国学と明治維新

先日、東京都教育委員会は、卒業式において「国旗掲揚」と「国歌斉唱」に従わなかった
都立高校の教職員171名を戒告処分としました。
国旗と国歌は、神道においては大変重要な意義を持つものです。
神道大教では、様々な会議や研修会の席でも、日の丸を掲げ、君が代を斉唱します。
しかし、今回の東京都教育委員会の、まつろわぬ者への処分は明らかに行き過ぎであった
と言わざるを得ません。
処分をしたところで彼らの心情は変わる事はないし、国旗と国歌に対する怨念を増幅する
だけで、はた目には、単なる「見せしめ」としか映りませんでした。
神道には基本的に「布教」という概念がありません。去る者追わず来る者拒まず。です。
卒業式場に日の丸と君が代に対する激しい嫌悪感を持つ人間が同席するという事は、国旗
と国歌を穢す義
であり、そのような方々には、参加を強要するよりも速やかにご退場願う
という事が、大人としての対応ではないでしょうか?
そして、退場した人々を処分してはいけません。たとえ考え方は異なっていても、彼らは
同じ「分けみたま」なのですから。
大切なことは、このような、自分の国に誇りも持てず、国旗と国歌に何の愛着も感じる事
ができない人々に、国家と国民の本来在るべき姿を教え諭すという事なのです。
おそらく彼らは、国家と国民の在るべき姿と、今後日本人の進むべき地平を全く理解して
いないのでしょう。
私は、彼ら無知な日本人を覚醒させる為には
「国学」を学んでいただくことが最良の方法
であると思います。

国学とは、江戸時代に興った学問を指し、そもそも我が国の古典の研究を、その出発点と
しました。「万葉集」「古今集」「日本書紀」等を分析した注釈書は、当時の人々に人気
を博しました。
荷田春満(かだのあずままろ)・賀茂真淵(かものまぶち)・本居宣長(もとおりのりなが)・
平田篤胤(ひらたあつたね)
は、国学の四大人とされ、その普及に大きな役割を果たしまし
た。中でも、本居宣長の著した古事記研究の集大成
「古事記伝」は、我が国の肇国の理念
皇道の正統性とを明らかにしました。
幕末、草莽の志士たちは「古事記伝」によって、皇祖神天照大御神の御霊を引継ぎし天皇
と、八百万の神々の「分けみたま」たる国民との間の、深い信頼と絆を自覚し、さしせま
った危機にも気付かず惰眠をむさぼり、欧米列強の恫喝に対して弱腰かつ屈辱的な対応に
終始していた徳川幕府には、もはや国家を統治する能力ならびに正統性なきことを覚るに
至ったのです。
こうして国家と国民の在るべき姿に気付き、民族意識に目覚めた志士たちは、一気に倒幕
そして王政復古へと突き進んでいったのです。
国学こそが維新の原動力であり、すべては古事記から始まった。と言っても過言ではあり
ません。

現在、我が国において「古事記」や「武士道」といった伝統的な日本精神に注目が集まっ
ているのも単なる偶然ではなく、日本精神の象徴こそが、日の丸であり君が代なのです。
八百万の神々と天皇と国民が、互いを尊重し、心を一つにして国づくりに励み、共に生き
る喜びと希望に満ち溢れた古(いにしへ)の日本こそが私たちの還るべき場所であり、還る
ことによって、私たち日本人は本来の自分を取り戻すことができるのです。
本来の自分に還った日本人には、もはや、何も恐れるものはありません。いかなる国難に
見舞われようとも、全ての日本人は力を合わせてこれを排除することができるでしょう。
我が国を取り巻く現在の過酷な状況の中で、右往左往している自民公明連立政権は、かつ
ての徳川幕府そのものであり、やがて消えゆく運命にあるのです。04/04/05

※肇国(ちょうこく) 国を始めること。国家を樹立すること。
トップへ戻る