どちらが市中引き回しだ

本日未明、イラク復興支援特別措置法が、参議院本会議で可決され成立しました。
イラク戦争は、大義名分のない米英による単なる侵略戦争であった。ということが、次第に
明らかになりつつありますが、我が国としては、日米同盟の手前、何が何でも、形だけでも
自衛隊を派遣しなくてはならない。と言ったところでしょうが、戦場の真っ只中に送られる
隊員はたまったものではありません。
そもそも古今東西、
同盟とは戦争を前提として結ばれるものであって、当事国の国内法に、
たとえそれが国家の最高法規たる憲法であっても、実質的には同盟が優先するものなのです。
だからこそ、よく考えもせずに同盟など結んではいけないのです。
この際、憲法第9条など無視して、いまだ全土で戦闘が続いているイラクで、不本意ながら、
活動させられる自衛隊員の生命を守る為に、武器の使用の制限は、ぜひとも、撤廃していた
だきたいものです。

イラクは深刻な社会不安に直面していることと思われますが、我が国の社会も、現在大変な
ことになっていると言わざるを得ません。
長崎の幼児殺害事件に続いて、東京では、小学校6年生の女子児童4名が監禁されるという
事件が起きました。
この両事件についての、鴻池防災担当大臣の発言が問題とされましたが、私は、この発言は
人間として極めて自然な感情であり、なぜ非難されなければならないのか?と不思議に思い
ます。
長崎の事件に対して大臣は「加害者の親は市中引き回しのうえ打ち首にすればいい」と発言
しましたが、殺害された幼児のご両親は、テレビカメラの前に素顔をさらされ、自宅も撮影
され、幼児の通っていた幼稚園の園長先生、ならびに担任の先生も取材を受け、葬儀の模様
を放映され、幼児の同級生とその母親も全てが撮影され、映像が日本全国に流れたのです。
これは言ってみれば、何の落ち度もない遺族とその周辺の人々、全員が「市中引き回し」に
あったのと同じ意味を持つのです。この国では「さらし者」になるのは常に被害者なのです。
監禁事件に対しては「少女の話も、加害者であるのか被害者であるのかよく分からない状況
だ」と述べましたが、そもそも4人のうちの1人の少女が、お金ほしさにいかがわしいビラ
につられて、他の少女を誘ったことから悲劇はおきたのです。
小学校6年と言えば、そこそこの分別をわきまえていて当然の年頃ではないでしょうか?
監禁されたのは、自業自得としか言いようがありません。

大臣の発言が問題なのではなく、この両事件ともに、わずか12歳の子供が引き起こしたと
いうことが問題なのです。
本来ならば、この年頃の子供というものは、自分の将来に何ら不安を覚えず、夢を語り夢に
向かって精進努力をするというのが、あるべき姿であり、かつての、日本の子供は、実際に
そうでした。また、崇高な道徳心を持ち、悪事に手を染めるには早すぎる年頃でした。
長崎の12歳と東京の12歳の子供は特別な存在ではありません。神を畏れることなく本能
のおもむくままに身勝手な行動をする子供が、現在、確実に増えてきているのです。
信仰なき生活は人を滅ぼすものです。本当にもう何度も言わせないで下さい。
信仰なき国家が、信仰なき社会が、信仰なき教育が、信仰なき家庭が、かくも愚かな12歳
を創り出したのです。

すべての日本人が、神道の精神に立ち返り、信仰の心を取り戻さない限り、いたましい事件
が今後も続くことでしょう。03/07/26
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