御霊信仰

今年の元旦に、小泉首相は靖国神社を参拝されました。
小泉さんも、今年は随分気合が入っているなあ。と、私は感心しましたが、案の定、隣の
2カ国は、即座に抗議の声明を発表しました。特に中国のそれは、参拝は、来るべき6者
協議に悪い影響を与えるであろう。と言う、ほとんど脅しとしか言いようのないものでし
た。正月に神社へ初詣に行って、なぜ外国人から怒られなくてはならないのでしょうか?
中国と韓国は、A級戦犯を合祀する靖国神社への参拝は戦争を美化するものであり、絶対
に容認できない。と耳にタコができるほど、もう何十回も同じ台詞を繰り返しています。
まあ、もっとも、中国人と韓国人には、我が国の宗教観を理解できるわけでもないので、
たいして腹も立ちませんが、昨年10月に真宗大谷派の某氏が、直接、小泉首相に宛てて
靖国参拝は戦争美化に繋がるからやめろ。と言う内容の抗議文を送りつけた話には、正直
に申し上げて驚きました。おそらく某氏は、靖国神社の存在の意義も歴史的な背景も全く
ご存じないものと思われます。
そもそも靖国神社の創建は、
御霊信仰(ごりょうしんこう)に基づくもので、それは純粋
かつ自然な人間の信仰心の発露であり、そこには本来、卑しい政治的思惑などのかけらも
なかったのです。

御霊信仰とは、平安時代の初期に成立し、社会的に広範な範囲の人々を脅かすような災厄
の発生を、霊鬼的存在である
御霊(ごりょう)のしわざと見なして恐れ、かつこれを鎮め
ることによって、平穏を回復し、ひいては繁栄を実現しようとする信仰であります。
また、ここで言う御霊とは、非業の死を遂げた人間や怨みを残して死んだ人間の霊を指し
広く社会に災いや疫病を発生させますが、御霊を恒常的に祭祀することで、御霊の邪悪な
霊威を、天下国家を守護する力へと転化できるのです。
御霊信仰の代表的な例としては、醍醐天皇によって左遷され、不遇のうちに世を去った、
菅原道真を御霊として恐れ、道真を天神として神格化し、御霊から転じて国家の守護神の
一柱として崇め、後に、これが天神信仰にまで発展した。と言うことが挙げられます。
このように、我が国では古来より御霊の霊威を恐れ、これを神として祀ってきたのです。

幕末から明治維新の動乱の時代において、各藩では、戦いで命を落とした人々のために、
慰霊祭を行い、戦死者の霊を祀るための社(やしろ)を造りました。
特に長州藩には、このような社が数多く建てられたそうです。
明治元年5月、維新政府は「国難に殉じた人々の霊を合祀し慰霊をすべし」と言う太政官
布告を出しました。これを受けて、全国に招魂社が創建されることとなりました。
明治2年に、東京招魂社が創建され、戊辰戦争の戦没者3588柱が合祀されました。
その後、東京招魂社は全国の招魂社の総社として位置付けられ、明治12年に、靖国神社
となったわけです。
靖国神社の創建は、こうした古(いにしへ)より受け継がれてきた怨死者を悼む気持ちの
顕れに他なりません。
参拝が、どうして戦争の美化に繋がるのか私には理解できません。
内閣総理大臣にとって、戦争犯罪人の汚名を着せられ、処刑された人々が眠る、この社に
参拝することは、崇高な使命である。と言っても過言ではありません。04/01/20
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