神道の世界

第75回アカデミー賞長編アニメーション部門は、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」が
受賞しました。
ふとしたことから、異界へ迷い込んだ千尋は、豚になってしまった両親を救うため、謎の
美少年ハクの手引きで、八百万の神々のレクリエーション施設である「油屋」という湯屋
で働き始めます。実は、ハクという少年はコハク川の神、ニギハヤミコハクヌシで、千尋
が幼いころ、コハク川に落ちた時に助けたことがあったのですが、今度は千尋に助けられ
ることになるのです。長くなるので、続きは映画をご覧下さい。
ところで、この極めて日本的な、多神教(神道)ワールドともいうべき異界で、神と人間の
少女が助け合うというストーリーを、一神教徒たる米国人が本当に理解できたのかどうか
私には、はなはだ疑問であります。
米国人にとっての神は、全知全能であり、完全無欠であります。神が、人間に助けられる
などという話は、絶対に在り得ない話なのです。
ここに一神教と多神教たる神道との根本的な違いがあります。
八百万の神々には、いろんな神様がいます。頭脳明晰な神様もいれば、そうでない神様も
いますし、優しい神様もいれば、気の荒い神様もいます。人類社会と全く変わりません。
神々の世界にも、私たち人間と同じように、日常があり、その中には、欺瞞や闘争もある
のです。それでも、人間は神を尊び、敬い共に生きてきました。
米国のように、唯一つの神を信仰することしか許されない社会というものは、本来の意味
において、人間が人間らしく生きることを否定するに等しいと言わざるを得ません。
人間は一人一人顔が違うように、その人の性格も能力も、そして信仰する神も様々です。
農民は、土の神や水の神や太陽の神を崇め、漁師は、海の神や風の神や太陽の神というよ
うに、人それぞれの生活に応じた自由な信仰があっていいはずです。

米英とイラクとの戦争は長期化の様相を呈してきています。
キリストしか知らない若者と、アッラーしか知らない若者が、憎しみ合い殺し合う姿は、
まさにこの世の地獄であり、一神教の悲劇としか言いようがありません。
彼らが、お互いを認め合い平和のうちに共存することは、永遠に不可能なのです。
一神教は多神教(神道)を理解できませんが、多神教(神道)は一神教を理解できるし、それ
を尊重し、共生することができるのです。
さて皆さんは、これからの国際秩序は、多神教(神道)的価値観に基づくものであるほうが
より良いものである。ということがおわかりになったでしょうか?
世界のさまざまな民族の個性がぶつかり合い、競い合い、切磋琢磨し合い、協調し合い、
お互いを尊重し、生かし生かされ、共に生きることのできる世界。
を実現しなくてはなり
ません。03/04/01
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