シャッター
カシャリと音がした。 僕はその音に気付き後ろを振り向く。 その音の先には別れたはずの彼女が立っていた。手にはカメラを持っている。 「元気だったか」 僕は彼女にできるだけ素っ気無く言った。一ヶ月ぶりに彼女に会って激しく動揺している事はなんとなく知られたくない。 それを知ってか知らずか、彼女は、 「写真。その内送るから」 と、少し寂しそうに言い、そのまま僕の前から走り去ってしまった。 僕はその時、彼女がそのまま走り去っていく事にやたらと悲しくなったことだけは覚えている。 彼女と会ったのはほんの偶然だった。 大学に入学して一月経った頃、大学の構内の廊下の曲がり角で出会い頭にぶつかったのだ。 僕は彼女をとっさに手を差しのべて起こしたら、 「ふふ。少女まんがみたいね」 などと彼女が言ってきた。 僕は彼女が言った一言が見事につぼにはまり、その場で笑った。彼女も笑った。 こんなにドラマチックな出会いはそうは無いだろう。 僕達が彼氏彼女の関係になるのには、それから多くの時間を必要とはしなかった。 彼女と一緒に住み始めたのは出会ってから三ヶ月ほど経ってからだ。 「ほとんどいない部屋の家賃なんか払っても仕方ないでしょ」 と彼女は笑って言った。 僕は彼女の言葉にかなり舞い上がって、僕には彼女しかいない。と本気で考え始めたのもこの頃だった。 彼女は僕の考えを察したのかように、常に一緒に行動するようになった。 彼女の誕生日のその日、僕は買い物をした。 僕はその日の為にアルバイトで貯めたお金で指輪を買った。 彼女はその指輪を指に入れ空にかざしながらくるくる回る。 演技じみた動作だがそれが彼女の素だ。そんな彼女がたまらなく愛おしかった。 安物ではあったけど、彼女はすごく喜んでくれて、僕もすごく嬉しかった。 そんなある日、彼女の家に遊びに行った。 ものすごく緊張したけど、彼女はいいからいいからと言いながら僕をぐいぐいと引っ張っていった。 そして会った彼女の父親には何故か一目で気に入られてお酒を一緒に飲んだ。 親父さんは気さくでとてもいい人だった。 それからたった一月後。 彼女の両親が事故にあった。 彼女が激しく取り乱す中、僕は彼女を叩いた。 考えみれば、その時初めて彼女に手をあげたのだった。 両親は事故から一週間後、静かに息をひきとった。 この時の事は今でもあまり思い出したくない。 ただ、ここから全ておかしくなったことだけは確かだ。 独りぼっちになった彼女は僕に大学を辞めると言った。 僕はうちの両親も何とかすると言ってるし、考え直してくれと話す。 彼女は既にうちの両親とも会っていたし、親たちも彼女をとても気に入っていた。 彼女が辞めると言い出す前から母親から僕に何とかしようと電話もあった。 彼女はその申し出を泣きながら喜んでいたが、結局辞めさせる事を止める事はできなかった。 彼女は大学がどうこうよりも一人になりたかったのだ。 僕は結局、彼女が家から出ることも止めることができなかった。 それから彼女は僕の前から姿を消した。 出会ってから三年目の桜が咲き乱れる頃だった。 彼女はそして今、唐突に現れあっという間に去って行った。 僕は彼女を追いかけたかったが、何故だか追いかける足が止まった。 何故かは自分でもよく判らない。 ただ、ここで捕まえても、彼女は捕まらないのでは無いだろうかと思ったのだけは確かだ。 戻るときは彼女の方から戻るはずだ。 そう信じたい。 それから暫く経った。 僕の住むアパートに一通の郵便が入っていた。 彼女からだった。 そこには十数枚の写真と、短い手紙が入っていた。 写真は観光地らしいあちこちの風景と、桜並木、そして、あの時の僕の姿だった。 続いて手紙を読む。そこにはこう書かれていた。 『いろいろな風景を撮っています。 北の方の肌寒さを感じつつも、今はこの肌寒さが気持ちいいです。 そちらは御元気ですか? 私はあと少しです。 自分の笑った写真を撮れたら…… その時は、また、いや、いいです』 僕はその手紙を読んで、少し泣いた。 彼女は今日も泣いてないだろうか。 いつ笑っていていてくれるだろうか。 僕は旅の準備をした。 彼女のカメラが自分の笑顔を撮る時、僕はそのシャッターの音を聞きたい。 END |