終戦の日を前にして

終戦記念日は、今年も暑い一日になりそうです。
小泉首相は、靖国神社を参拝されるのでしょうか?
今月末に、北京において日米韓と北朝鮮そして中国とロシアによる、北朝鮮の核問題を巡る
6者協議が予定されていますが、もしも小泉首相が参拝をした場合、6者協議に深刻な影響
を及ぼすことになるでしょう。現在、福田官房長官は中国を訪問していますが、温家宝首相
との会談の席上、温首相から靖国参拝に対する批判を受けました。
一体いつまで、日本の政治家は中国と韓国の顔色を窺いながら、靖国神社を参拝しなければ
ならないのでしょうか?
参拝とは、純粋な個人の信仰心の発露であり、人間として極めて自然な行為であり、そこに
は、公人と私人の区別などあってはならないものです。
中国と韓国は、A級戦犯の合祀を許せないものとしていますが、これについては、以前にも
述べましたが、
刑は滞りなく執行され、A級戦犯とされた人々は、自らの命で罪をあがない
彼らの魂は穢れを祓い、澄みて清らかなる天来の姿に戻り、合祀には何の問題もありません。

中国と韓国の靖国参拝批判は、夏の風物詩の一つと思えば腹も立ちません。
戦争には必ず勝者と敗者がいるわけで、負けた側は勝った側にしてみれば、常に戦争犯罪人
であります。また仮に、我が国が、連合国に対する「無条件降伏」ではなく停戦ないし休戦
協定の後に、戦争を終結していたら、そもそも、戦争犯罪人など存在し得なかったのです。
連合国が我が国の「無条件降伏」にこだわったのは、停戦や休戦では我が国の政体そのもの
にメスを入れることは不可能であり、彼らは我が国の政治・経済・社会の仕組みのすべてを
自分たちに都合のいいように作り替え、二度と再び自分たちに刃向かうことができないよう
にしたかったのです。
だからこそ、敵の眼前でも丸腰同然でいることを強要する憲法第9条を与えたのです。

植民地ならびに占領地域において、日本軍が非戦闘員、ならびに捕虜に対して行なった神の
摂理にそむくが如き非人道的な所業は、決して許されるべきものではありませんが、我が国
のように、戦争に負けた。と言うだけの理由で、ここまで徹底して戦勝国による国家の改造
を受けた例も歴史上稀であると言わざるを得ません。
そして私にとって何よりも腹立たしいのは、神道は危険である。と言うほとんど言いがかり
としか思えない評価を下し、それを信じて疑わない日本人が存在している、と言う事実なの
です。私がこのサイトを開設したのは、神道に対するこのような偏見を払拭したい。と言う
理由もあったのですが、これに関連した一冊の貴重な本をご紹介します。
これは「アメリカの鏡・日本」(ヘレン・ミアーズ著 伊藤延司訳 メディアファクトリー)
と言う本で、1995年に出版されました。原著は、1948年に米国で出版されましたが
マッカーサーの命令により、日本での出版を禁止されていました。というのも、この本には
日本だけが悪者ではなかった。と言う事が、豊富な事例によって示されていて、著者は日本
の擁護者として、米国で批判を受けました。
その中での、神道に関する記述をご覧下さい。

「神道は自然と祖先に対する信仰であり、習俗であった。軍事的なもの、国家的なものの
 対極にあるものだった。」
「私たちは最初の占領軍指令で、日本の国教である国家神道を本来侵略的であるとして禁止
 した。私たちより極東の歴史に詳しいアジア人は、この皮肉に気づくだろう。
 なぜなら、私たちが神道の告発につかっている論理を証拠につかえば、キリスト教を侵略
 的で好戦的な宗教として裁くほうがやさしいからだ。」
「今日、神道を「野蛮な好戦的宗教」として裁こうとしても、日本が近代までに神道を外国
 侵略のダイナミックな先兵につかった例は、一つも見つけられないだろう。」

戦後まもない頃、このように、神道に対して正当な評価を与えた米国人が存在したことは、
驚きでありますが、マッカーサーが、この本を日本において、発禁処分にしたという事は、
彼自身が、ミアーズ女史に共感を覚えていた。という事に他なりません。
神道は、我が国固有の民族宗教であり、日本を日本たらしめ、日本人を日本人たらしめる源
であります。終戦の日を前にして、皆さんにも、これからのよりよい神道の在り方について
考えていただきたいものです。03/08/12
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