Today's All-Time Best


あまり他人様にお見せするような本もないのですが、私の愛読書をオールタイムベストという形で10作、 まとめてみようと思います。
今日のオールタイムベストなんてタイトルですが、毎日更新するゾ、と言っている訳ではありません。 ただ、明日選んだらきっと違う結果がでるだろうなあと思ったので、このようなタイトルになりました。 そんな訳で、ベスト3以外は順位がつきませんでした。どれもが、ベスト3と入れ替わる可能性があると 思います。また、選外にずらり十数作並んでいますが、何かの拍子にベスト10作品(4〜10位)と 入れ替わるかも知れません。個人が選ぶベスト10なんてそんなものだということで。

■エンパイア・スター
(サミュエル・R.ディレイニー/サンリオ文庫)
 ここまでくれば、マルチプレックスな読者なら、物語が予想以上にずっと、ずっと長く、
円環的で自己補足的なのに気付かれたことだろう。わたしはずいぶんはしょらねばならないが、
あなたがたの知覚でマルチプレックスに整理しさえすれば、空白部は埋められるはずだ。
 この本を最初に読了した時は、何やら不思議な手品を見せられたような気分でした。 シンプレックスな精神構造だったからでしょうか(笑)。

 翻訳はサンリオ文庫(絶版)のみでしか入手できないので他人には薦められないのですが、 もしSF小説を1冊紹介してくれと言われれば、(無難に一般人受けするであろう「夏への扉」ではなく) これを挙げようと思っています。つまり、この「エンパイア・スター」こそが私にとってのSFなのです。
 ドラマティックで、複雑で、スケールが大きくて、そして物語自体にメタフィクションと円環構造を持ち、 シンプレックス、コンプレックス、マルチプレックス、この音楽的呪文のような繰り返しの中、 スピーディーに展開しながら収束していくという、、、これが僅か150ページの中に詰まっていること自体、 一種の奇跡ではないかと思うほど。これこそが、SFの面目躍如、という気がします。

 その当然の帰結として、読み手は、知恵を絞って読み解いていかなければなりません。 SFと呼ばれるジャンルの優れた作品には、このような読者の能動的な探求に対して それまで味わったことのないパースペクティヴで応えてくれるものが少なからずあり、 これはその中でも最上の一品だと思います。
 私にとって読書が単なる娯楽を超えていると感じるのもまさにこのようにして物語を 読み解いた瞬間で、血が沸騰するような興奮を覚えます。これこそが、私にとっての 読書の喜びであり、そして、(私はゲーム屋なので)そのようなギミックを 自分のゲーム中には我知らず組み込むし、よりそのような感覚を得られるゲームを 作りたいと日々思っています。そして、自分が遊ぶゲームにもそのような部分を求めます。 それがなければ、それがどれほど面白いとしても、マンガ喫茶で読むコミックスと同じく、 私にとっては時間潰しに過ぎません。、、、ゲームも、読書も。
 蛇足ながら、このような読者の探求を物語の冒頭で「マルチプレックスなものの見方を すれば、あなたにはこの物語の結末は見えている」と予言するあたりは、実に心憎い仕掛け だと言えるのではないでしょうか?

 選外に挙げた「アプターの宝石」も、ほぼ同時期に入手したディレイニーの処女長編 (こちらもサンリオ文庫、絶版)。一見安っぽいヒロイックファンタジーに様々な メタファーを詰め込んだ独特の味わいの長編で、ディレイニーの集大成的長編と言われる 「ノヴァ」や、ネビュラ賞受賞作「アインシュタイン交点」(ともにハヤカワ文庫SF) よりも私は好きです。、、、と言っても純粋に好みの問題で、どちらも傑作。世間では この2作の評価が非常に高くそれに異論はないのですが、処女長編だけあってディレイニー らしからぬ素朴な味わいもあるところも含めて評価しました。
 同じくネビュラ賞受賞作である「バベル17」(ハヤカワ文庫SF)も傑作。要するに ディレイニーは全部傑作です(笑)。物語の焦点が明確で入手もしやすいため、 ディレイニー入門にはうってつけと言えるでしょう。なお、「バベル17」中には、 「エンパイア・スター」がミュールズ・アランライドの作品という形で登場していたり します。

