わたしにとって、彼女に関する第一の感想は、その寛容性というか、おおらかというか、まったくもって考えなしというか、しっくりする言葉はあいにくと思い当たらないが、まぁ、そんなようなもの、としかいいようがない。――他に類型を見出せないからだ。

 友人が、人間ではないもの、と知っていてなお、彼女はその付き合い方も、そして彼女自身の考え方も変更していない。――いや、おそらくは観測不能な点でもって変化しているのだろうが、現時点においての観察では、それを見出すことはできない。――あるいは、わたしにはできない、というべきか。なるべく客観性をもってこの観察は続けられているが、なにしろ彼女の友人というのはわたしも含まれており、この場合どんなものでも不確定原理の下、絶対的な観測ではないのだからだ。

 それでも多少でもこのことが有意義だとすれば、それはわたし自らの安心を得るための行為である、ということだろうか。常に自身の現状の位置を把握していないと落ち着かないのは性分だ。人間でも言うだろう。いわく『三つ子の魂百まで』と。あえて言うまでもないが、これは比喩表現である。――なぜならわたしには魂がない。

 わたしは自動人形だ。銘はない。名前ならあるが、おそらくこの場では意味がない。なぜならこれは、いつかの夢、だからだ。自動人形も睡眠をとる。それはおおよそ、人間と同じ意味を持っている。――起動していた時の情報を整理するためだ。それらが結合して、わたしも夢をいうものを見ることができる。

 ふと、思い出す。たしか、夢を見ることがあると、彼女に告げたとき、彼女はなんと言ったのだろうか。――めずらしく忘却という人間的行為をしたわたしは、それこそ夢うつつのまま、情報の整理をはじめた。切れ端を集め、それらをつぎはぎし、夢を構築していく。――願わくば、次回の起動時まで覚えていられんことを。

 たとえば夜明けのように。たとえば夕暮れのように。昼と夜。光と影。そして人と、魔。この世界に明確な境界線は存在しない。
だからこそ、その狭間に揺れるモノがいる。それが半魔。魔物でありながら人の世界に生きようとするモノたち。吸血鬼。人狼。自動人形。他にも多種多様な魔物たちが、この世界には関わっている。それら全てが人の世界に足を踏み入れることを好んでいるわけではないが、しかし決して人は世界の支配者ではない。

 半魔たちは人の中、息を潜めるように生きている。彼らにはそれぞれの事情と理由があり、望むにせよ望まないにせよ、仮の姿をまとって生活しているのだ。

 その日は、夕方から雪が降ってきていた、と思う。ついに、という顔で彼女が空を見上げたのを覚えている。――彼女は寒いのが苦手なのだ。

 半魔として生きている以上、わたしにも人間的な日常を過ごす場所がある。それが彼女も通う学校だ。わたしはどうやら高校生というものの、さらにわければ女子高生という種別だそうだ。もちろん、彼女もそれに含まれる。そのことに素朴なうれしさを感じることもあった。――彼女はわたしの親友であり、そしてわたしが半魔であることを知っている数少ない人間だった。

 授業と言う退屈な時間は終わり、放課後へと移った教室は閑散としていた。学校に誰一人いない、というわけではない。遠くからは運動部の練習の声、吹奏楽部の練習している音楽などが聞こえ、まったくの静寂ではない。

 しかし、それでも、お互い以外誰もいない教室にたたずんで、感じるのは、どこか、心細げな、寂しいといったような情緒であった。

 用もなく、残っていたわけではなかった。彼女は図書委員であり、わたしは彼女がその役目を終えるのを待っていたのだ。図書館からそのまま下足箱に行かなかったのは彼女がいつものように忘れ物を教室にしたからだった。わたしが当然のようにそれに着いていったのは、今日、このまま彼女の家にお邪魔する予定となっていたからだ。

「傘、持ってきてないんだけどなぁ…」

 窓に寄って、彼女は物憂げに言った。寒さは厚手のコートで防げるだろうが、雪はまだ別なのだろう、きっと、おそらく、彼女にとっては。

 正直なことを言うと、わたしにとってはあの大げさなコートは排熱において非常に非効率であろうと思えるのだが、それでも不安なのだろうか。――わたしは彼女とは逆に寒さには強かった。もらい物の安っぽいジャンパー一枚でこの冬は乗り切るつもりであった。自動人形であるわたしには気温の高低などあまり影響はないのだが、こうして人間的なことをするのは、少し楽しかった。

