憲法第一条

このところ、憲法改正についての議論が盛んになってきました。
その内容の大半は、第九条に関するものです。
イラクで復興支援の任に当たっている自衛隊が攻撃を受けた場合、反撃はどこまで許され
るのか?北朝鮮が攻めてきたら、迅速な対応が取れるのか?米軍との連携は?首相に指揮
が執れるのか?陸海空の統制は?等々、国家の一大事においてすら、第九条の制約を免れ
ることはできないのです。
中東やパレスチナでの武力衝突が激化して、我が国の周辺にも、それが飛び火することが
十分予想される現在、このような議論が盛り上がることは、大いに結構ではありますが、
現行憲法には第九条よりも、もっと大きな欠陥があるのです。

それは、憲法第一条です。
そこでは
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権
の存する日本国民の総意に基く。」
と、象徴天皇制国民主権が謳われていますが、象徴
と言う極めて曖昧な天皇の地位と、欧米流の冷徹な個人主義に根ざした国民主権は、日本
を危うくするものである。と言っても過言ではありません。
まず象徴とは、ある事物を表わすものではありますが、その全てでは決してないのです。
それは、イチゴショートケーキの苺の様な物であります。苺の代わりにメロンが乗ってい
れば、そのケーキはメロンショートケーキと名前を変えることでしょう。
つまり上に乗っているのは苺でもメロンでも、たとえ梅干でもケーキ本体には大きな影響
はないのです。象徴とはその程度の物であり、天皇を冒涜するものであります。
さらに奇妙な事に、日本国憲法には国家元首の規定がありません。
大日本帝国憲法のように、天皇が国家元首であれば我が国は立憲君主制であり、仮に内閣
総理大臣が国家元首ならば共和制ということになりますが、それが曖昧にされている以上
厳密には、我が国には民族自決の原則に基く政体は存在しないということになるのです。
つまり、現行憲法はGHQ作成の占領基本法に過ぎず、我が国は未だ被占領国のままなの
です。新しい憲法においては、日本は皇祖神天照大御神の御霊(みたま)を引継ぎし天皇
の知らす国なり。という事を明確に示さなければなりません。
次に国民主権についてですが、これは、そもそも国政の方針の最終的な決定権者は為政者
ではなく国民にある。と言う意味ですが、我が国のそれは、キリスト教世界のあさましい
個人主義に根ざしている。と言う事が問題なのです。主権者としての個人は、国家権力を
超越するかのごとく振る舞い、何者にも邪魔をされず、自らの意志で自由に行動すること
が許され、国家は主権者たる国民の生命と財産を守る義務がある。とされています。
しかし、本来人間は、自らの意志で自由に行動した結果生じた問題は自分の責任において
自分で解決をしなくてはならないものなのです。
これが自己責任というものです。
自由には、おのずから責任が伴うものです。
このことを忘れて、イラクで勝手気ままに行動して、とっ捕まった息子や娘を救わんと、
金切り声を上げて、国家に自衛隊の撤退を迫った人質の家族達の姿は、なげかわしいもの
でした。これに同調した左側の人々は、署名を集めデモ行進までして、なぜか人質の解放
よりも「自衛隊の撤退」を声高に訴えました。余談ですが、三人の人質の内、未成年の男
の両親は共産党員だそうです。

このように、
日本国憲法第一条は我が国の伝統と秩序を破壊する為に造られた。と言わざ
るを得ません。
かつて、八百万の神々と天皇と国民が互いを尊重し、心を一つにして国造りに励み、共に
生きる喜びと希望に満ち溢れていた時代が確かにありました。そんな、古の日本に思いを
馳せつつ、我が国の国柄に最もふさわしい新しい憲法を、皆で知恵を出し合って創ってい
きましょう。04/05/03
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