■虎よ、虎よ!
(アルフレッド・ベスター/ハヤカワ文庫SF)
俺の名前はガリー・フォイル
そして地球が俺の国
無限の宇宙に住み慣れて
我が赴くは星の群れ

(、、、記憶を頼りに書いてるので結構違ってそう)
 「エンパイア・スター」が、結構な数のSFを読んだ後に出会ったのに対し、この「虎よ、虎よ!」は、 読み始めた比較的初期に出会った作品です。これによってSFが本格的に好きになったきっかけであり、 以来今日に至るまで、ずっと私のオールタイムベストの上位を占め続けてきた作品でもあります。 (最初に断っているように、必ずしも「エンパイア・スター」を読むまでこの作品がベスト1であり続けた 訳ではありませんが、そう思っていた時期がしばしばあったこともまた事実です。そして、 「エンパイア・スター」を読むまで、この作品が私にとってのSFでした)
 この本から、「ワイドスクリーンバロック」という言葉を覚えました。ブライアン・オールディスの造語 だそうで、実はそれがどういう定義なのか、未だに知りません。判っているのは、「虎よ、虎よ!」が 「ワイドスクリーンバロック」であるということ。だから、「格好いいスペースオペラ」と私は解釈しています。 ちなみに、サイバーパンクは私的には「格好いいハードSF」。
 そしてその後は、この「ワイドスクリーンバロック」という言葉が、私の読書傾向を導くようになります。 と言うのも、ベスターの著作の絶対数がそもそも少なくて、こういう面白い小説を探すためのキーワードが 必要だったからです‥‥もっとも、ワイドスクリーンバロックと称される小説もたいして多くはなかったのですが。 ベイリー、ヴォークト、「キャッチワールド」。スミスに手を出しかけたところで夢の島のようなスペースオペラの 大群に遭遇して、ほうほうのていで「ニュースペースオペラ」へ逃げ出して、ニーヴン、そこからハードSFの つまみ食いを始めて‥‥これまでの私のSF歴は、ざっとこんなもので説明できてしまう程度です。

 少しは偉い人の言葉でも借りてこの本の説明もしなくては。
 ベスターのもう一つの代表作と言えば「分解された男」。最高の50年代SFという声も高い、計算高く緻密に 構成された小説ですが、その次の長編である本作でもその構成力は遺憾なく発揮され、評論家によれば 『普通の小説6冊相当』のアイディアが詰め込まれ、テンポ良く展開していき、そして最後の最後で、一気に爆発!

 「虎よ、虎よ!」の凄いのは、あれだけキチンと作り込んだ話を最後にムチャクチャに しちゃうところだね。

 とは、私の学生時代の先輩の言葉。なるほど。比較的狭い世界(未来社会)を作り込んでいった感のある 「分解された男」に対して、圧倒的に大きなスケールに話を持っていった「虎よ、虎よ!」では、 このような派手で豪華な終り方こそがつきづきしい。小説としての優越は付けがたいのですが、 私個人の好みで言えば断然「虎よ、虎よ!」。それはもう、後の人生……と言うとオーバーですが、 少なくとも読書傾向を大きく変えてしまうほどに!
 蛇足ですが、私のハンドルは、ベスターの第三長編のタイトル (訳題「コンピュータ・コネクション」/サンリオ文庫) からとっています。

■新トロイア物語
(阿刀田高/講談社文庫)

 オールタイムベスト・ナンバー3は歴史小説。でも、普通の歴史小説とは若干趣が違います。 ダテに、並み居るSFを押し退けてのベスト3入りという訳ではありません。
 ギリシャ神話の中でも知名度の高い(そして、シュリーマンの発掘によって神話から歴史へと姿を変じた) トロイア戦争を、トロイア側の英雄アイネイアスの視点で、神々の介入や奇跡を全て廃した極めて現実的な 観点から小説として再構築したものです。当然、そこに敵国であるギリシャの神は登場しませんし (敵国の文化、という形では登場する)、主人公アイネイアスもアフロディテの息子ではなく、 将軍であった父親が遠征先で略奪した女奴隷に生ませた子供で、その出生を繕うために名のない 「美の女神」の息子であるとされています。これが、ギリシャ側の伝承に取り込まれることで、 ギリシャ神話の神であるアフロディテの息子、と置き換えられたのだとしている訳です。
 すなわち、このようにして神話群は作られていったのだという、阿刀田氏の歴史観を小説の 形で表現したのだと言っても良いでしょう(これは、よりストレートな形で「ギリシャ神話を 知っていますか」「アラビアンナイトを楽しむために」などの解説随筆でも語られています)。
 物語としてももちろん面白いのですが、それ以上に、神話として馴染みの深い数々の逸話を、 いかにして現代の知識と常識をもった読者に不信を抱かせないようなものにするか、そのための 最小限の(歴史にない)定義とその応用で全てを説明しようとする手法は、まるで良く出来た ハードSFのよう。ともすれば先端の科学を当たり前の前提事項として組み上げてしまう ハードSFと比べ、あくまで現代の一般常識範囲内で神話を読み取いていくというこの態度は、 SFのみならず他の分野でも、もって範とすべきではないかと思ったりします。

