神社神道 じんじゃしんとう
神社において展開し、地域に於ける祭礼や独自の儀式を守り伝える。

教派神道 きょうはしんとう
神社から一歩外へ出て、広く民衆に惟神の道を説き教化を中心として活動する。
教化とは教え感化するの意。
神社神道は教義・組織が未発達だが、教派神道は独自の教義と教団組織を持つ。

国家神道 こっかしんとう
戦前には国家神道の明確な概念はなかった。
祭政一致を理念とする我が国において、神社を税金によって維持管理することは当然の事
であった。戦後、GHQの神道指令によって神社神道を国家神道と認識し、神社への国庫
からの支出は廃止された。GHQは神社の根絶を目論んだが、神道指令によって消滅した
神社は一社もなかった。

御霊信仰 ごりょうしんこう
非業の死を遂げた人間や、怨みを残して死んだ人間の霊を御霊と言う。御霊は広く社会に
災いや疫病を発生させる。これに対して怨霊は特定の人間や場所にのみ災いを及ぼす。
御霊信仰は、平安時代初期に成立し、御霊を恒常的に祀ることで御霊の邪悪な霊威を天下
国家を守護する力へと転化し、国家と国民の安寧と繁栄を実現しようとするものである。
御霊信仰に基づく代表的な祭式として、京都八坂神社の祇園祭りがある。

靖国神社 やすくにじんじゃ
幕末から明治維新の動乱の時代において、各藩では戦いで命を落とした志士たちの魂が、
御霊とならないように慰霊のための社を建てた。これを招魂社と言う。
明治2年、帝都にも戊辰戦争の戦没者3588柱を合祀した東京招魂社が創建された。
後、東京招魂社は全国の招魂社の総社となり、明治12年、靖国神社と改称し今日に至っ
ている。
靖国神社の創建は、古より受け継がれてきた怨死者の無念を我が事として、その死を悼む
という日本人の純粋かつ自然な人間の誠の心の発露であり、そこには政治的思惑のかけら
もなかった。御霊信仰の観点からは、大東亜戦争の敗北によって戦犯の汚名を着せられた
政府軍部の首脳こそを丁重に祀るべきである。靖国参拝は戦争の美化などではない。
それは、我が身を挺して皇国を守り抜いた英霊の、哀しくも美しい崇高な御働きへの感謝
の祈りである。

神 かみ
尋常ならずすぐれたる徳のありて可畏き物を迦微(かみ)とは言うなり。 本居宣長
不可思議で畏敬の念を抱かせる物は皆、神であると考えられた。
森羅万象大自然の一切に神が宿り、人間や動物、花草木には神の霊が宿っている。
生きとし生けるもの全ては神の子である。一神教の神とは異なり、八百万の神々は人間に
身近な存在であり、また全知全能完全無欠ではない。
神々もまた、日々の暮らしの中で悩み苦しみ、それを乗り越えて成長するものなのだ。

造化三神 ぞうかさんしん
天と地が初めて開けた時に高天原に顕われた三柱の神。
高天原とは天上の神の世界。
天之御中主神は大宇宙の根源神。秩序の源。この神によって大宇宙の法則が定まった。
高皇産霊神は睦みの神。拡がる力。伸びる力。遠心力を司る。
神皇産霊神は結びの神。縮まる力。引く力。求心力を司る。

産霊 むすび
天地万物を生成発展させる大いなる力。万象を産み、育て、修め、造る業を受け持つ原動
力である。我が国の、ものづくりの伝統は高・神産霊神の二柱の神の恵みの賜物である。

三貴子 みはしらのうずのみこ
伊邪那岐神が黄泉国から逃げ帰ってきて、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原で体を清水で
洗いすすいだ時に、左目から天照大御神が、右目から月読命が、そして鼻からは、
建速須佐之男命が生まれた。これら三柱の神を三貴子という。

天照大御神 あまてらすおおみかみ
高天原を知らす神。皇祖神であり、歴代の天皇は天照大御神の御霊を宿す。
また日本民族の理想神で、至高の慈悲、久遠の仁愛、鉄石の真実を具現化し、恵みの光を
以って民族を守護し給う。

月読命 つくよみのみこと
夜の食国(おすくに)を知らす神。食国とは神の治める国の意。太陽が没し生き物が休息
する間、魑魅魍魎が跋扈するのを防ぐ役割を担っているのかも知れない。また月は自ら光
を発する事はなく、太陽の光を受けることによってのみ輝く。このように月の神は相手の
気持ちを慮る優しさと聡明さを持つ。

建速須佐之男命 たけはやすさのをのみこと
海原を知らせと命じられたが果たさなかった。海原とは人間にとって未知の領域。
まだ見ぬ母、伊邪那美神の後を追って根国へ行こうとして高天原に立ち寄ったが乱暴狼藉
を働き追放された。出雲へ降りてからは善行を行ない国づくりに尽力した。
国津神の最高神、大国主神の祖である。

天津神 あまつかみ
高天原に存在する神。また高天原に生まれ中つ国に降りてきた神。
中つ国とは日本の又の呼び名。

国津神 くにつかみ
中つ国に生まれた神。天孫降臨以前にも存在していた神。
天津神を国津神より上位に置く考え方もあるが、両者の御霊(みたま)の故郷は大宇宙で
あり、その祖は、大宇宙の根源神、天之御中主神に行き着く。
優劣にこだわる事には意味はない。
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