奇跡の男

 それは偶然なのだろうか。
 男はそれがよくわからなかった。
 何が起こっているのか。
 凄惨とも言える交通事故の中、男は無傷で立っていた。
 男はただ呆然と辺りを見回す。
 凄まじい轟音と血の海が一面に広がっている。この世の地獄と言っていいのかも知れない。
 その様子を遠くの方でギャラリーが恐る恐る見ている。
 少しすると救急車がやって来た。赤い赤い光だ。
 だが、しかし。
 周りでうめく者などいやしない。
 皆、即死しているのだ。
 男はそれなのになぜ自分が立っているのか不思議だった。
 強運というべきなのだろうか。男は事故がどんなものだったか改めて確認した。
 ガソリンを積んだ燃料車がバスの前を走っていた。それがどういった理由かはわからないが、突如大爆発を起こした。無論、ほとんど距離をとっていなかったバスはもろにそれに巻き込まれ、ものすごい勢いで巻き込まれたのだ。
 それからは阿鼻叫喚。
 たっぷり数時間は続いた。
 そして。
 今だ。
 男はそのような状況でなお立つことができる自分に酔いしれた。
 素晴らしい。
 どうやら私には神がついているようだ。
 男は悲惨な事故とは無関係に薔薇色の未来を想像する。
 取材攻勢。TV出演。出版『いかにして私は助かったか』。
 この事故は自分の未来を照らす為に生まれたイベントだったのだ。
 男はそう考え、徐々に集まる救援の人々を見守った。
 人はどんどん集まり、TV局も来た。かなりの人だかりだ。
 男は不謹慎なまでにわくわくしながら、インタビューに答える準備をする。
 ところが。
 誰も話しかけてこない。
 どういう事だ?あまりにも無傷なものだから見物の人と間違えられているのか?それではせっかくの奇跡がだいなしではないか。
 男はたまらず、汗を玉のようにかきながらレポートしている人に話しかけた。
 しかし、無視だ。
 仕事を一生懸命にという事だろうか。
 男はそこで別の人に声をかけてみた。
 やはり、無視だ。
 けしからん。
 ここに奇跡の男がいるというのに、知らん顔とは何事だ。有名になったあかつきにはこのTV局の態度を大々的に言ってやらねば。
 男はそう思いながら別の人、また別の人へと話しかけていった。
 そして時間が過ぎた。
 辺りにはもう誰もいない。
 あるのは道路の片隅にそっと添えられた花束だけだ。
 それでも。
 男はまだ薔薇色の未来を夢見ていた。
 
 そろそろ気付いても良さそうなのにねえ。
 
                         終

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