勝ち組と負け組

これほど意味不明で情緒的なフレーズはないと思います。
人は、何に対して勝ち、何に対して負けたと言うのでしょうか?
収入が高い人は勝ち組ですか?企業で高い役職についている人は勝ち組ですか?
リストラされた人は負け組ですか?ダンボールを敷いて寝ている人は負け組ですか?
おそらく勝ち組であり続けたいと思っている人は、自分の中で負け組に転じたと思ったら
自らの命を絶つのかも知れません。
収入、社会的地位、学歴、住んでいる家、乗っている車、休日はどう過ごしたか?
毎日どんなものを食べているか?ブランド物を持っているか?
もういいかげんに勝ったとか負けたとか、自分と他人を比較するのはやめましょう。
神道においては、万物には陰陽の別があり、生物には雌雄を創り、強には弱、有情には
無情、建設には破壊があり、人類社会には、善には悪、喜には悲などと様々な現象が現れ
ると考えられています。それらは、常に等しく存在しているのです。
自分の年収は500万円だが、隣人のそれは1000万円だとしましょう。
だからといって、隣人に負けているという発想自体が無意味なことなのです。
それは、単なる事実として存在しているに過ぎません。

人は、誰でも人生に対して「こんなはずではなかった。」と不満を口にします。
そして、たいていの人は、努力を怠り、不機嫌に日々を過ごし、後悔を抱いたまま死んで
逝くのです。
現在、私たちが置かれている状況は、さらに厳しく困難なものになりつつありますが、
それでも、私たちは、清く明るく直く正しい道を歩んでいかなくてはなりません。
私たち一人一人の、たゆまざる努力が、豊かな社会を創造する原動力となることを忘れな
いで下さい。01/10/26
トップへ戻る