動車道は沖縄で唯一の有料道路だそうですが、

26年前はまだ開通していなかったそうで、

前は何時間もかかったのに、便利になったと母親は感動していました。

 

高速道路沿いに沖縄の家々などが見えましたが、

沖縄は雨が多くても、すぐ海へ流れてしまうので

水不足に悩まされていて、各々の家の屋根に必ず貯水タンクがあるとの事。

見ていると家によっては、タンクがただあるだけじゃなく、

屋根があって可愛らしいものもありました。

 あと、所々にお墓があったのですが、

このお墓が本州とは違って、きちんとお家方になっていて興味深かったです。

 

 そして、高速道路沿いに見えたもので、忘れちゃいけないのが米軍基地。

私の育ったトコの近くに米軍住宅があり、

日本人の家は狭い所にギュウギュウに並んでいるのに対して、

米軍の方は緑の広々とした芝生の庭付きの家で

子供の頃はただ単に広くて良いな〜と通り抜けながら思っていたのですが、

(↑今は、戦争の影響でこんなこと出来ないはず。

  昔も通り抜けは本当はいけなかったけれど、地元の人は多めにみてくれていた感じでした。

  それに私が住んでいた所は基地はなくて、住宅だけで交流もあったりしてました。

  ただ、湾岸戦争が始まってから、ライフルを持った米兵がゲートに立つようになって

  すごく怖かった記憶があります。)

今、思うと元々日本人の土地じゃん!

沖縄も高速を挟んで、片方は米軍の広々した住宅が並び、

逆側は日本の住宅がみっしりで、どこも同じなんだなぁと思いました。

しかも、米軍住宅にも日本の税金が使われているそうで。。。

戦争に負けたからしょうがないのかもしれないけれど、

何か引っかかるものが多いです。

 

 さて、この日一番目の観光スポットである琉球村!

ここは名の通り琉球の家が復元され、昔ながらの沖縄を体験できます。

沖縄の昔のお家の作りとか、説明してもらって楽しかった。

出来たてのサーターアンダギーは大きくて驚きました。

そして、美味。

あと、私的には昔は製糖の為に水牛を使っていたというトコにいた

水牛のしんちゃんが良かったです。

すっごい優しい目で人をみるのですよ、このコが(笑)

 

 次にバスに乗って向かったのは万座毛。

万座毛は風が凄かった。。。

←ガイドブックでよくみる風景。

象の鼻。角度がちょっと悪いですね。

ここは万座毛ではなく、実際の万座毛は。。。

こっち→

琉球の尚敬王が「万人を座するに足る」と称した

場所。

毛は原っぱの意味があるそうです。

 

 万座毛の後がバスで移動して昼食だったのですが、

ここで車酔いな感じになってしまい、この後の海洋博、そしてフルーツランドと

気分の悪いまま観光する事に。。。(泣)

特にどうこうするわけじゃなく、ただフラフラして気分が悪い(←はたから見ても分かりづらい)

乗り物酔いばっかしはどうにもならないですよね。。。

旅とかいっぱい行きたいけど、これがあるからなかなか旅できません。

食欲も出ないし(泣)

 

 まぁ、そんなこんなの海洋博公園、時間があまり無いので

「美ら海水族館」のみを見ることにしました。他にも周りたかったからちょっと残念。

この水族館のメインと言えるジンベイザメくんの下に他の魚(←コバンザメかな?)が

くっついて一緒に泳いでいるのがなんかカワイかった。

 

 そして、次がOKINAWAフルーツランド

ここはざっと説明してもらって、パイナップルの試食&お買い物タイム。

ただここあたりは具合が悪いままだったので、パイナップルに手を出せませんでした(泣)

 

 そして、またまたバス移動して、この日の最後の観光スポットは東南植物楽園

ここは昔、従兄が沖縄にきた時にみんなで観光にきた事があったそうですが、

施設が大きくなっているとの事。

ここもあまり時間がなく、ざっと見な感じになってしまったのが、残念でした。

ただ、植物に囲まれて生気を貰えたのか、だんだんと気分もよくなりました。

園内を周る乗り物で説明を聞きながらの観光だったのですが、

この乗り物、細いクネクネした道をよく通れるなぁという素晴らしい運転でした(笑)

そうそう、沖縄ではブーゲンビリアがあちこちに自然に咲いていて

やっぱり南国だなぁと思いました。

こっちじゃ花屋さんで買うものと勝手に思っていたので(笑)

桜ももう咲き始めて月末には桜祭りが始まるそうです。早いなぁ。。。

 そして、ここのオルゴールギャラリーで冬ソナのオルゴールを見つけ、

冬ソナファンの母親は友達に買っていました。。。(←それはこっちで買えるのでは!?)

