文明は衝突しない

先日、グラウンド・ゼロで行われた9・11の追悼セレモニーに於ける、犠牲者の遺族の
方々の悲嘆にくれた姿は、大変に痛ましいものでしたが、アフガニスタンとイラクでも、
米軍の攻撃によって何の落ち度もない多数の民間人が亡くなったのです。
いったい米国人は、家族を失ったムスリムの人々の悲しみに、思いをはせることがあるの
でしょうか?彼らの心の痛みを思いやることができる米国人は、おそらく少数派でしょう。
9・11以後、米国で生活するムスリムへの迫害が激しくなってきているそうです。
米国の自由と平等は、異教徒には絶対に認められることはないのです。
今後、米国はテロとの戦いに全精力を費やし、国力は疲弊し、人々は毎日おびえた生活を
送ることになるでしょう。
一円を笑う者は一円に泣き、力を頼る者は、力によって復讐されるものです。

米軍はイラクで苦境に立たされています。
米国は確かにフセイン体制を崩壊させはしましたが、建国200年そこそこの、武力しか
信じることのできない経験の浅い新興国家の米国が、人類の文明発祥地に栄えた偉大なる
ペルシャ帝国の末裔たちに、いいようにあしらわれている。と言うのが現実の姿です。
これは民族の格の違いとしか、言いようがありません。
もともと複数の部族が群雄割拠していた、この地域の人々にとっては、中央政府が消滅し
たことなど、痛くも痒くもないのです。彼らはフセインの圧政から解放されて、自ら考え
行動することのできる喜びにあふれているようにさえ見えます。
イラクの武装勢力は「米軍が撤退するまで攻撃を続ける」と述べていますが、私は、核や
トマホークなど持っていなくとも、超大国と対等に渡り合えるものなのだ。と感銘を受け
ている今日この頃であります。
イラクの人々の、かくも厚き信仰心と、民族の名誉と生存を懸けて、自らの命も顧みずに
勇敢に戦う姿は、私たち日本人が、久しく忘れていたものを思い出させてくれます。

米国はイラクでも、かつての我が国のようにスムーズに占領統治が進むと考えていたよう
ですが、米国は我が国の占領期間中に、何も学ばなかったようです。
我が国が一見、米国におとなしく従っているように見えたのは、先ず第一に、天皇陛下の
復興への呼びかけに応えなければならない。と言う崇高な使命感からであり、また米国の
進んだ科学技術を、この際吸収してやろうと言う打算もあったし、とりあえず単純な米国
人は、おだてあげて下手に出たほうが得だ。と言う、日本人特有のしたたかさに他ならな
かったのです。
さらに、イラクと我が国の決定的な違いは、その宗教観の相違であります。
日本人は、生まれながらにして神道者であります。
神道は、大いなる寛容の精神を持ち、それが自らに益するところ大であるならば、素直に
これを受け入れる事ができるのです。
ハーバード大学のサミュエル・P・ハンチントン教授は、彼の論文「文明の衝突」の中で
イスラム脅威論を説き、キリスト・ユダヤ教対イスラム教の対決の構図を示しましたが、
これは結局、一神教世界内部の醜い争いと言わざるを得ません。一神教徒は、異なる信仰
の存在を許すことができず、世界を闘争の場としか捉えることができません。
一方、多神教たる
神道の世界においては、文明間の衝突など、あり得ない話なのです。
個々の文明は、等しく並び立つものであり、そこには優劣の差などありません。
また、異なる伝統・文化・宗教を持つ異なる民族は等しく尊い命であり、すべての民族は
お互いを認め合い共に生きていく。と言うのが神道の世界観なのです。
イラクの人々は、米軍の撤退を早期に実現したいのならば、何よりもまず、米軍との武力
闘争をただちに中止し、宗教の相違を超えてプライドを捨てて、キリスト教国家の進んだ
技術を吸収して、イラクの復興と近代化に全力を尽くすべきです。03/09/13
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