■宇宙船ビーグル号
(アルフレッド・エルトン・ヴァン・ヴォークト/創元推理文庫)

 4位から10位までは順位が付けられなかったので、一括りにしてまとめてあります。
 さて、ビーグル号。最初に読んだのは思っていたよりずっと昔(中学生の頃)で、たぶん ここに上げているどんな本より、「虎よ、虎よ!」より古いです。しかし、それが私の読書や SFの原体験になったとは思ってませんし、実際、違うでしょう。かすかに記憶にあるのは 触手を備えた黒豹クアール(創元文庫版ではケアル)が、その惑星を訪れたビーグル号の 船員の「イド」を次々と食べてさあ大変、てなところだけ。どうやってその危機を脱したか というような記憶は全然残っていないのです。てゆうか、そもそも最後まで読んでるのか?
 そんな次第で、長じてからも昔読んだから、と、長らく手つかずになっていたビーグル号。 マトモに読んだのは大学に入ってから。それも、ゲーム「ファイナルファンタジー2」で 必殺のブラスターを撃ってくる最悪の殺し屋モンスター・クアールを見て、 おおっ、クアールだ、ビーグル号だ、ところでどんな奴だっけ? というようなきっかけで読み返すことになったと覚えています。
 そして、これぞSFの醍醐味とも言うべきセンス・オブ・ワンダーを味わって、すっかり 魅了された訳です。
 だって、クアールを皮切りに、不死身で賢くそのうえ凶悪なモンスターたちが次々と襲い かかってくるというのに、人類は武器ではなく(ちゅうか、通用しない)ネクシャリズムとか いう「学問」で対抗しちゃうんスよ!
 それも、撃退するというよりは、相手の習性を学術的に研究して、隙をついて逃げ出すという ような消極的な戦法ばかり。確かに、よほどませた子供でないと途中で投げても仕方がない。 少年時代の私も、きっとそんな理由から読了していなかったのではないかと思われます。  ところが、これに、ビーグル号内の政治的権力闘争というテーマが絡んで、物語は主人公 エリオット・グローヴナーの出世物語としての体裁を持っており、これが単純明快に面白い。 しかも、相手の習性を研究することからその行動様式を割り出していくという、一種の推理 小説的な部分の面白味も大学生の私には判るようになっているから、そりゃ、夢中にも なろうってもんです。
 ヴァン・ヴォークトといえば他にも、非A哲学の超人であるギルバート・ゴッセンの 活躍を描く「非Aの世界」「非Aの傀儡」を始め、不死人ロバート・ヘドロックの登場する 「イシャーの武器屋」「武器製造業者」(以上創元推理文庫)、あるいはミュータントである スランの少年ジョミー・クロスの登場する「スラン」(ハヤカワ文庫SF)と、ありていに 言って一人のスーパーヒーローが世界を救う話が数多く見られます。私がベスト3に上げた SF2作と比べるといかにも俗っぽく、粗野で、しかしだからこそSFの凄く根本的な魅力に 満ち溢れているとも言える気がします。


■ロードマークス
(ロジャー・ゼラズニィ/サンリオ文庫)

