国民主権其の二

私は昨年、このサイトの「国民主権」の段で、いわゆる無党派層と呼ばれている支持政党
のない人々に対して、主権者としての自覚を持って行動しなさい。などと、厳しいことを
申し上げましたが、我が国の政治の現状を見れば、彼らがどの党に国の将来を託せばよい
のか、まったくわからない。と言う気持ちになるのも、理解出来ない訳ではありません。
景気・年金・治安・道路・郵便・北朝鮮の核・拉致・イラクどれ一つとしてまともな対応
ができない「選良」達に何を託せというのでしょうか?
私は、選挙権とは崇高な国民の主権の行使の手段であって、投票に行かないと言うことは
あまりにも、もったいない話だと思っておりましたが、無党派層の人々は決して傍観して
いる訳ではないし、主権者であることも忘れてはいない。と言うことに気付いたのです。

我が国の「選良」を目指す候補者は、そのほとんどが、いわゆる「勝ち組」であります。
政治家の子弟は言うに及ばず、十分すぎる教育を受け、何不自由のない子供時代を過ごし
輝かしいキャリアを積まれた素晴らしい方ばかりであります。それだけでも十分なのに、
国会議員であるという名誉だけの為に、出馬される方もいるとかいないとか。
私は疑問に思います。
名もなく貧しく、時の権力に翻弄され続けてきた庶民の痛みを、本当にわが事として理解
出来る候補者がどれだけいらっしゃるのでしょうか?

有権者は、心から信頼できる候補者がいなければ、投票などしません。
衆議院議員総選挙の選挙戦も終盤となりました。
候補者の方々は無党派層の増大を嘆く前に、有権者の信頼を得られるように、自分自身を
見つめ直さなければなりません。

このことは個々の候補者のみならず、政党にも言えることです。
各政党のマニフェストとか言う政権公約のどれをとっても、いったい我が国をどうしたい
のかが、明確には示されていません。
少なくとも政党の結党の理念と国家観と世界観が示されていなければ、国民の信頼を得る
ことはできません。しかし、我が国に現存する政党には、もはや何も期待はできません。
私は、民族と国家の未来を託すことのできる使命感に燃えた
新しい政治勢力の出現を切に
願うものであります。以下に述べるような理念と国家観と世界観を持つ勢力を。

理念
GHQによる昭和20年12月15日の「神道指令」によって否定され、破壊された
我が国の全ての秩序の速やかな回復を以って、民族の自信と誇りを取り戻し、
人類の理想郷たる豊葦原の瑞穂の国の再興を図るものである。

国家観
我が国は、全ての日本人が、天孫降臨以来脈々と受け継がれてきた神道の精神に則り、
神のみはかりを尊び、祖先の恩に報いるべく正しき道を歩み、互いを尊重し、
共に生きる喜びに溢れ、諸外国からは尊敬と畏敬の念を持って崇められる国家で
あるべきである。

世界観
民族に優劣の差を認めず、個々の民族は、それぞれの伝統・文化・宗教を堅持し、
総ての民族が平和のうちに共存することが、あるべき姿である。
これからの世界は、既に破綻を来たしている一神教の二元的価値観から脱却し、
多神教たる神道の多元的価値観ならびに大いなる寛容の精神を人類の行動の指針とし、
これを多神教世界である亜細亜から我が国が中心となって世界へ呼びかけるものである。
03/11/06
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