 

 那覇市に戻った後は、ガイドさんお薦めの新垣商店さんにちんすこうを買いに。

お店はなんか高級店な店構えで、ドキドキしながらも

試食したちんすこうは上品な味でとっても美味しかったです。

即、購入。ガイドさんが味見しただけで、そこいらのちんすこうと違うと言っていたのが

とてもよくわかりました。

これはこっちの沖縄ショップでも売っていて、有名なんですね。

 そうそうこの日は成人式が沖縄のあちこちで行われたようで、

バスの中からも成人の集まりを見ましたが、

凄かったのが国際通り。

バスを降りた後、国際通りに向かう途中でおまわりさんを沢山みかけて、

何だろう?と思っていたのですが、

ちょうど三越の横にあるスペースに集まっている成人の皆様を

おまわりさんが見張っていて、なんか異様な雰囲気でした。

 翌日のガイドさんがおっしゃっていましたが、

沖縄は成人式が荒れるので、最近は中学ごとにお祝いをしているそうです。

そういえば、私が泊まっていたホテルでも

○○中学成人の集いとかやっていました。

私は今はさいたま市に抜かされましたが、当時、日本で最大の成人式だった横浜市の

横浜アリーナでの成人式だったので、

逆にこういうこぢんまりとしたのも良いなぁと思います。

中学だったら、卒業して大分経つから同窓会みたいで楽しそうですもんね。

 

<3日目>

 沖縄最終日は昨日に引き続きJALライナーに。

今日は南部観光です。

まさか、連日JALライナー乗る人はいないだろうと思いつつ

バスに乗ったら昨日と同じご家族が(笑)

結局1日目以外はずっとこのご家族とご一緒でした。(帰りの飛行機も一緒・笑)

 

 本日、最初の観光場所は首里城公園。

私が沖縄で行きたかった所のひとつがココでした。

あとはひめゆりの塔。この2つさえ行ければ良かった。。。

 

 首里城公園について、すぐに見えてきたのが有名な守礼門。

この守礼門は三大ガッカリの一つだそうです。

確かに思っていたより小さいかなぁ。

しかも、端っこが改修工事中でした。。。

 

 守礼門を通って左側に園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

←これがその石門。国王出御の時に、道中の安泰を祈願したという所。

ここは単体で世界遺産に指定されているそうです。

 

  次に歓会門を通って、階段の途中にあったのが龍樋

←龍樋は沖縄戦で全てが焼失してしまった首里城の中で、唯一焼け残ったそうです。

首里城は復元であるにも係わらず、世界遺産に登録された珍しい例だそうです。

そして、世界遺産は登録されたあとの維持が大変だとか。

 龍樋のすぐ傍の瑞泉門を通り、漏刻門

  沖縄はめったに快晴となることはなく、そのほとんどが曇りだそうです。

気温は当たるけど、天気は外れるので有名なそうな(笑)

日時計なんて使えないので、水の漏れる量で時間を測っていた場所がこの門の所だそうです。

 そして、長い階段も終わり首里城の高台へ。

←上からは那覇市内がよく見えます。

この写真では方角が違うかもしれないけど、

沖縄戦で最初に米軍が降下してくる所をここで日本軍の司令部は見ていたのだろうとの事でした。

どんな気持ちで見ていたのでしょうかね。

 首里城正殿に入る最後の門が奉神門。

首里城の開門時間は朝の9時。ちょうど開門の儀式を見ることができました。

この時間に合わせる観光バスが多いようで門の前は人がいっぱい。

その流れに乗る感じで、場内をバーッと見て、駐車場へ。

公園を全部見るには時間がありませんでした(泣)

今度はあと一つの世界遺産の玉陵や他の場所も見たい!

 そういえば、この首里城は我が家からも近かったのでよく兄ちゃんはここで遊んでいたとの事

だったのですが、当時は琉球大学では?と思います。

ただ、なんか羨ましい(笑)

 

 次はおきなわワールド。昨日の琉球村と同じような

琉球の家を移築したりして、昔の文化に触れることができます。

フルーツ園もあるから、こっちの方が大きいのかな。

ハブ博物公園ではハブと記念撮影ができるそうです。。。

私は行きませんでした。

 そして、私が行ったのは玉泉洞。

沖縄の鍾乳洞は中に入っても涼しくなく、逆に蒸し暑いのが特徴だそうで、

確かに暑かったです。

何キロもあるウチの少しが一般に開放されているそうです。

ちょうど、私が行った時はその一部がライトアップされていて、

キラキラ電飾のついた鍾乳洞はなんか不思議なものがありました(笑)

あと、おきなわワールドではエイサーを見て、お昼も。

お昼は2日とも沖縄そばのセットを食べる事に。

時間も無く、慣れない車移動であまり食べられなかったのが心残りです。。。

 

