2大政党制ではだめ

11月9日の投票日に向けて、衆議院議員総選挙の選挙戦も一段と熱を帯びてきました。
私の自宅の近所でも「お休みのところ大変申し訳ありません。」などと言いつつ、大音量
の選挙カーが走り回っています。
今回の選挙は民主党と自由党が合併し自民党に対抗しうる勢力となり、我が国に本格的な
2大政党制を実現するための、政権選択選挙と位置付けられているようですが、私はこの
2大政党制というものには、どうしても違和感を禁じ得ないのです。
なぜ、多党制ではいけないのでしょうか?
現在の我が国の社会は、決して均質なものではありません。バブル崩壊後、国民の間には
階層化が進み所得格差を始めとした様々な不平等が顕在化しつつあります。
それに伴い、国民の政治的な要求も多様化してきました。
このような状況の中で、自民党と民主党というたった2つの政党の政策に、多様な国民の
願いを収斂することは、果たして可能なのでしょうか?
おまけに両党のマニフェストなる夢のような政権公約には「大した違いはない。」と言う
意見が大半を占めています。
こんなまやかしの2大政党制の下では、弱者や少数者や異端者の存在は全く無視されるこ
とになるでしょう。

そもそも政党とは、
E.バーク氏の定義によれば「ある特定の主義、または原則において
一致している人々が、その主義または原則にもとづいて国民的利益を増進すべく協力する
ために結合した団体である。」
とされ、この定義に忠実に従えば、多様な国民的利益や、
価値観を政治に反映させるためには、個々の価値観や政治思想にもとづいて行動する政党
が分立する多党制を採用することこそが、民主主義の理念に適うものであります。
多党制の下では、当然、一つの党が議席の過半数を占めることは、ほとんど不可能なので
複数の政党による連立政権を採らざるを得なくなります。
連立政権は、政局が不安定になるという批判もありますが、私は、むしろ、連立のほうが
刻々と変化する内外の複雑な情勢に、柔軟に対処しやすいと考えます。
単一のイデオロギーの下では、それに縛られて身動きが取れない事が多いのです。
連立であれば、複数の選択肢の中から、状況に応じた、迅速かつ適切な行動をとることが
できます。また、政党相互間のチェック機能が作用して、政治腐敗の抑制が期待できるで
しょう。あまり期待し過ぎてもいけませんが。

そして、私が多党制を支持する最も大きな理由は、つまり
2大政党制とは神道が忌み嫌う
一神教(キリスト教)の二元的価値観に、その源を発するものである
からであります。
二元的価値観の世界においては、人間の個々の行動にはそれぞれ2つの選択肢しか、用意
されていません。投票においても、有権者は、国の将来を託す政党が2つしか存在しなく
ても何の不満どころか不安も感じないのです。
英国と米国を御覧なさい。両国は伝統的に2大政党制です。両国はキリスト教を国教とし
両国民は二元的価値観を行動原理としているので、うまくいっているのです。
しかし、生まれながらに神道者である私たち日本人には、二元的価値観も、2大政党制も
なじまないものと言わざるを得ません。
実際、自民党は考え方が大きく異なる複数の派閥の寄り合い所帯ですし、民主党にしても
旧自由党、旧社会党、旧さきがけ、その他様々な政治勢力の、悪く言えば寄せ集めでしか
ありません。
私は、我が国に二大政党制が絶対に根付くことはあり得ないし、それは国を危うくする物
であると思います。一億二千万人の日本人には、一億二千万の価値観があり、夢や希望や
人生観があるのです。神々はその全てを等しく尊重するものです。
我が国の議会制民主主義においては、神道の大いなる寛容の精神に則って、我が国が現在
直面している、神武創業以来の国難に際し、各政党はイデオロギーの違いを超えて、共に
知恵を出し合い、力を合わせて、これを乗り切って行かなくてはなりません。03/11/02
トップへ戻る