お役目

福沢諭吉は「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と、のたまいましたが
本気で、それを信じていたとしたら、彼は日本一、おめでたい人であります。
キリスト教世界では「全ての人間は平等につくられた」と、説かれています。
米国の独立宣言でも、そのように謳われていました。
神によって全ての人間は平等に創造された。という考え方が定着すればする程、人間は、
現実に目の前に存在する不平等を憎み、なんとかして、それを改善しようと試みるもので
す。しかし、一度定まってしまった秩序は、平和的な手段では、なかなか変えることはで
きません。したがって、或る者は諦めから無気力になり、怠惰な生活を送るようになり、
或る者は、己の人生に絶望して自ら命を絶ち、また或る者は、新興宗教という名の詐欺集
団の活動に生きがいを求めたり、さらに或る者は、自分よりも恵まれていると思われる、
社会的地位の高い人や、お金を持っている人を、うらやみ、ねたみ、金品を奪ったり最悪
の場合、命までも取り上げてしまうのです。
それでも、我が国はバブルの頃までは、国民の実に8割が「自分は中流である」と、思い
込み、日本は世界で最も平等な社会である。と自負し、成功に酔いしれていたのです。
ところが、景気が悪くなって、持てる者と持たざる者との差が、広がってくるにつれて、
競争に敗れた者たちの怨念によって、社会と人心の荒廃が進んでしまったのです。

神道には、キリスト教世界の、まやかしの「平等」の概念はありません。
人間は、一人一人顔が違うように、霊性も能力も様々です。当然、格差もあります。
霊性と能力の共に高い者が、率先して仕事をこなし、よりよい国づくりの担い手となり、
生成発展を促し、結果として、社会における地位や収入が、他の人を上回ることは、自然
なことなのです。それは神も認めています。
まあもっとも、現在の我が国では、最低の霊性しかなく、能力においても平均よりさらに
劣る者ほど、人の上に立ちたがるようですね。国会には、そんな輩ばかりですし。
かつて我が国には、今よりももっと厳しい身分制度や、想像を絶する貧富の差がありまし
た。けれども、人々は、礼節を重んじ、清く明るく直く正しい生活を送っていました。
持てる者は持たざる者を助け、持たざる者は、その恩に報いる為、さらに奮闘努力を続け
たのです。
昔の日本人は、現実世界、即ち顕世(うつしよ)における、地位や収入には、
さしたる価値はない。という事を悟っていました。
賢者も愚者も、強きも弱きも、金持ちも貧乏人も、人間として互いを尊重し信頼し合い、
共に生きることに喜びを見出したのです。

これこそが、神道の精神であり、神道者の在るべき姿であります。

人間は、神に何らかの「お役目」を与えられて生まれてくるのです。
それを立派にまっとうし、清く明るく直く正しい生き方を実践することこそが神の喜びで
あります。
私には、私のお役目がありますし、あなたには、あなたのお役目があるのです。
地位や収入の大小なんぞ気にせず、お互いがんばりましょう。

隣の芝生は青く見えるし、他人の恋人は素敵に見えるし、他人の子供は賢く見えるもので
す。あまり気にしてはいけません。04/08/01
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