なにが権利だ

権利とは、他人に対して当然主張しうる自分の利益をいう。(講談社日本語大辞典)
権利って、なんか嫌な感じのする言葉ですね。ちなみに英語では、rightと書きます
が、rightには「正義」と言う意味もありまして、一般的には、こちらの意味で使わ
れることが多いそうです。
権利という言葉は、英語に直すと、その本質が見えてくるのです。
つまり、絶対の正義は存在しないのと同様に、絶対に守られねばならない権利など、在り
得ないのです。
これに対しては、当然、異論や反論も出てくることでしょう。
たとえば、人が生きる権利、すなわち
生存権は認められないのか?と激しい反発を覚える
方もいるかも知れません。

私は、このように考えます。
人が生きるということは、単なる権利などで守られるべきものではありません。
生きるということは、崇高な神の摂理(みはかり)に他ならないのです。
それを、権利だ。などと主張した途端に互いの生存を懸けて殺し合いが始まるのです。
ニューヨークで、アフガンで、イラクで、パレスチナで、先日はロシアでも自らの生きる
権利を主張し、殺し合いが続いているのです。一神教世界では、いつまでこの様な地獄が
続くのでしょうか?
もうお分かりですね。「権利」という概念の中には、神道に於ける「寛容の精神」ばかり
か「共に生きる」という発想など、かけらもないのです。

西ヨーロッパのキリスト教世界では近代市民革命の後、無駄な争いを避け、互いの権利を
守り、調整する為に社会契約を結ぶことにしたわけですが、契約などというものは、いざ
となれば、即ち、自分の生命が脅かされるような事態になれば、簡単に破られるものなの
です。事実、過去二回の世界大戦はヨーロッパから始まった。ではありませんか?

日本人は、権利意識が欧米人に比べて低い。と、よく言われます。
しかし、これは、むしろ幸福なことなのです。
全ての日本人は、神の「分けみたま」であり親子なのです。
上は天皇から、下は名も無き庶民に至るまで、互いを尊重し、共に生きてきたのです。
互いの主張や希望は、話し合い、譲り合い、認め合う生き方を実践してきたのです。
それのどこが悪いのでしょうか?
私は、このように考えます。
己の権利を貫こうとする者は、他者の権利を侵害することには、無関心なのです。
権利とは、神によって認められた、必要最低限の個人のわがまま。であり、そこには、
残念ながら、他人を思いやる気持ちは、ない。
04/09/07
トップへ戻る