宗教法人神道大教榛名孝善坊講社


当講社の上位組織である榛名神社は群馬県高崎市の榛名山麓に鎮座し、二ギハヤヒの子、
ウマシマジによって開かれたという伝承もありますが、公には第31代、用明天皇元年(585年)
の創祀と伝えられる延喜式神名帳記載の式内社であり、夫婦神の火の神様の
火産霊神と
土の神様の埴山毘売神を主祭神として、天下泰平、国家安穏、鎮火、開運、家内安全、
五穀豊饒、商売繁昌、縁結び、安産守護の御神徳を仰ぎ古代山岳信仰の要地にして、
中世からは榛名山を信仰する榛名講の本山として、関東一円の農家の方々の
篤き崇敬を集めています。最近では、パワースポットとしてもその名が知られています。


古代の榛名神社の様子は記録には定かではありませんが、域内にて8世紀ころの遺物や
建築物の遺構が確認されており、当時としては大規模な神域として成長しつつあったことが伺えます。

中世の動向については、榛名山邨誌と頼印大僧正行状絵詞に記されており、
それによると、僧である快良が承元四年(1210年)初代座主になり、
以来、関白藤原道長の子孫が代々受け継いだと伝えられています。
時代が下り、戦国の世に入ってからは、座主は空位となり、神域は衰退を余儀なくされました。

近世に入り、榛名山一帯の神域は天海僧正によって再興されたといわれています。
天海僧正は江戸の街に結界を張り巡らせて守ったとされていますが、
赤城、榛名、妙義からなる上毛三山を北の結界と定め、中でも榛名山を重視し、
慶長十九年(1614年)「上野国天台宗榛名山巌殿寺法度之事」を発布し、
寛永2年(1625寛永寺が建立されると、同寺がスポンサーとなり域内の整備が進み、
榛名神社の現存する社殿はすべて江戸期に立てられました。当時は神仏習合の時代であり、
寛永寺末の中里見光明寺が学頭、榛名山満行院が別当に任命されました。
後には両職とも光明寺が兼務となり、榛名山光明寺と称されていたこともありました。

維新後、慶応四年(1868年)三月に神仏分離令が出され、同年五月、東山道鎮撫総督より
鎮撫軍に恭順すべしとの通達を受けて、榛名神社においても神仏分離が進むこととなりました。
七月には御師による会議の結果、八月末日に寺院の解体、仏像が撤去され、
九月四日には光明寺との間で設備一式の引き渡しが行われ、
榛名神社として独立いたしました。

以来、今日に至るまで中世より続く榛名講の伝統を守り、榛名の御師が広く民衆の間に分け入って、
神道教化を行い敬神崇祖の教えを広めて参りました。

先の大戦において、榛名神社の御祭神火産霊神を祀った巡洋戦艦「榛名」は主要海戦に従軍し、
南太平洋上で米国海軍と死闘を繰り広げましたが、何度となく被弾するも決して沈没することなく、
終戦まで生き残った連合艦隊の数少ない艦艇として、榛名の大神様の御稜威を今に伝えています。

榛名の艦運の強さにあやかり、戦後、海上自衛隊護衛艦「榛名」がいち早く復活したことは
記憶に新しいところです。


当講社の宗教法人法上の包括団体の神道大教は明治3年、大教宣布の詔により
神職と僧侶の集合体たる大教院が設立されるも、仏教側が脱退し程無くして解体し、
明治8年、神職により神道事務局が創設され明治天皇の勅栽により
総裁には皇室より
有栖川宮幟仁親王を迎えました。その後、明治19年に神道本局と改称し、
さらに昭和15年には神道大教と改名、教務を総管する場所を本局と称することとし、
現在に至っています。本局は、東京都港区西麻布。
皇典講究所(国学院の前身)が設立されるまでは我国唯一の神職養成機関でした。
ちなみに天理・金光・黒住教は元神道大教の一講社でありました。

孝善坊講社は代々、榛名神社の神官一族が営んできた宿坊で、室町末期からは榛名講の御師として
加持祈祷など祭祀を御奉仕し講の皆様と共に今日まで歩んで参りました。
戦前は、関東一円に講を擁し、各地を巡り崇敬者の教化に努めて参りました。

同時に、代々榛名神社宮司を輩出し、戦後40年に渡り宮司を務めた、
名誉宮司神職特級山田文治大人命は孝善坊の前責任役員であり、現代表の大叔父に当たります。
また、伊勢神宮式年遷宮委員、神道政治連盟参与を歴任しております。
当講社は、古くから榛名神社・講社・講という縦割り組織を維持する中で、
戦前は榛名神社と共に内務省管轄でしたが、戦後内務省解体に伴い各神社は神社本庁の管轄となり
榛名神社傘下の各講社は神道大教の所属となり、その中の複数の講社は同時に宗教法人格も取得しました。
孝善坊も昭和29年に宗教法人格を取得しました。

現在も、毎年3月と4月には講中の農家の方々が榛名神社を参拝され、当家にて御札を受けておられます。

 講 信仰を同じくする者が、集まってできた集団。信仰のみならず、地縁、職業などの社会的なつながりも深い。
御師
参拝者の案内や宿泊の世話など、講に対して、祈祷のほかに、さまざまな便宜を図る神職。 

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