神社 じんじゃ
神の屋代。屋とは神の宿る建物。これを御屋(みや)と言う。代(しろ)は場所の意味。
古の人々は山や巨石、大木といった自然物に神が宿ると考えた。その場所に祭壇を設け、
祭祀が行われたが、その際、祭壇を風雨から守る為に、祭りの度に小屋が造られた。
やがて小屋が恒常的な建物となり、神を祀る小屋のある場所が神社となった。

鎮守の森 ちんじゅのもり
神社は神域である。そこは神の世界である。古の人々は神域を生命力に溢れ、静かで清ら
かな場所として保つ為に木を植えた。鎮守とは鎮め守ること。
現在では大都市圏の神社の杜は、ヒートアイランド現象の緩和に一役買っている。
歴史学者アーノルド・トインビーは伊勢神宮の深い悠久の杜に、全ての宗教の根源を見出
した。

顕世と幽世 うつしよとかくりよ
私たちが生活している現実世界を顕世と言う。そこでは全てが顕(あらわ)である。
一方、私たちの目には見えぬ異界を幽世と言い、そこには古事記に於ける黄泉国や根国が
ある。しかし、単なる死後の世界ではない。
天照大御神と須佐之男命の幽契(かくれたるちぎり)により、顕世は天照大御神の子孫の
天皇(すめらみこと)が、幽世は須佐之男命の子孫の大国主神が、それぞれ知らすものと
された。
顕世と幽世は、仏教で言う現世や来世とは異なり、常に同時に存在し、同じ時間が流れて
いる。また、完全に分断された世界ではなく、両者の境界はあいまいで、神々は両世界を
自在に行き来している。顕世と幽世は一体で、どちらが欠けても成り立たない。
顕幽一体は世界の秩序の根源である。

伊勢神宮 いせじんぐう
三重県伊勢市の五十鈴川川上の皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)そして14の別宮
109の摂社、末社、所管社の計125社から成る、我が国の神社の総社的存在。
第十代崇神天皇の御世に疫病が流行し、都が荒廃した。天皇が神にお伺いを立てたところ
宮中に祀られている天照大御神の神威をおそれ畏んで、よりふさわしい場所へ祀れとの御
神託が下った。そこで第八皇女豊鍬入姫命に命じて、御神体の八咫鏡を宮中から運び出し
姫は笠縫邑に祀った。しかしその後、姫は鏡と共に各地を流浪し遂に力尽き、姪の第十一
代垂仁天皇の第四皇女倭姫命に鏡を託した。倭姫命も諸国を巡った後、五十鈴川のほとり
で天照大御神の御神託を受け、その地に磯宮を建てた。これが内宮の始まりである。
一方、外宮は第二十一代雄略天皇の夢枕に天照大御神が現われ、豊受大神を祀れとのお告
げを与え、山田原に祀ったとされるのが外宮であるが謎も多い。
建築様式から考察すると外宮の御祭神は男神である筈なのだが、豊受大神は女神である。
実は豊受大神は大国主神である。と言う説もあり、少なからず支持を集めている。
内宮を顕世になぞらえて、その御祭神を天照大御神に、外宮を幽世になぞらえて、その御
祭神を大国主神とすれば、これは世界秩序の根源たる顕幽一体と一致する。
外宮の創建からは、当時のシナの柵封体制から離脱し顕幽一体の型示しを成し、神国日本
の確立を目指そうとした雄略天皇の意図が読み取れる。

出雲大社 いずもおおやしろ
島根県簸川郡大社町にある。その起源は古く、古事記の国譲りの段にまで遡る。
大国主神の、天孫邇邇芸命への国譲りに際し、天照大御神は大国主神の希望を聞き入れ、
出雲国の多芸志の小汀に天日隅宮という宮殿を建て、天之忍穂耳命の弟神の天之穂日命に
祭祀を行わせた。その子孫が出雲国造の千家家である。国造とは律令時代の役職で県知事
に相当する。明治以降は千家家が代々宮司を務めている。
旧暦10月を一般に神無月と言うが、出雲国では神在月(かみありづき)と言う。
これはこの時期、大社に全国から神々が集い会議を開く為、他国には神が不在となるから
である。
平成12年に、直系1m35cmの丸太を3本束ねた木柱が発掘された。これによって出雲
大社の本殿が、かつて我が国で最も高層の建造物であったことが確認された。

 まつり
その語源は、奉るから来ていると言われる。奉るとは、下位の者が上位の者に尊敬、恭順
の意を表わして奉仕を行なう事であるが、やがて神に対し、お供えをして饗応すると言う
意味を持つようになった。
祭は神と人間の交歓の場であり、交流の場でもある。それが端的に現われているのが収穫
の祭である。我が国では古より、農業は神と人間の共同作業であると考えられてきた。
人間は神に収穫を感謝し、神は人間の努力を称え、共に喜び合い、歌い踊り、酒を酌み交
わし、互いの絆を深めてきたのである。

新嘗祭 にいなめさい
宮中および全国の神社で行なわれる収穫祭。維新後の新暦採用から11月23日に行なわ
れるようになった。嘗(な)めるとは、なめる、味わうの意味で神に収穫を感謝し、共に
新穀を頂くのである。但し、女帝は新嘗祭を行なう事ができない。その理由には諸説ある
が、古より固く守られてきた。宮中祭祀の観点からも女帝は百害あって一利なしである。

大嘗祭 だいじょうさい
新天皇の即位後、初めて行なわれる新嘗祭を言う。
卜定によって定められた斎田の新穀を新天皇が神饌として献じ、神と共食する。
但し、大嘗祭は単なる収穫の感謝祭ではない。大嘗祭ごとに設けられる悠紀殿、主其殿と
言う建物の中で行なわれる秘儀によって初めて真の天皇となることができる。
※卜定(ぼくじょう) 占って決める事。
※斎田(さいでん)  神に供える米を収穫する為の田。
※神饌(しんせん)  神に供える飲食の総称。

天津微手振天津息吹 あまつみてぶりあまついぶき
大嘗祭に於いて悠紀殿、主其殿で行なわれる秘儀。神祇伯白川家から教派神道すめら教に
伝えられた。独特の呼吸法と動作によって皇祖神天照大御神の御霊を招いて、中府、即ち
丹田に鎮める。これによって神人合一を招来するものである。
皇祖神の御霊を宿して真の天皇となり皇祖神の御霊を歴代の天皇が引き継ぐ事で、皇位は
連綿と保たれてきた。

神人合一 しんじんごういつ
神と人間が一体と成る事。但し、神はもともと肉体を持たない。神人合一とは神の御霊と
人間の魂魄が一体となる事である。

万世一系 ばんせいいっけい
一つの家系が未来永劫存続する事。一般には天皇家の血統が続く事と理解されているが、
本来、皇統とは霊統であって、血統ではない。
霊統とは、皇祖神天照大御神の御霊が、連綿と歴代の天皇に引き継がれていく事を指す。
また、神の御霊を分け与えられた生きとし生けるもの全ても、各々霊統を営々と保って来
た。万物の霊統は、皇統へと連なるものである。
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