羽虫

 一息つこう。私は筆を床に置き、コーヒーをすする。
 私はいわゆる売れない画家という者だ。この世界に身を置いて二十年はなるかというキャリアだけは無駄に重ねてはいるが、大きく売れたという憶えは無い。
 ただ、細々と食って暮らしていけるだけ程度の才能は持ち合わせていたらしく、それで何とか生きてはいる。
「ん、さて続きを描くか」
 私はうんと、背伸びしてまた仕事に取り掛かった。
 今回の作品は我ながら自信作だ。ある日夢に出てきたものの絵をキャンパスに叩きつけている。
 その名も夢に出てきた虫。
 不思議な夢だった。
 芋虫のようなものが蝶の羽を出して羽ばたいているのだ。それはどこか今の自分に重なるものを感じ、強烈に私の記憶に刷り込まれた。
 解釈をするのなら、地面を這いずり回っている今の自分から飛びたいが、変わりたくも無いという我侭の象徴ともいうべきだろうか。 
 とにかく私はそのイメージがあまりにも鮮烈な為、それを一心不乱に叩きつける。
 それこそ吐き出すように。
 何となくこれは自分にとって最高傑作になるのではないだろうかという予感がした。
 私はそれを完成させ、早速絵画展で発表した。
 予想以上にそれは評判が良く、私はすっかり上機嫌になる。
 絵の解釈は世間に任せてみたがやはり同じようなものを受け取った。現代の時風にうまくはまったのだといえよう。
 思わぬ収穫を得て暮らしていた私にある日、客人が来た。
 客人は私にこう言う。
「あなたは見てしまったのですね。それを」
それ?私は一瞬何の事だかわからなかったが次の客人の台詞でそれが何かは判明した。
「それ、虫羽様を」
客人が言ってたのは間違い無くあの絵のことだった。だが、様とは如何に。
「あれは世界を司る神なのですよ。それをあなたごときが見るなんてなんて恐れ多い」
私は瞬時に理解した。この客人はどうやら「痛い」人らしい。まともに相手しては疲れるし、第一何をしてくるかわからないので危険だ。
 私は彼をなだめすかして何とか帰ってもらうことにした。
 いろいろ何を言うかは考えたが取り敢えず無難な会話を繰り返し、その場を過ごす。
 客人はそれに対し、私に神を描く資格など無いだとか、無礼者だとか散々な事をわめきちらすが、私はなんとか我慢する。ここで怒ってことを荒げては大変な事になるのはわかっている。
 2時間ほどぐちぐちと言われたが客人は納得したのか疲れたのか、言いたいことだけ言って帰っていった。
 私は客人を見送りながらやれやれだと溜息をつく。
 この世界には長くいるが有名という訳では無かったのでこのような客人に会うのはそうは無かったのだ。
 所謂有名税というやつなのだろうが、これは少し勘弁して欲しい。
 明日からは訪問者には先にチェックしておくかと私はぼんやりと考えた。
 翌日私は家の呼び出し口にインターホンをつけ、訪問者が来たときに事前にチェックできるようにした。
 それを取りつけ暫くしたある日、訪問者が来た。
 私は誰かを確かめる。するとそこにいたものは。
 羽の生えた虫だった。
 虫は私にこう言った。
「勝手に私の姿を使うとはけしからん。肖像権の侵害だ」
 私はやれやれとあきれた。
 世界を司る神と言うやつはどうやら思ったよりも即物的なようだ。
 この場合有名税と言うのはどちらに対して使われるのだろう。
 
                        END

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