 アンバーシリーズにも繋がる、時空を貫いて存在する「道」、そこを行き来することの 出来る不思議な能力を持った二人のドラーキン。その命を狙う謎の組織、サイボーグ恐竜、 殺人ロボット、道の管理者ベルクウィニスのドラゴン、、、。宝石のような怪しくも美しい アイディアをガンガン詰め込んだ、まさにB級SFの最高傑作!
 ゼラズニィと言えば、スタイリッシュで文学性の高い短編集「伝道の書に捧げる薔薇」、 インド神話の神々が必殺技を駆使して大活躍するヒューゴー賞受賞作の力作長編「光の王」、 核戦争後の荒廃したアメリカをトラック野郎が横断する冒険活劇「地獄のハイウェイ」、 (以上ハヤカワ文庫SF)など、それぞれに趣向が違いながらもどれを買っても外れのない、 安心して読める作家という印象が強いです。事実、大学時代の私の本棚を最初に占領したのは、 近所の古本屋で買い漁ったハヤカワ・ゼラズニィたちでありました。
 ではその中でベストを1冊、と言われると、全体の粒が揃い過ぎていて実は選べません。 つい最近まで、ずっと選べずじまいだったのです。そしてネットオークションでようやく 絶版だった「ロードマークス」を入手して、晴れて私のゼラズニィ・ベストが決まった訳です。
 これをベストに選ぶ理由はいろいろあります。最初に書いたとおり、B級っぽさに溢れて 気取らないエンタテイメントに徹しているという点(他にここまで徹底しているものは見当たり ません)、これが万人向けの公の理由ですが、入手に苦労した点、入手出来ない代わりに ペーパーバック版で原文で読んだという点も私的にはかなりの比重を占めています。 原文で読んでも、ゼラズニィはゼラズニィ。らしさが判ったというだけで、もうすっかり まいってしまったという訳です……まあ、努力に見合った面白さがなくちゃ嫌だ、あるに 決まっているという思い込みもあったかも知れませんが、、、。


■七胴落とし
(神林長平/ハヤカワ文庫JA)

 神林の代表作あるいは最高傑作、、、って、なんだろ? 東野圭吾なんかもそうだけど、 こういうコンスタントに秀作を量産するタイプのプロ作家って、案外代表作を一つ選ぶのは 難しいですね。それとも、その作家の作品を片っ端から読んでいると、逆に代表作なんて 見えなくなってくるものなのでしょうか?
 そんな訳で、世間の風評を気にしつつ選べば、代表作は「戦闘妖精雪風」または「敵は海賊」 のシリーズでしょうか。最高傑作は、、、「あなたの魂に安らぎあれ」? 「プリズム」?  「猶予の月」? 「Uの世界」? やっぱ、選べませんね。
 てことで、「七胴落とし」「敵は海賊」シリーズと光文社から出た駄作を除けば、神林には 珍しい書き下ろしの一気書き長編。神林は短編の名手ですが、その切れ味と緊張感はなかなか 長編では持続しないところがあるように思います。で、そのほとんど唯一と言って良い例外が、 この作品と言う訳です。
 個人的に思い入れの深い作品なので却って立ち入ったコメントがしにくいですが(書くと、 それこそメロメロの心情吐露的文章になってしまう)、少年が大人になるという精神的な 成長がテーマの異作であり、傑作でしょう。これを読んでいた頃、私は神林が一番好きだった のではないかな。同じテーマを扱った連作長編「完璧な涙」(ハヤカワ文庫SF)では ガラリと作風が変わり、重苦しい緊張に満ちた「七胴落とし」に対して、ドライで淡々とした (これは、舞台を砂漠にしていることと無縁ではないと思います)作品になっています。 読み比べてみるのも面白いでしょう。


■龍は眠る
(宮部みゆき/出版芸術社)