 彼女の側に行き、つられるように窓から曇天を見上げる。ゆっくりと落ちていく白い結晶は、紛れもなく雪だ。しかし、その数は少ない。おそらく、積もることはないだろう。もう少ししたら雪そのものも止み、天気はただの曇りに変わるだろう。落ちて、ただ消えていく。そんな存在がわたしと彼女の前に、ガラス一枚隔ててあった。

 ぼんやりと、それを見続ける。いや、この表現は正しくないのかもしれない。この時、わたしはとりとめもないことを考えていたのだから。――ああ、やはりそれは、ぼんやりというべきだろうか。まったく答えも応えもないことを、つらつらと考えていた。

 感情移入、していたのだろう。その前に放課後の学校と言う状況において情緒が不安定だったのだろう。そういう分析が成り立つ。しかしこれは解であっても答ではない。

「――ど、どうしたの? なんで、泣いてるの?」

「え……?」

 わたしの変事に先に気づいたのは、わたしではなく彼女の方だった。反射的に、頬をぬぐう。そこは濡れていた。どうやらこれは目からあふれたもののようだ。

「はい、これ」

 彼女に言われるままに、わたしが手にとったのはハンカチであった。いつの間に出したのだろう。彼女の普段は粗忽にしてうっかりに尽きるが、奇妙なまでに鋭い時がある。今がそれだというのか。手にとったハンカチを見つめながら引き続きとりとめのないことを考えると、彼女は何か誤解したのか、大慌てでしどろもどろに言った。

「あ、大丈夫だよ。それ、洗ったばっかだし。予備ならいくらでもあるし。もう、鼻をかもうが何に使おうが、気兼ねなく好きにしていいよ」

 そういうことで、使用を逡巡していたわけではないが、まぁ、そこまで言われて使わないわけにはいかなかった。彼女らしい、おとなしげだがかわいらしいハンカチで、わたしは涙をぬぐった。

「ありがとう。洗って返すね」

 涙は止まった。元よりそれ程流れていたものではなかったが、彼女の手前、少し大げさに拭いて見せていた。――彼女が安心するように。

「でも、ハンカチないと困るでしょ? あげるから、それ。好きに使って」

「いいよ、似合わないから。ハンカチの一枚もないわけじゃないし」

 確かに自分にはこういったものは似合わないだろう。

 かわいい、なんて言われたことはない。凛々しいとは言われたことはあっても、だ。クラシカルなブレザーが包む身体はすらりとした印象の、機能を追及したための長身であり、まっすぐな長い黒髪は自動人形として機能を果たすとき、排熱の役目を果たすためである。――それに、わたしの容姿が整っているのは作り物だからだ。よって外見をほめられてもうれしくもなんともない。

 対して彼女は、小柄にして童顔。高校生とは思えないほどですらあった。その外見に応じるかのように肉体的ポテンシャルは低く、何もないところでも転ぶような彼女だった。しかし、それこそ彼女の本質。愛嬌、とでもいうのだろうか、誰しもが彼女を憎めない。
そんな彼女のハンカチ。わたしにはまったく異質であり、嫌いではないにしろ、それがポケットに入っていることで落ち着かない気持ちになることは予測できた。

「――それで、なんで泣いてたの?」

 彼女はまっすぐに聞いてきた。身長差があるため、その視線は上向きだ。だと言うのに、その瞳に、わたしは気おされた。ごまかしは通じないだろう。むしろ、ごまかしたくはない、とわたしは思考のどこかで感じていた。

「なんだかね。雪を見ていたら、うっかり考え込んじゃって。
 ――わたしはいったい、なんなんだろう、ってね」

「え……。それってどういう意味?」

 見詰め合ったまま、わたしは感情を抑えながら言った。また、泣き出しそうだったからだ。なぜ、泣きたくないか。それは目の前の彼女に心配をかけさせたくないから。

「わたしはどう言い繕っても人間じゃない。人間を模して作られた人形。それがたまたま、自動的に動くようになったにすぎない。こうやって人間のふりをして生きているけど、いつこの雪のように溶けて消えてしまうか、その下の魔物としての性が出てしまうかわからない。――そう思ったら、なんだか、涙が出てね」

 悲しくて出た涙じゃない。あれは、ただ、感情の堤防があふれた結果としての現象だった。

 そんなわたしを、彼女はじっと見ていた。やがて、彼女はぎゅっとわたしを抱きしめてきた。彼女はわたしの胸までしかない。そこに彼女は額を押し付け、腕をわたしの背に回して、わたしを、暖かく抱きしめてくれた。その声は優しく、まるで雪のようだった。