次は平和記念公園へ移動。

そのバス移動の最中にガイドさんが教えてくれた事で

心に残っているのが、町の所どころにあるぽっかり空いて祠のようになっている場所。

そこは一家全滅屋敷跡だそうです。

沖縄戦で家族全員が亡くなってしまい、

土地を管理する人がいなくてそのまんまになっている。。。

沖縄戦が終わって60年になる今年になってもまだそういう場所がある。

戦争の現実を痛感したのがココでした。

個人で通っただけじゃ、ただ見落としてしまっただろう屋敷跡。

JALライナーに乗って良かったなぁと思いました。

そして、今も行われているイラクでの戦い。

今は昔と違ってメディアの報道が逐一戦況を放送され、

アメリカ軍も狙うのはテロリストのいる所であって、

一般市民には影響の無いように戦っているようでありながら、

たくさんの方が亡くなったりしているのは事実であって、

結局何も変わっていないのかと感じます。

 

 そんでもって、着いた平和記念公園

見学時間も短いので平和の礎と平和の火をメインに見学しました。

←↓2日目に万座毛でも海を見ましたが、万座毛では日が出たものの、風が強くて大変だったのに対して、平和記念公園から見た海は穏やかなのに加え、日差しも暖かくようやく南国を実感しました。この穏やかさな大地で戦争があったのが悲しかったです。

 

 

 平和の礎ではガイドさんには、県別になっているから、

お国のところを見てくださいと言われましたが、

私は沖縄の所を見ました。

自分と同じ名前の人がいるのか気になったので。

私が生まれた時、その名前を沖縄の人に言うと

みなさん、良い名前をつけましたね〜と言われたそうなので、

実際に多いのかなぁとも思ってもいました。

ただ、ここではあまりいて欲しくなかったですけど。。。

全てを見ることは出来ませんでしたが、

カナコさんとか加那さんはいらっしゃいました。。。

 そういえば、昔、愛ちゃんって名前はあまりにまんまで

こっぱずかして嫌だなぁと思っていたけれど、

加那ちゃんは沖縄方言で同じ意味になるんですよね。。。

ってことは私も愛子ちゃんとかと同じなんですね。(苦笑)

 平和の礎は全世界で珍しく、軍人、国籍を問わず全ての戦死者の名を刻まれているそうです。

こういうおおらかな所は日本特有なものがある気がします。

 あと、当時の資料は少なく、疎開していたりして

戦死していないのに、名前があったりしたりしてそれを訂正したり、

新しく調べたりして毎年、書き加えたりいろいろしていて

この平和の礎が完成するには、あと数十年かかるといわれているそうです。

 

 そして、バスは最後の見学場所、ひめゆりの塔へ。

ここも時間がなくて、資料館ざっと見になってしまいました。。。

南部はもう一度、今度は隅々まで見たいです。

学徒隊で有名なのはひめゆりですが、他にも沢山の学徒隊があったそうで。

他のところにも足を運んでみたいとも思いました。

このひめゆりの塔がある第3外科壕は、解散命令がでた後も

米軍に囲まれていた為に、ほとんどの人が外に出ず、

ガス弾攻撃によって多くの犠牲者が出ていますが、

米軍は中に入ってみた、病人達や生徒達にどう思ったのかなぁ。

ふと思いました。

 

 そして、バスは空港へ。

空港へ着いてからは、時間があったので、

おみやげを物色。あと、広場で沖縄舞踊などをやっていたので

それを見ていました。

エイサーやカチャーシーは何度か見る機会がありましたが、

舞踊は見る機会がなかったので、嬉しかったです。

沖縄舞踊も見たかったものの一つでした。

 

 そうそう、おみやげで思い出したのは琉球ガラス。

茶色いグラスを子供の頃、我が家ではよく使っていて

用途は麦茶を飲む時だったのですが(笑)

それが琉球ガラスだった事が今回の旅で判明しました。

そんな身近にあったのね〜。ビックリしました。

 

 帰りの飛行機は16時発。

2時間前に空港に着いたものの、またしても窓側は取れませんでした(泣)

まぁ、真っ暗になっちゃうから景色は期待できないんですけどね。。。

お台場の観覧車と東京タワーを上から見たのは嬉しかったです。

 

 3日間、なんかバタバタだったけど、行って良かったです。

これでこれからは地に足をつけていけそうな気がします(←なんとなく・笑)

まぁ、元々足は着いているとも言えるし、着かなくても良い気もしますが。

そして、行った後の方が沖縄の資料をみていたり。。。(笑)

また絶対に行きます。

 

 そうそう、羽田空港までは京急で移動したのですが、

天空橋から羽田空港までの一駅で一気に値段が上がるんですね。(空港使用料?)

ビックリしました(笑)

 

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