 売れっ子だし、今更作者の紹介の必要はありませんね。山本周五郎賞受賞作「火車」は、 直木賞を取れなかったために直木賞の価値を落としたとまで言われた、宮部みゆきの 最高傑作です(後に、この焼き直しと揶揄される「理由」が直木賞をとりましたが、、、)。
 私も一番面白かったのは「火車」ですが、これまで読んだ全ての小説の中で最も身に つまされる話だったのがこの「龍は眠る」だったので、今回のベストではこれを選びました。 身につまされたのはごくごく個人的な理由ですが、案外、それが作者の狙いだったのでは ないかとも思っています。
 テーマは、普通の人間って何だ、という問い掛け。現代劇としてはかなり無理をしながら、 超能力という「余分な能力を備えた」人間たちと、それに対比する形で子供を作る能力のない 主人公と唖のヒロインという、「欠けた」人間たちを描いた力作です。宮部みゆきという人は 超人的な、奇跡のような構成力を持った作家さんですが、案外小説のネタには無頓着な ところがあって、「レベル7」にしてもこの「龍は眠る」にしても、難しい題材を選んで いるなあという印象を受けます。あるいは、損な、と言うべきか。「火車」のような 題材を得たときには物凄い傑作が生まれる訳ですが、このへんが、高レベルの水準作を 書き上げながらも、全てが「火車」並とはいかない訳なのかも知れません。もっとも、 傑作を書くことばかりが作家の本懐ではない、とも言える訳で、書きたい題材、書きたい テーマでこれだけの水準作を上げられるなら、それはそれで良いことだとは思います。 ちゅうか、口出しの出来る次元の話じゃないですしね。


■僕はかぐや姫
(松村栄子/福武書店)

 松村栄子のデビュー作で、「海燕」新人賞受賞作。17歳、文芸部員の女子高生が「僕」 という一人称を捨てて「わたし」を手にいれる話。ご本人の紹介によれば、「かぐや姫」は 決して男性のものにならなかった女性の象徴なのだとか。
 その通り、テーマはジェンダーですが、田嶋陽子じゃあるまいし、「かぐや姫になろう」 あるいは「かぐや姫であろう」という話ではありません。そういう社会と向き合い、 折り合っていく成長の物語で、このテーマは芥川賞受賞作「至高聖所」(福武書店) の所収の「星の指定席」にも引き継がれています。
 ちなみに「至高聖所」も芥川賞には珍しい秀作。たまたま文芸春秋で読んで気に入り、 私の書店巡回コースに松村栄子コーナーが加わりました。もっともあまりの寡作さゆえ、 今やコーナー自体が消滅してしまっていますが、、、。村上春樹風の、ちょっと格好つけの 文体に抵抗のない人は是非読んでみて欲しい作品です。こちらも結構好きで思い入れも ある作品なのですが、言いたいことは加沢知毅個人ファンジン「FORGE」への寄稿で 言い尽してしまったので、ここでは特に書きません。

 ところで最近、ご本人のホームページ見つけました。リンクフリーともフリーじゃないとも 書いてなかったのですが、ここに上げちゃっていいのかな、、、? 一応、遠慮しておくことに します。ご興味のある方は、検索エンジンなどで「I’Espace Lunatique」と入れて検索してみて 下さい。


■100°Cクリスマス
(森雅裕/中央公論社)

 デビュー作が気に入った作家とは長い付き合いになる、というのは誰の言葉だったかな。 乱歩賞受賞の「モーツァルトは子守唄を歌わない」(講談社)(東野圭吾「放課後」/講談社、 との同時受賞)以来、ずっとチェックを入れている作家森雅裕氏の作品で(ただ、チェックを 入れていても知らないうちに出版され、知らないうちに絶版になっているケースが非常に多い 作家さんでもあります、ウェッブが普及してずいぶん楽になりました)、女子高生がサハラ 砂漠で日本刀を振り回すスラップスティック活劇。無条件で楽しめるうえ、チャンバラシーンは 結構迫力ものです。この本だったか、「ベートーヴェンな憂鬱症」だったかの解説に、 打ち合わせに現れた森氏が鎖ガマの練習をしていて両手傷だらけ、という話が載っていて、 ナルホドと納得した覚えがあります。勝手な推測ではありますが、複雑な経歴の果てに作家 デビューした人だけあって、従来の小説作法のようなものを完全に無視した設定やら表現で 普通の小説を書こうとしている、そんな感じでしょうか。そして、そこが氏の一番の魅力と 言って良いでしょう。
 なにぶんアクの強い文章を書く人なので強烈なファンはいてもあまり一般に売れていない みたいなのですが、こういう話を書く人は他に知らないので、もう少し注目されても いいんじゃないかと思います。少なくとも文庫落ちする程度に売れてくれると、探す手間も 省けて嬉しいのですが。


■虹のカマクーラ
(平石貴樹/新潮社)

