神典 しんてん
神の崇高な、拠り所となる教えを示した書。キリスト教の聖書やイスラム教のコーランを
聖典と呼ぶが、我が神典は、これ等とは、かなり内容が異なる。
神道に於ける神典は古事記である。そこには一神教の聖典のような厳しい戒律の事細かな
羅列や神を大げさに讃える表現は一切ない。
本居宣長は神典を大和ことばで「かみのみふみ」と読んだ。
八百万の神は神意を文に託して人間に伝えたのである。

古事記 こじき
和同5年(712)正月28日、稗田阿礼が誦習していた帝紀と旧辞を太安万侶が撰録し
て第四十三代元明天皇に献上した書物。
古事記は神典である。かつて、大嘗祭に於いて一連の儀式の最後に、30名の神官が順番
に古事記を朗誦した。古事記は神の御言に溢れている。これを声に出して読む事によって
そのまま神の霊威を授かることができるのである。
幕末、草莽の志士たちは、古事記を学ぶことによって、天皇と国民の深い信頼と絆を自覚
した。志士たちは、当時差し迫った危機にも気付かず惰眠をむさぼり、欧米列強の恫喝に
対し弱腰かつ屈辱的な対応に終始していた徳川幕府には、もはや、国家を統治する能力、
ならびに正統性無きことを覚るに至った。こうして国家と国民の本来在るべき姿に気付き
民族意識に目覚めた志士たちは一気に倒幕そして王政復古へと突き進んで行った。
古事記こそが維新の原動力である。と言っても過言ではない。
※誦習 ふしをつけて謡い詠む。
※帝紀 歴代天皇の系譜。
※旧辞 諸氏族に伝わる神話、伝承。
※撰録 書を集め、選び、それらを編集して記録すること。

天地開闢 てんちかいびゃく
混沌を脱して天と地が発けたのは、単なる陰陽の作用ではない。何ものかの意志が働かな
ければ永遠に混沌のままである。何ものかとは、大宇宙の根源神、秩序の源たる天之御中
主神である。天之御中主神によって大宇宙の法則は定まった。この法則を、神の摂理と言
う。これは、自然の摂理のさらなる上位概念であり、神の摂理(みはかり)に叛くものは
滅亡を免れる事はできない。

国生み くにうみ
伊邪那岐神と伊邪那美神の神婚、即ち結婚によって国が生まれた。
最初、伊邪那美神が先に声を掛けてから交わったので、不具の子、水蛭子(ひるこ)が生
まれ葦舟に乗せて海へ流した。その後14の島を産み、我が日本列島を形成した。
神の生んだ我が国土には、神の御霊が宿っている。そして、天皇、国民、森羅万象大自然
の一切にも神の御霊が宿っている。万物は神の御霊によって結ばれ、常に一体である。

岩戸開き いわとびらき
須佐之男命の乱暴狼藉を怒り悲しんで、天照大御神は、高天原の洞窟に籠もり、入り口を
巨石で塞いだので高天原も中つ国も闇の世界となってしまった。中つ国では邪神や魑魅魍
魎どもが跋扈し、あらゆる災いが噴出した。八百万の神々は、知恵を出し合い、岩戸を開
き天照大御神にお戻りいただいた。こうして復活した天照大御神の恵みの光によって、再
び世界は秩序を取り戻し、万物の生成発展が促された。
しかし、かつての闇の世界が拡がりつつある現在、今一度、岩戸開きを行なわなければな
らない。それは、私たち日本人の使命である。

国譲り くにゆずり
須佐之男命の子孫の大国主神によって中つ国の開拓が進められていたが、かつて天照大御
神と須佐之男命の話し合いにより顕世たる中つ国は、天照大御神の子孫が、幽世は須佐之
男命の子孫がそれぞれ知らすという事が約束されていた。
この幽契を悟った大国主神は中つ国を譲り、天孫が降りてくる為の環境を整えた。

天孫降臨 てんそんこうりん
天照大御神の孫、邇邇芸神(ににぎのみこと)が日向の高千穂峯に降り立った。その曾孫
の神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)が橿原宮で即位し、神武天皇とな
った。天孫降臨によって顕世たる豊葦原の瑞穂国を天皇が知ろしめし、幽世は大国主神が
知らし、かつ天皇と心を一つにして国づくりを支える。という顕幽一体の世界観と、我が
国体の形がここに定まったのである。
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