世界の財布日本

子供の世界には、よくある事ですが、皆に遊んでもらいたくて、仲間に入れてもらいたくて
自分の小遣いで、皆にジュースやアイスキャンデーやお菓子をおごるのですが、そうやって
一生懸命、皆の気を引こうとしても、ご機嫌を取ろうとしても、彼の存在感は希薄なままで
いつまでたっても、友達ができない。
私が子供のころにも、こういう同級生がいました。決して彼を嫌いなわけではないのですが
なんとなく付き合い難いような気がして、自分から遊びに誘うことはありませんでした。

鋭い方はもうお気付きかと思います。
この存在感の希薄な同級生とは、すなわち戦後の日本に他なりません。
戦後一貫して我が国は、諸外国、特にアジア諸国に対して「ご迷惑をおかけしました。もう
二度と過ちは犯しません。これからは仲良くして下さい。」と謝り続け、求められるがまま
けなげにお金を出し、そのくせ、ほとんど感謝もされないという情けないミツグ君(死語?)
状態でした。
戦前の我が国は、と言えば、完璧な悪玉としての役割を演じていたものの、いかなる相手に
対しても、物おじせず自分の要求を主張し、諸外国のひんしゅくを買いながらも、威風堂々
我が道を往く気骨がありました。
米国に負けたからと言って、そんなに卑屈になることはありません。
戦いには負けましたが、帝国軍人はよく奮戦し、根性では、完全に勝っておりました。
すみません。子供の喧嘩のような、大人げない発言でした。
我が国がミツグ君としての本領をいかんなく発揮したのが、1991年の湾岸戦争でした。
我が国は、多国籍軍への自衛隊の派遣を免除してもらう替わりに、総額で130億ドルもの
大金を支払ったにもかかわらず、クウェート政府が出した多国籍軍に対する感謝の意を表す
新聞広告には、日本の名前はありませんでした。
我が国が、いくら胸を張って「国際貢献」をしているつもりでも「憲法上、集団的自衛権は
認められていませんので自衛隊の派遣はできません。替わりにお金を出します。」と言い訳
しているようでは、実際に体を張って命を懸けて守ってくれた相手にしか、感謝の念は湧か
ないものです。

国際貢献と言えば、現在、イラクの復興支援の為に自衛隊を派遣するにあたって新法を作る
と言う話が出ていますが、どうせ、人員と物資の提供だけでは、済まされないでしょう。
私はもともと、イラク攻撃には反対でした。戦争には、確固とした誰もが納得し得うる大義
名分が絶対に必要なのです。米国はイラクの大量破壊兵器の保有とアル・カーイダとのつな
がりを示す証拠もないのに、戦争を始めるべきではなかったと思います。
正当な理由のない戦争は、敗戦国の恨みを増幅させるだけでなく、何世代にも渡って憎しみ
と悲しみが、拡大再生産されることになるのです。

今度こそ日本政府は、米国によくやったと誉めてもらいたいところでしょうが、例によって
イラクの復興支援の為の新法の中で、自衛隊員の武器の使用基準の緩和は、見送られる事に
なるそうです。現地では今もなお、米軍に対して散発的な攻撃が続いているというのに。
結局、我が国は現行憲法を改めない限り、敵の攻撃から我が身を守ることさえままならない
のです。いつまでたっても、米軍に守ってもらうしか術がないのです。
憲法改正が、現実には相当困難であるならば、いっそのこと自衛隊の派遣などやめにして、
世界の財布に徹したらいいのでは?しかし、払えるお金が底を突いた時には我が国は確実に
世界の孤児になるでしょう。03/06/10
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