惟神の道

明治神宮が神社本庁からの離脱を表明しました。この事は、新聞では、あまり大きく取り
上げられませんでしたが、神道界には大きな衝撃を与えました。
また、皇太子殿下がヨーロッパ歴訪を前にして、会見されましたが、その席上、宮内庁に
対する批判とも受け取れる御発言が、様々な議論を呼びました。
天皇皇后両陛下も、憂慮とともに事態の推移を見守って居られます。
これらの出来事は、一見、何ら関連性は認められませんが、実は深い霊的な繋がりがある
のです。神道を理解できない学者先生達は、気付かないでしょうが。

御存知の通り、明治神宮の御祭神は、明治天皇と昭憲皇太后であります。
明治神宮の神社本庁からの脱退宣言と皇太子殿下の積極的な御発言は、明治大帝の御神徳
の顕われに他なりません。
皇国の行く末を案じる明治天皇の御霊(みたま)が明治神宮と
皇太子殿下を動かしたのです。

つまり、天地開闢以来の未曾有の国難に見舞われている我が国の厳しい現実を、直視する
ことなく、ただひたすら祭祀に明け暮れ、それはそれで大切な事ではありますが、参拝客
や氏子の増減に一喜一憂している、「のんびりしすぎ」な神道界と、皇室の護持を任務と
するにも関わらず、自ら物議を醸し出す様な発言を繰り返す宮内庁に対して、明治天皇は
大層お怒りになっておられるのです。

実は、神社本庁傘下の神社の離脱は、近年、増えつつあるそうです。
旧内務省ゆずりの官僚的かつ天下りを始めとする硬直的な組織に対し、反感を持っている
神職も少なくありません。今回は、明治神宮と言うビッグ・ネームの離脱表明だったので
騒ぎが大きくなっただけの話です。
神社本庁と所属神社の対立は、それはそのまま神道界の危機を意味します。
一方、宮内庁は、お世継ぎ問題や皇太子殿下と妃殿下との第二子に関する行き過ぎた発言
と要望は、厳に慎まなくてはなりません。
宮内庁長官の「もうひとかた欲しい」と言う発言は、戦前ならば、重大な不敬罪に値しま
す。こうした宮内庁の、お節介な言動は、皇室の安寧を危うくするものである。と言わざ
るを得ません。
神道界のゴタゴタと、皇室と宮内庁の不協和音は、言って見れば、我が国体の根幹を揺る
がすものであり、看過しておくことは断じて許されないものであります。

僭越ながら、明治天皇の御心を、私が代弁させていただきます。
それは、上は総理大臣から下は名も無き庶民に至るまで、全ての日本人は
惟神の道へ帰る
べし。と言う事ではないでしょうか。惟(ゆい)には、思う。従う。と言う意味があり、
惟神(かんながら)とは、「神ながら」と読めます。
惟神の道とは、神様の仰せられた御言(おことば)と、神様の遊ばされた御行為(おんし
わざ)を手本として、私たち人間が、自分勝手の心を捨てて、一途に神様の御言御行為を
実践することを旨として生きる道であります。
この道は、「敬神」「尊皇」「愛国」として具現化され、神国日本の復活を将来するもの
であります。

もしも、私たち日本人が、惟神の道を外れた場合、私たちはユダヤとアングロサクソンの
奴隷民族と成り下がることでしょう。04/06/03
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