心の闇を照らすのは

最近「心の闇」というフレーズを、よく耳にします。若者による凶悪事件や問題行動が発生
する度に、有識者たちは皆、若者の「心の闇」の解明の必要性を説きますが、私には心の闇
の解明は不可能であると思われます。なぜなら、闇というものは全く光のない状態であって
光がなければ、そこに何があるのかさえも全くわからないわけで、判断のしようがないから
であります。
以前、私は万物には陰陽の別があると申しあげました。
人の心にも、当然、陰陽の別があるわけですが、それは心の中の「明るい芽」と「暗い芽」
であって、そもそも「闇」などというものは存在し得ないものなのです。
ところが信仰を忘れた現在の日本人の心の中に、老若男女を問わず次第に闇の部分が拡がり
つつあるということは疑い様のない事実です。
私は心の闇の解明は不可能であるし、また仮に、解明できたところで、それがすぐさま心の
闇を消滅させることにはならないと思います。
おそらく闇の中には、今までの恨みつらみや、憎しみや、悲しみや、嫉妬や、過去のトラウ
マや、激しい自己嫌悪や、何らかのコンプレックスだとか、とにかくロクな物がないと思わ
れます。大切なことは、心に闇を抱える本人が、正確に自分の心の状態を把握し自分の力で
その闇を光で満たすことができるように手助けをしてあげることなのです。
赤の他人が、人の心の闇を解明しようとして、むやみに闇の中へ分け入って行く事は、当の
本人にとっては余計なおせっかい以外の何物でもありません。

心の闇を照らし、心の闇を晴らし心を光で満たすことができるのは、信仰に他ならないと思
います。神道者には心の闇は存在しません。私たちの心には常に恵みの光が満ち溢れている
からです。私たちは神と共に泣き、笑い、共に生きてきました。この「共に生きる」という
ことが神道の重要なテーマであります。
私は、
共に生きることの素晴らしさに気が付かない人間の心にこそ、闇は生まれるのだと思
います。
人は絶対にひとりでは生きることができません。
しかし、そのことを忘れて人生を自分の力だけで生きていると錯覚し、全ての基準を自分の
価値観だけに置いて、他人の心情や心の痛みを察することのできない人間が、増えてしまい
ました。このような人は、自分ひとりの力ではどうすることもできない困難に直面した時に
いいようのない無力感や、敗北感にさいなまれ、誰からも助けてもらえない、理解してもら
えないという絶望的な孤独感がつのって、心に闇が生じてしまうのでしょう。
あなたは、ひとりぼっちではありません。
しんどくなったら、素直に助けを求めればいいじゃありませんか。必ず誰かが助けてくれる
ものです。善人や悪人や利口や愚か者や金持ちや貧乏人等々、世の中には、実に色々な人が
いますが、我が国では和を尊び、皆が助け合って生きてきました。
そして天照大御神は、これら全ての人々に恵みの光を降り注いでおられるのです。
まあ、もっとも信仰のない人間にとっては、太陽の光はただ眩しいだけのものかも知れませ
んが。恵みの光は、打ちひしがれた人間の、傷つき疲れた魂を癒し再生させるのです。
何も恐れる事はありません。神々は常にあなたと共に在るのです。
あなたがこの事に気付いた時、心の闇は跡形もなく消え去ることでしょう。03/08/05
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