 原発で働く外国人労働者とジャパゆきさんの話。今や、ジャパゆきさんと言っても通じない かな? その位昔の話で、この作品(3作目)を最後に、平石貴樹氏の作品は書店で見られなく なりました。
 これも、昔、大学のSF研で出したファンジン「夏休み読書レース」号に寄稿したレビューで 言いたいことを言ってしまったので、内容等についてはここでは触れません。ちゅうかね、 結構恥ずかしいことを書いてるんですわ。イキオイで。今でも気持ちは変わっていないのだけど、 冷静にもう一度書ける文章ではないのですよ。
 新聞か何かの書評で興味を惹かれて立ち読みした「笑ってジグソー殺してパズル」 (ハードカバー)が私と平石作品との出会い。これまた、氏のデビュー作。あまりに面白くて、 金欠高校生だったにも関わらず読み切った後で購入。名探偵ニッキシリーズの続編に当たる 「誰もがポオを愛してた」(こちらもハードカバー)も購入。
 3作目に当たる本作は、刊行も購入もかなり後になりました。それというのも、前2作が シリーズものの推理小説であるのに対し、本作は最初の紹介の通り、普通小説。前2作とは 何の関係もないということで、少し熱が冷めた頃に出たせいもあって、購入は見送っていたの です。、、、それが、夏休み、遊びに来ていた東京は高田馬場の古本屋で偶然見つけて、 晴れて購入の運びとなり、前2作以上に心に残る作品となった次第です。
 以来、ずーっと久しく新作は出ていなかった模様ですが、つい先頃、創元クライム・クラブ から「スラム・ダンク・マーダーその他」という推理小説が出ていると知り(ただし出たのは 3〜4年前)、今、ちょっとどきどきしています。10年の時を超えて、平石作品は私に 何をもたらしてくれるのでしょうか。明日にでも探しに行こうと思います。


■選外

 ディレイニー、ゼラズニィはベスト10にも入ってます。「光の王」は逆でも良かったかな。 だけどヒューゴー受賞作なので、そこまで私が推さなくてもというような変なエンリョも。 まあ、「ロードマークス」の方がよりB級に徹して面白い、ってことで。
 「アプターの宝石」は様々な暗喩に満ちたヒロイックファンタジー。ディレイニーらしからぬ ベタなところと、面目躍如なところが良い味。ディレイニーは他にも、ダブルクラウン 「アインシュタイン交点」、最初にSFの愉しみを味合わせてくれた「バベル17」、 宇宙の果てへの痛々しい切望に満ちた秀作「スター・ピット」(これは永六輔さんに読んで欲しい!)、 性を失くし、愛その他諸々の感情までも失くしてしまった宇宙飛行士たちの、陽気で残酷、 おかしくて悲しい物語「然り、そしてゴモラ」など傑作が多く、とにかく選ぶのが辛かったです。 筆致は違えど、私の好きな作品群には何かしら後期ティプトリーに通じるところがあるような。
 ベイリー「カエアンの聖衣」も、なんでこれがベスト10に入らなかったんだろって傑作。 スターウォーズSFと信じている人には、まずこれを薦めようと思います。 スペースオペラに通じる明快な面白さとそれをも超えるスケールの大きさ、そこに詰め込まれた SFならではのアイディアの数々と、なんとも贅沢な一品です。
 「反逆の星」。長編化によってSF的理論武装をしたヒロイックファンタジー。 カードは基本的にストーリーテラーで、それゆえしばしば底の浅い作品を卓抜した文章力で 誤魔化して補って完成させてしまうようなところがあるのですが、この作品のように 焼き直すことで秀作に生まれ変わらせる魔法使いでもあります。ヒット作「エンダーのゲーム」 は売れすぎたためか筆が荒れてきたように思えてちょっと残念です。またリメイクしないかなあ。
 「ゴールデンフリース」ソウヤーの鮮烈なデビュー作。軽妙でありながら非常に論理的で、 ジグソーパズルのピースをはめていくような愉しさがあるのが彼の作品の特徴。 それがもっとも端的に現れているのがこの作品だと思います。
 「時間的無限大」バクスターのジーリー宇宙史のひとつ。ソウヤー、バクスター、イーガンあたりが 最近の早川青背の本流かな? 既に古いかも。どっちにしろ、本当の主流は復刊フェアですね♪  ともあれ、久しぶりに読んだ大風呂敷壮大な宇宙史でした。ちょっと設定ヲタクなところは 大目に見るということで。
 「タウ・ゼロ」アンダースン。同じく壮大な物語だけど、世界や宇宙の成り立ちを科学で 解きほぐしていくような面白味のあるバクスターと比べ、アンダースンは一昔前の、ハードSFの 道具立てで冒険する古き良きSF。相対論一本でこれだけ読ませられるのはさすがだと思います。
 「逆転世界」プリースト。非常に読み応えのある作品で、初めて読了したときはくたくたに なった憶えがあります。なんだか判らないいびつな世界を単純な物理法則で解きほぐしていく、 という構図は「タウ・ゼロ」と同じで、逆に言えばこういう面白さこそがハードSFなのでしょう。
 科学を武器とするハードSFは、本質的には寿命の短い小説だと言えるように思います。 だから、あっという間に古びてしまう。古びたとしてもそれはそれで味があって良いのだけど、 おそらく作者が意図したような面白さや驚きは望むべくもなくて、つまり旬を味わうものだと言っても 良いかも知れません。だからこそ、最先端でバクスターなどに出会えたことは幸せだったと思います。 さて、「鳥の歌いまは絶え」ウィルヘルム。この小説は古びません。もはや古典と呼べる作品であり、 素材は、最終戦争後の地球、生き延びるための人類の戦い、と、ごくありふれたものばかり。 にも関わらず実に読み応えがあって、夢中にさせてくれます。おそらく、10年後に読んでも また夢中で読むのだろうな、などと思います。小説が上手いというのは、きっとこういうことなのでしょうね。

