明るい信仰生活

神道大教四大信條要典第四章光明第三十節
「神道は
敬神崇祖が第一義で、清く明るく直く正しい道であり、光明世界である。
 人類が等しくこれを覚るとき、天の徳、地の恩に満ち満ちた清浄の世界と、光明に
 あふれる生活とを享有することができるのである。」

神道大教の教えには、他の宗教のような、人間の日常生活についての事細かな決まり事は、
ありません。守るべき事は、敬神崇祖の理念と清く明るく直く正しい生き方を、実践する
ことであります。
敬神崇祖とは一言で言えば、神を敬い、祖先を崇めるということで、これは決して難しい
ものではありませんが、清く明るく直く正しい生き方とは、実際には大変困難なものです。
そして、清く明るく直く正しい生き方を実践せずに、神の摂理(みはかり)にそむくような
事があれば、厳しい罰が待っています。そう、滅亡です。
ピョンヤンの映画オタクの王国もやがて滅亡することでしょう。
しかし、私の講話を読んで下さっている皆さんは、多分、日々清く明るく直く正しい道を
歩まれていることと思います。
日々の暮らしのなかで、私たちは様々な経験をするわけですが、そのすべてに意味があり、
無駄なものなどひとつとしてありません。当の本人は、さほど意識はしていないでしょう
が、個々の経験が血となり肉となり、成長の原動力となっているのです。
私たちは、このような成長の機会を与えられたことに対して、神に感謝しなければなりま
せん。

神道は極めて現実的かつ実践的な宗教です。
他の宗教のように、教会やモスクといった宗教施設へ出向いて、聖職者の説法に耳を傾け、
儀式に参加するというような特別な行動は、とりあえず必要ありません。
家庭や学校や職場や地域社会における日常生活の営み、そのものが、信仰なのです。
殺伐とした世の中ですが、私たちは、お互いを尊重し合い、他人を傷つけず、また自らも
傷つけられる事なく、無事に過ごすことができるように、今日という日を慈しみ、大切に
しなければなりません。
徳川家康は「人生は重き荷を背負いて、遠き道を往くが如し。」という名言を残しました。
確かにそうなのですが、神と共に泣き、笑い、己が神によって生かされているという事を
悟っている人間には、重い荷も重く感じる事はないのです。家康は苦労人なので、悲観的
な人生観を持っているのでしょう。人生には苦難もありますが、楽しい事だってたくさん
あります。せっかく生まれてきたのですから、人生を楽しみましょう。苦労を苦労と思う
事なく、軽々と重い荷を担ぐことができる人間になりたいものです。
人生は、人が生きる、と書きますが、同時に人は生かされる、とも読むことができます。
皆さんは信仰の力を信じ、この厳しい時代をたくましく生き抜いて下さい。03/05/14
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