八咫烏 やたからす
神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)は、天下の政(まつりごと)を行な
うにあたって相応しいのは東の国であると考え、日向から東国を目指し進軍を開始した。
これが神武東征である。現在の大阪市から上陸を試みたが失敗し、海を南下して熊野から
大和へ入ることにした。東征軍が険しい熊野の山中で道に迷った時に、高皇産霊神の遣わ
した八咫烏が先導し、吉野へ至り、那賀須泥毘古(ながすねひこ)を討ち、大和を平定し
橿原宮を開いた。八咫烏の咫とは長さの単位で、親指と中指の間の長さを言う。その長さ
を約20cmとすれば八咫は160cm程になるが、そのように大きな烏は存在しない。
一説によると、黒装束に身を包み、偵察、暗殺、奇襲攻撃、諜報活動を請け負う、現在の
特殊部隊に相当する部族集団が存在し、彼らが八咫烏と呼ばれていたと言う事である。

八紘為宇 はっこういう
日蓮宗信者の田中智学は大正2年3月11日の国柱新聞で発表した「神武天皇の建国」と
言う論文に於いて「八紘一宇」という語句を使用し、これを天皇による世界統一世界征服
という重大な誤解を内外に与えたが、八紘一宇とは彼の単なる造語に過ぎない。
この造語の原典は、神倭伊波礼毘古命による橿原宮造営の詔(みことのり)の一節にある
「八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いえ)と為す」つまり「八紘為宇」である。
八紘とは世界、宇とは屋根の意味である。屋根とは風雨から人間を守る為のものである。
世界を屋根で覆うと言う事は世界の安寧と全人類の幸福を願う神武天皇の清らかな大御心
の顕われである。屋根の下は、森羅万象生きとし生けるもの全てが共に生きる喜びと希望
に満ち溢れた清浄の世界である。
異なる宗教や民族、多様な価値観の一切は八紘為宇の精神によって結ばれるものである。
人類が等しく、これを覚る事ができなければ、世界の文明は滅亡を免れないであろう。

日本書紀 にほんしょき
第四十代天武天皇の第三皇子舎人親王によって編纂され、養老十年(720)5月21日
に完成し、第四十四代元正天皇に献上された。30巻と系図1巻から成る。巻1と2は、
神代の巻で、一書(あるふみ)という異伝が付記されている。紀とは年、世紀の意であり
日本書紀は、官製の歴史書としての性格が強い。

言霊 ことたま
言葉には神の霊が宿る。あいうえお五十音の一語一語は、それぞれ異なる霊力を持つ。
言葉は古語で「九十波(ことは)」とも表わされた。それは波動を持ち、生き物や自然物
に影響を与える。神は言葉を発することはないが、人間は言霊によって神との交信が可能
となる。

魂魄 こんぱく
人間の霊は魂と魄(はく)の二重構造であると考えられている。魂は人間の精神を統制し
魄は肉体を司るとされる。魂が主で、魄は従である。

一霊四魂 いちれいしこん
一つの霊は四つの魂から成り立つ。これは、神の御霊(みたま)も同様である。
一霊は四魂を統括し、四魂は一霊に統合される。
霊には二つの態様がある。一つは直霊(なほび)で、霊の理想的な状態であり、もう一つ
は曲霊(まがつひ)で魔に支配された状態である。曲霊を直し直霊に戻す事が禊である。
直霊の一霊に対する四魂とは荒魂(あらみたま)和魂(にぎみたま)幸魂(さきみたま)
奇魂(くしみたま)である。荒魂とは、猛々しい働きを為す荒ぶる魂であり、和魂とは、
穏やかな魂を指し、幸魂は奇魂によって、まとめられたものを外へ向けて開き、奇魂は、
超自然的作用でバラバラのものを、まとめる働きを行なう。
幸魂と奇魂は常に一対を成し、大国主神の幸魂奇魂から大物主神が化生した。
また、一柱の神の荒魂と和魂を、それぞれ別の社に分けて祀る例も多く見られる。

分霊 わけみたま
森羅万象大自然の一切には神霊が宿り、あるいは神そのものである。我々人間も含めた、
生きとし生けるものの全ては、神の御霊を分け与えられた「わけみたま」である。
生きとし生けるものの全ては、わけみたまとしての親子であり、等しく尊い命である。
命と書いて「みこと」と読む。「みこと」とは即ち、神である。生きとし生けるもの一切
の命は、神から与えられたものである。したがって、決して粗末にしてはならない。

以上、五回にわたって基本中の基本の49項目の神道用語の解説を行なって参りました。
皆さんは、どの様な感想を持たれたでしょうか?今後も折を見て、用語解説をしていきた
いと思います。
あらゆる価値の根源は、惟神の道にあるのです。現在、我が国が置かれている絶望的状況
から脱する手だては、まず何よりも神道の精神に立ち返ることではないでしょうか?
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