 と、選外でもその半数でSFを選んでしまった訳ですが、こういう私ですから、ミステリーも「本格」と 呼ばれるものを愛読していました。たとえば密室モノの雄ディクスン・カーなどは、翻訳されているものの ほぼ全てを読んだと思います(もちろん、ミステリファンではありません)。
 ところが、あれだけ楽しんだはずの本格推理小説が、今となってはあまり印象に残っていないのです。 一つ一つの作品のトリックは憶えているはずなのに、それが作品の印象となっていないと言うか。 ‥‥そして、今も記憶に焼き付いているミステリーと言えば、アイリッシュ「幻の女」。 お話はいかにも古めかしいもので、初めて読了したときにはそれほど強い印象はありませんでした。 それだからこそなのかもしれませんが、幻の女に関わるトリックただそれだけが、鮮明に、記憶に残っています (もっともこれは、タイトルのつけ方が上手かったことに起因しているのかも知れませんが)。 一方同じアイリッシュの手による同じ趣向のミステリー(というか、サスペンス)「暁の死線」は、 ほとんど記憶に残っていません。
 ミステリーといえば、おそらく最も強く記憶に刻まれたのが「ハサミ男」。刊行が新しいので 当たり前と言えば当たり前なんですが、記憶の新旧を超えて、印象に残る話でした。 そして、「クラインの壷」。ラストの「現実か、虚構か」という問いかけは、やはり記憶に焼き付きました。 それによって起こる現実性の喪失感は、あぶない薬をやってるような感覚で、強い中毒性があります。 名義は岡嶋二人ですが、実質その片割れである井上夢人氏の入魂の作とのことで、 この味は後の「オルファクトグラム」にもしっかり受け継がれています。これからが楽しみな作家さんです。
 以上とは少し毛色が違いますが、非常に強く心に残り、飽きれるほど繰り返し読んだのが「三四郎」。 内容なんてろくに分からない小学生の頃に初めて読んで以来、最初は恋愛小説として、次に青春小説として、 それは痺れるような興奮を当時の私にもたらしてくれました。内容なんてろくに分からない、 しかしその一方で、100年近く昔の小説でありながら、それは子供の私にも、一面とても分かりやすい小説でも あったのです。それが何故かと言うことに関しては、「ハサミ男」の殊能将之が、「美濃牛」内で 語っていますので、興味のある方はぜひご一読を。