「大丈夫だよ、今が幸せだから。そんな風に迷っちゃうんだろうけど。でも、大丈夫。自分から諦めない限り、手放そうとしない限り、絆は、絶対切れないから」

 ――今が、幸せ。

 ――そういうことか。こんな風に、迷うという現実逃避が許されるということは、わたしは幸せなんだろう。だから、それを失うことを怖がっているんだろう。

「――ねぇ?」

 ――だから、こんな言葉を言ってしまうのだろう。試すように、すがるように、わたしは胸の中の彼女に言った。

「――わたしには、魂がない。代わりにゴスペルエンジンという代用品が入っていて、それでわたしは人間のふりをすることができる」

 魂すら模造品。それがわたしのような自動人形だ。それがために自分を創ってくれた主人に尽くす。それが生まれ出でた理由だからだ。それが人間でいうなら魂に刻まれたものだからだ。――しかしわたしは、主を失った。それでもまだ生きている。いや、動いている。何のために、という疑問は、主を失った時からあった。模造品の魂は、なぜまだわたしを動かすのか。なぜあの時、壊れてしまわなかったのか。なぜわたしは、まだ主のいたころのように人間のふりをし続けているのか。――我を思う、ゆえに我あり。存在することが自分というエゴを表すものならば、わたしのエゴはいったいなんだろう。

 わたしの言っていることを、理解しているのかどうかはわからないが、彼女は顔を上げ、わたしの胸の中で再びわたしをまっすぐ見つめた。

「自動人形としてのわたしと、人間としてのわたし。主を失った粗悪品の機械として動くわたしと、人間のふりをして、生きているふりをするわたし。どっちが本当のわたしだと思う?」

 わたしは彼女と視線を絡めた。彼女はまごうことなき人間。そこにあるものは、わたしと違ってすべて本物だろう。わたしのそれはすべて、学習的なもので、人間だったらこうする、というまがい物的な感情と情緒と思考だ。

「――あのね。わたしには、魂がどうとか、そんなことはわからないわ。わたしも自分がそんなものを持ってるかなんて確かめた時ないし。でもね――」

 彼女は、わたしの背に回した手で、わたしをぽんと、軽く叩いた。

「心なら、あるよ。ここに、あるよ。模造品でもない、キミの心が」

「でも、わたしは――」

 わたしの感情は、と言いかけた時、彼女はニッコリ笑った。それで、わたしは言葉を失った。そんな笑顔のままで、彼女は続けた。

「例えキミが、どういうヒトであっても、キミはわたしの親友だよ」

 ――ふと、気づく。主はもういない。この世のどこにもいない。しかし、わたしは今、親友を得た。

 非常に人形らしくないが、たぶん、きっと、そんな不確定ながらも運命的な言葉で表現するならば、彼女と出会うためにわたしの今まではあったのだろう。そう信じることができる。それこそおそらく、心の実証になるだろうか。――心、か。今のわたしは彼女の側にいることを、それこそエゴとして望む。それが、わたしの心。

 何を言って返すべきか、まったくわからない。これまで覚えてきた人間の模倣では該当するものが、わたしの中に存在しない。
だからただ、わたしは、彼女に一言、

「――ありがとう」

 と告げるだけだった。

 それに彼女は答えず、ぱっとわたしから離れて、それでもその手はわたしの手を握っていて、そして言ったのだった。

「さぁ、帰ろう。今日はゆっくり朝まで一緒に遊ぶんだからね」

 外に出ると、すでに雪は止んでいた。予想通り、一片の白もアスファルトには残っていない。わたしは寒そうにマフラーを巻く彼女に言った。

「なんだか、夢みたいな雪だったね」

「あはは。なんだかロマンティックな表現ね。――でも、あれ? キミって夢を見るの?」

「? 見る、けど?」

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか? って知らない?」

 他愛もない会話は続いていく。家路の終わりまで。朝が訪れる、その時まで。

 眠りから覚めたわたしは、ベッドからゆっくりと身を起こした。夢を見ていた。それは覚えている。しかしそれがいかなるものだったのかは忘れてしまった。だが、ひどく幸せなものであったのは、なぜか忘れてはいなかった。

 季節は冬。カーテンの隙間から望む世界には雪が降っている。ふと、一瞬、まだわたしは眠っていて、これは夢なんじゃないか、と思う。真っ白な雪が残影を残しては視界から消えていくのをみて、わたしはふと理由もなく不安を覚えた。

 そんな他愛もない夢想を振り払い、わたしは現実的な行為に移った。さぁ、制服に着替えよう。そして朝食をすませた後は彼女を家まで迎えにいくのだ。一緒に登校する約束をしているのだから。寒いのが苦手な彼女は、こんな日は出発に時間がかかる。早めに家を出るとしよう。

 絆とエゴの終わりのない夢が、まだ続いている。

     end

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