学習指導要領

今年のノーベル賞は、史上初めて日本人が二人受賞しました。物理学賞の小柴教授と
化学賞の田中主任です。この快挙は、近頃ろくな事がなく腐っていた私たちに、少なからず
励ましと希望を与えてくれました。
小柴教授は、一高から東大という戦前の典型的なエリートコースを歩まれ、田中主任は、
これまた難関の旧帝大、東北大の出身です。両氏に共通して言えることは、かつての画一的
な詰め込み教育のもとで熾烈な受験競争を勝ち抜いてきたということであります。
本論に入ります。
今年度より新しい学習指導要領が実施されました。その主な内容は、学校週五日制の完全実
施と小中高の授業内容の三割削減によって、子供に学校生活と家庭生活において「ゆとり」
を与えようというものです。さらに、授業とは別に「総合的な学習の時間」を設けて、その
使い方は各学校の自由な裁量に委ねるというものですが、これは今までの「画一的な教育」
ならびに「詰め込み教育」は罪悪であると言っているのに等しいわけです。
しかし、この新学習指導要領は、最近問題となっている「学力低下」にさらに拍車をかける
ことになるでしょう。ノーベル賞は遠くなってしまいます。
文部科学省は「ゆとり」が子供の学習意欲を引き出し、授業内容を三割削減し必要かつ十分
な基本的なことがらのみを教え、全員が百点をとれる授業、落ちこぼれのいない授業を目指
す、と意気込んでいますが、これは言って見れば、頭の悪い子供に、簡単なテストで百点を
取らせて、変に自信を植え付け、自分の本当の実力がわからない身のほど知らずを量産する
だけの結果に終わるでしょう。
またその話か。と言われるかも知れませんが、神道においては万物には陰陽の別があるとさ
れています。世の中には馬鹿がいれば利口もいるのです。物覚えの悪い子供もいれば良い子
もいます。全員が百点を取る必要はありません。百点満点を取る子もいれば零点の子もいま
すよ。そりゃ。零点の子を、この次はがんばれよと教師は叱咤激励し、クラスメートは励ま
しつつ皆で学んで行けばいいじゃありませんか。

教育とは、読んで字のごとく、教え育てるということであります。
小学校に入学したての子供の頭の中は、ほとんどからっぽです。ほんとに。
空の頭にありったけの知識を詰め込んでやることこそが、教えるということであり、教師の
役割なのです。明治維新後、政府は北から南まで、画一的な同等の授業で、金持ちの子供に
も貧乏人の子供にも等しく教育を施してきました。均質な教育が良質な労働力の源となって
我が国の高度経済成長を支えたことは、言うまでもありません。
現在の高度情報化社会において、覚えておかなくてはならない知識の量が、増えているにも
かかわらず、授業内容を削減することは時代に逆行した愚行に過ぎません。
次代を担う子供たちに、多岐にわたる分野の豊富な知識を吸収させることが、おろそかにさ
れるようでは、我が国の未来はありません。
ところで人間には、能力の差というものがあり、知識を吸収できる子とうまくできない子が
いるわけで、それが成績の差となるわけです。ちなみに私なんかは、高校時代定期テストで
数UBは二点、物理は六点、化学は十四点しか取れませんでした。百点満点のテストで。
理数系では完全に落ちこぼれでした。が、しかしBut、政治経済は駿台予備校の全国模試
で全国8位になったことがあります。
大切なことは、授業についていけない落ちこぼれを、作為的に無くす事ではなく、国語算数
理科社会といった様々な勉強をさせることで、子供に自分の適性や、自分は何に一番興味関
心があるのか?そして何が一番欠けているのか?ということを知らしめ、本人が将来の進路
を考える上での、指針を与えることではないでしょうか?02/10/18
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