陰と陽

神道大教四大信條要典第二章地恩第三節
「高皇産霊神、神皇産霊神は睦みの神であり、結びの神でもある。」
同第六節
「二神の御神徳には、陰陽の別があり、生物には雌雄を作り、又、強には弱、有情には無情
建設には破壊のお働きがあり、或いは又、人類社会には善には悪、喜には悲などと様々な現
象を現し給う。」

高皇産霊神(たかみむすびのかみ)と神皇産霊神(かんみむすびのかみ)の二神は睦みの神、結
びの神として、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の思いはかりによって宇宙に出でま
し、万象を産み、育て、修め造る業を受け持ち給うのです。今回はこれ以上詳しくは述べま
せんが、この辺の話に興味のある人は、古事記か日本書紀をご覧下さい。
さて、この段では、陰と陽について話をしたいと思います。
物体に光をあてると、光のあたった部分は明るくなり、あたらない部分は暗い影となります。
この明るい部分を陽と呼び、暗い部分を陰と呼びます。本来、両者に優劣はないのですが、
一般的に、陰にはネガティブなイメージがあり、陽にはポジティブなイメージがあります。
実際、他人から自分は陰気だと言われると、不愉快ですが、陽気だと言われれば、悪い気は
しないものです。しかし、両者は密接不可分なものであり共に等しく並び立つものなのです。
占いの易では、陰と陽が交流して万物を生成変化させるとされていますが、
神道においては、
高皇産霊神は陽であり、拡がる力、伸びる力、遠心力を司るものとされ、神皇産霊神は陰で
あり、縮まる力、引く力、求心力を司るものとされています。

ところで、現在の我が国においては、陰をさげすみ、忌み嫌う風潮が以前にもまして、強く
なってきているように思われます。
特に、デフレ不況下にあえぐ企業においては、能力主義、成果主義が採られ、不器用な人間
は容赦なく淘汰されるという悲惨な状況があります。職場の人間関係も殺伐としたものに、
なりがちです。社会的地位の低い人、お金を持っていない人、能力の劣った人を見下し、
馬鹿にし、さげすむ人たちには、そろそろ気が付いてもらいたいものです。
確かに、あなたの成功は賞賛に値するものですし、心からおめでとう、と言いたい。
しかし、成功したあなたを「陽」とすれば失敗という「陰」の役割を負う人も必要なのです。
人類社会では、すべての人がそれぞれの役割を担っているのです。存在の価値のない人など
存在しません。
「負け組み」と呼ばれてもへらへら笑っていればいいのです。

私は今まで、努力しろ。努力しろと言い続けてきました。
ところが、実際には「むくわれない努力」のほうが、はるかに多いのです。
それでも人は努力しなくてはなりません。思いを遂げることができずに、生涯を終えること
になろうとも。総理大臣にまで登りつめる人間も、凍てつく夜に公園で野宿をしなければな
らない人間も、等しく尊い命なのです。そうなったのは「ちょっとしたまちがい」としか言
いようがありません。過去から現在までの大宇宙の悠久の時の流れからみれば、人の一生は
夜空の星の一瞬のきらめきに過ぎません。悩んでいる暇はありません。失敗を恐れず、努力
を惜しまず、清く明るく直く正しく生きなさい。03/02/05
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