 好き嫌いはあれど、私の読書は基本的に広く浅くです。出会いも行き当たりばったりで、 普段読みなれないジャンルの本を偶然書店で手にとって、意外にもそれが傑作で‥‥なんてことも、 ときにはあります。その中でも極上のものが、「捨剣」。ゲームの仕事に就いて間もない頃、 あさましくもネタになるのでは、と手にしたのがこの本でした。何気なく店頭でパラパラと眺めるうち、 突然なんだか傑作のような気がしてきて、発作的に買ってしまった訳です。 これも自己投資みたいなもんだしな、などと自分に言い訳しながら (そうでもしないと、当時はハードカバーなんてなかなか買えなかったのです)。 結果、大正解。夢想流杖術の開祖・夢想権之介の、剣士として、そして人間としての成長を 当代随一の剣豪宮本武蔵との対比で描き出している傑作でした。これだから書店めぐりはやめられない、 そう、頭のどこかに焼きついた一件となりました。
 おかげでチャンバラ小説に興味を持った私は、主に古本屋で、シリーズものでない剣豪ものを 買い漁り、手当たり次第に読みました。そして出会ったのが、峰隆一郎の「日本剣鬼伝・伊藤一刀斎」です。 この小説の要点はただひとつ、剣聖伊藤一刀斎の二人の高弟、善鬼と御子上典膳の後継者争いの結果です。 一般にこの結果は、乱暴者だが腕だけは立つ善鬼を、立派な武士である典膳が打ち倒したことになっていますが、 峰氏の解釈では勝者は善鬼です。そして彼がこの一件をもって師である一刀斎をも超え、 小野次朗右衛門忠明と名を変えて小野派一刀流を開き、これが後に北辰一刀流などに派生して現代の剣道にも 繋がっていく大きな流れの源流となる訳です。このアイディアは作者も気に入ったと見えて、 続編に当たる「小野善鬼」その他いくつかの長短篇でこの説に触れています。そして、それらの根底に 流れているのが、斬り覚えよという、最強の剣客であるための哲学。 多くを斬った者こそが強い、だから、生涯500人を斬った宮本武蔵は最強であり、同じくらい斬った善鬼も、 師の一刀斎を超える強さを身に付けたというのです。少し話はそれますが、現在のネットワーク環境で、 掲示板、あるいは自分のサイトで何がしかの主張を書き連ねている人たちは、 まさに斬り覚えている訳で、その切れ味は、 銀座で飲み歩いてるようなセンセイ方には及びもつかない早さで進歩しているのではないかと思います。 いずれ、引きこもってネットに浸りつづける人の中から、とんでもない大作家が生まれるのではないでしょうか。 あるいは、生まれつつあるか。

 「至高聖所」。この本が刊行されて間もない頃、読了直後の酩酊状態で書き殴った書評を 友人の作っている個人誌に寄稿しました。この友人にはいささか悪い癖があって、編集の際、 単に文章を掲載するだけでは物足りなく思うのか、しばしばその書き手が意図しなかったささやかな追加を 無断で加えてしまうのです。大手出版社や新聞社のしている改竄に比べればなんということもないのですが、 ただ、完成品を受け取った書き手にとっては不意打ちな訳で、場合によっては恥ずかしさ倍増で、 なんとも気まずい思いをしたりする訳です。じゃあ、彼がこの原稿に何をしたかというと、 でかでかとタイトルをつけたのです。それが、「私はただ癒されたい‥‥」。これは、恥ずかしい。 今と違ってまだ「癒し」と言う言葉が当たり前に使われることのなかった頃の話ですが、当時でさえ、 このタイトルは恥ずかしかったです。それが内容を正しく表しているだけに、恥ずかしさもひとしお。 そのうえ、現在のようにちちがでかいと癒し、というような、 何とも末期的な風潮にさらされたりすると、このまま闇に葬ってしまいたいと思うのも、 無理からぬことではないでしょうか。
 ‥‥少しコメント付けに飽きてきたようです、尊敬する松村栄子さま、ネタに使ってすいません。 そんな次第なので、残りの歴史もの2篇は軽く流します。「カルタゴ興亡史」、ローダン翻訳で知られる 松谷健二氏の本業。この人も、斬り覚えた口なのかも知れません。生き生きとしたハンニバルに出会い、 すっかりカルタゴに参ってしまいました。「王家の風日」、宮城谷昌光氏の最高傑作だと思っています。 受王(紂王)という歴史的悪役を君子として描ききった稀有の作品ではないでしょうか。ゲリラ的に暗躍する 太公望との対比も面白く、これを期待して後に買った「太公望」では、太公望のあまりの聖人君子っぷりに がっかりしました。