和を以って貴しと為す

先日、自殺者が3年連続で3万人を超えたとの報道がありました。その多くは、働き盛り
の男性で家庭を持つ一家の大黒柱と言う事ですが、遺されたご家族の方々に対して同情を
禁じ得ません。
いったい何故日本人は、かくも簡単に自ら命を絶つようになってしまったのでしょうか?
あざとい宗教家なら、それは日本人に信仰心がなくなってしまって、自らを律することが
できなくなってしまったからだ。だから私とともに修行しましょう。と勧誘をするところ
でしょうが、もともと日本人は、外国人に比べて信仰心がかなり不足していました。
逆に、厚い信仰心も、必ずしも自殺の誘惑を排除する有効なてだてとはなり得ません。
ひとつの要因としては、大東亜戦争の敗北によって日本は連合国すなわち米国の占領下に
置かれたわけですが、彼らによって植え付けられたキリスト教に根ざす偏狭な個人主義が、
自己と他者との友好的かつ平和的共存に価値を見出す伝統的な日本人の生き方そのものを
変え、他人を顧みることのできない人間ばかりが増えてしまった。と言う事実が挙げられ
ます。このような精神的孤独に慣れていない日本人は、何か問題が生じた場合、ひとりで
それを抱え込んでしまうのかもしれません。現在のように社会不安が高まってくると、
ますます追い詰められていくのでしょう。

そもそもキリスト教とは、造物主ヤハウェを唯一の神とする一神教であり、個人は神と
契約を交わし信仰のみが救済の条件とされます。この信仰とは、個々人の内面の問題で
あり、利己排他を生むものであり、欧米流の個人主義の母体となりました。
これに対し、私たち日本人は古来より森羅万象凡てに神が宿るとする、多神教の考え方を
持ち、そこから神道も生まれたわけですが、人々は自らを自然の一部とし、八百万の神々
の懐に抱かれて共に喜びや悲しみを分かち合い、互いに助け合い、励ましあって、共に
生きてきました。
すなわちこれは、聖徳太子の「和」の精神に他なりません。
太子が604年に制定した、憲法十七条の第一条は「和を以って貴しと為す」ですが、
これこそが、日本人の社会規範の根幹をなすものであり、個人の救済のみを求める、
キリスト教徒にはとうてい理解できない思想でありましょう。
現在、我が国の政治・経済・社会凡ての分野において、今最も必要とされているものは、
この「和」の精神であり、日本人が「和」の精神に立ち返り、人を人とも思わない冷淡な
個人主義を改めない限り、我が国の自殺者が減ることはないでしょう。

余談ですが、豪族が群雄割拠し、いまだ朝廷の権力が必ずしも絶対的なものではなかった
当時、聖徳太子が摂政の間は、一度も、いくさがなかったという事です。02/02/21

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