「恭哉が―――悪いんだからね・・・。」

 

もう何度も繰り返した言葉を、私の膝の上に頭を預けて未だ目覚めない彼に向けて呟いた。

恭哉は人当たりも良く、誰からも信頼され好かれるタイプだった。

そんな彼を私は幼馴染として、まるで我が事のように誇らしく思いながらいつも眺めていたものだ。

その感情が一変して、恭哉を自分だけのものにしたいと思うようになったのはあの時からだろうか。

きっかけは単純だった。

恭哉に好きな人ができたと知ったその時から、私の胸の奥で昏い炎のようなものがくすぶりはじめていた。

いつだったか、恭哉が彼女と一緒に歩いているのを後ろから見かけた時、私の胸の内は悔しさと怒りと嫉妬で

溢れかえった。

恭哉の隣にいるのはいつだって私でなきゃいけないのに。あんたなんかが居ていい場所じゃないのに。

 

――――どうして、私だけを見てくれないの。

 

心の何処かで理不尽な考えだというのは分かってた。面と恭哉に向かって好きだと言った事も無いのだから。

けれど、恭哉がどんどん遠くへ行ってしまいそうな焦燥感は、日ごと夜ごとに私の理性を蝕み侵していった。

どんなことをしてでも、恭哉に自分だけを見続けて欲しい、――そう思うほどにまで。

そんな月の綺麗な夜だった。私が主人(マスター)と出会ったのは。

背徳と冒涜をない交ぜにしたような紅い瞳。

月明かりに白く冴え渡る、けして満たされない渇きを象徴する口の両端からこぼれる牙。

満月を背にして立つその姿を見た時、私は初めて吸血鬼というものが本当に存在していたのだと知った。

聞く者全てを魅了するような響きを帯びた声で、主人は言った。

 

―――それほどに欲しい、自分のものにしたいと思うのなら力ずくで手に入れればいい。お前が望むのならば

力を貸してやろう、と。

 

あまりにも魅惑的な、それでいて少し冷静になって考えればそんな甘い話などないというその誘惑の言葉を、

私は迷うことなく受け入れてしまっていた。

一途だったと言えば聞こえはいい。

けれど、結局は安易な道へ走ったに過ぎなかった。

永劫とも思える寿命、人間をたやすく引き裂きその命を略奪することが可能な力、それらと引き換えに私は全

てを失い、諦めざるを得なかったのだから。

 

人であることと、人としての生活の全てを―――。

 

所詮、永遠の命とは永久(とこしえ)の苦悶と表裏一対のコインの裏返しに過ぎない。そんなことにも気づけ

ないほどに、その時の私は無知で愚かだった。

――いや、たとえそこまで考えが至っていたとしても、結局は同じ運命だったのかもしれない。要は望んで受

け入れたか、そうでないかの違いだけだ。

だが彼を、恭哉を手に入れるためなら何もかも捨てても惜しくないと本気で思っていた。

洗礼を与えられてすぐに私は恭哉の家へ向かった。気のせいかは分からないが、この上なく心も身体も軽かっ

た。

当然、深夜だから玄関には鍵がかかっている。

だが鍵は相手がヒトだからこそ意味があるもの―――ヒトじゃなくなった私には用を成さない。

恭哉の部屋にはまだ明かりがついていた。

室内灯が淡くカーテン越しに洩れているのが視界に入った時、無意識の内に獰猛な笑みを浮かべていた。

 

―――まるで、獲物を見つけたケモノのような。

 

私は一息に二階のベランダまで飛び上がり、カーテンの隙間から覗き込んだ。

恭哉は椅子にもたれて微睡んでいた。これ以上無い無防備なその姿を目にした刹那、私の理性は半ば消え失せ

た。

熱に浮かされたかのようにふらふらと部屋に侵入し、傍らに立つ。

気配を感じたのか、恭哉が目を覚ましてこちらを見てその顔色が驚愕に染まった。

その反応に、私は少し戸惑いながらも話しかけた。

「どうして?――どうしてそんなに怯えるの? 私だよ、流伽だよ。」

笑ってしまう。今日の放課後に立ち分かれた相手が今バケモノとなって目の前にいるのだ。怯えて逃げるのが

正常な反応なのに。

そんな支離滅裂な考えを押し流すほどの身体の奥底から湧き上がる衝動に身を任せて、私は一歩、また一歩と

歩み寄り、彼はそれに合わせて後ずさっていく。

それを見て、少しだけ悲しくなった。

――恭哉の為に私はヒトを捨てたというのに。

「ば・・・バケモノ・・ッ・・!」

 

「―――――――――――――――!!」

 

必死の形相で恭哉が言い放ったその一言を聞いた瞬間、私の最後の何かが切れた。

やり方はわかっていた。恭哉を抱きすくめ、温かくも熱い血の流れる頚動脈を噛み破り、溢れる鮮血を音を立

てて嚥下する。そして私の血を恭哉の体内に流し込んでゆく。

恭哉の血はこれ以上ない程―――――――甘かった。

初めての吸血は情事にも似て甘美なものであり、より強く抱きついて恭哉の血を味わった。

その時力が入りすぎたのか、ごきり、と首の辺りから嫌な音がしたが、血に酔っている私は構わず牙をこれで

もかと喰い込ませた。

 

―――これで、これでやっと私だけを見てくれる。

 

自然と笑いが零れるのが抑えられなかった。果ては躁じみた、けたたましい声をあげて笑っていた――。

 

 

吸血を終えた後、私は恭哉を膝枕して外の月を眺めていた。満月の光が寒々しく電気を消した室内に差し込ん

でくる。

あれほどの衝動は引き潮のように跡形も無く消え、私の胸の中は、後悔と満足感と虚しさとが複雑に絡み合っ

て満たされていた。

私自身のエゴで恭哉を“こちら側”に引き込んでしまったことの後悔。

恭哉が私だけのものになったという満足感。

永劫に生きなければならないことへの虚しさ。

その感情のあまりの重さに潰れてしまいそうだった。

だから、全て恭哉の所為にすることで自分を保とうとしたのかもしれない。

 

「恭哉が―――悪いんだからね・・・。」

 

そう呟き続けることで―――。

                                          ―END―


 

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