二元的価値観の終焉

今後人類は二元的価値観から脱却し、多元的価値観を行動の指針としなければなりません。
冒頭から、小難しい事を言って申し訳ありませんが、実際そうなのです。
解り易く説明しましょう。
二元的価値観とは、二元論に立脚した価値観であり、多元的価値観とは、多元論に立脚し
た価値観のことを言います。
二元論とは、もともと哲学の用語ですが、世界に存在するあらゆる事象は、すべて二つの
原理で成り立っているとする考え方であります。これに対して、多元論とは、二つ以上の
複数の原理の存在を認めるものであります。
そして、近代の哲学は、この二元論を支持する立場にあります。
デカルトは、その著書「省察」において「我思う。故に我あり。」と述べました。「思う」
という行為は意識であり、精神であります。「我あり」とは、精神とは独立した物質であ
る存在の「我」を認識したという事なのです。つまり「我」の中には精神と物質の二つの
存在が確認されるのです。これを、心物二元論と言います。
近代の哲学は、デカルトの心物二元論を契機として発展してきた。と言っても過言ではあ
りません。
しかし、現実世界の全てのことがらを、精神と物質のたった二つの原理で説明することは
可能なのでしょうか?
さらに、原理が二つしかない場合、一方を肯定すれば、他方を否定せざるを得なくなり、
否定された側は、必ず復讐に打って出るでしょう。
このように、
二元論に立脚した二元的価値観の世界は、常に異なる二つの原理の闘争の場
となる危険性を孕んでいるのです。

賢明な方は、私が何を言わんとしているのか、お分かりになったと思います。

そうです。米国のキリスト教原理主義者は、この偏狭な二元的価値観すなわち善悪二元論
に、すっかり毒されてしまっているのです。
彼らは建国以来、自らを絶対の正義と信じ、自分にまつろわぬ者や異議を唱える者を悪と
決め付け、情け容赦のない攻撃を加えてきました。悪を退治する為には、何のためらいも
なく原子爆弾も落とすことができるのです。
正義と悪、聖と邪、強者と弱者、先進国と途上国、白人と有色人種、自由主義と共産主義
と言うように世界をあい対する二つの原理のいくさ場と捉え、キリスト者は永遠の勝利者
として君臨すべきもの。と信じて疑わないのです。
現在米軍は、イラクにおいて、全く異なる行動原理を持つイスラム過激派の攻撃にさらさ
れています。米国はイラクの解放者だとか救世主のような顔をして、イラク国民に対する
傲慢な態度を改めない限り、イスラム過激派の抵抗は止む事はありません。
そもそも、民族に優劣の差などありません。個々の民族は、それぞれの伝統・文化・宗教
を堅持し、互いの原理を尊重し合い、平和のうちに共存するということが、あるべき姿で
あって、これを可能にするのは、神道の大いなる寛容の精神に他ならないのであります。
米国は今こそ、キリスト教原理主義の二元的価値観から脱却し、神道の多元的価値観に学
ぶべきです。
神道においては、世界を、異なるたった二つの原理の対決の場とは捉えず、多様な原理が
等しく並び立つ場である。と考えます。これらは互いに切磋琢磨し合い、高め合い融和し、
さらに新しい原理を生み出し、豊かな人類社会を創造する原動力となるのです。

米国は、そのことに気が付かない限り永遠に戦争を、し続けることでしょう。03/10/02
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