神道大教四大信條要典

さて今回は、いよいよ神道大教の教義でありますところの四大信條の全文を
ご紹介します。教義と言っても、わずか80節しかありません。
神道には人間の日常生活においての、事細かな決まり事はありません。
人間は神によって自由に生きることが許されているのです。
己を律するものは、自分自身であります。実はこれが非常に難しいのですが。
今ここに在る事を神に感謝し、常に清く明るく直く正しい道を歩みましょう。

四大信條 
天徳・地恩・清浄・光明

第一章 天徳
第一節   神の初めを天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という。
      この神は人智不測の彼方に在しまして、その御存在は御神徳によって
      知ることができる。
第二節   天之御中主神の御神徳を天徳といい、日日これを頂くことによって
      生きとし生けるものの生命を持続することができる。
第三節   天徳とは光であり、空気であり、又、大自然のいとなみの一切の
      現象でもある。
第四節   神の摂理(みはかり)とは天徳のあらわれである。
第五節   摂理の中に自然があり、自然に包まれて生物は生かされている。
第六節   摂理に逆くことは滅亡を意味し、摂理を尊ぶことは弥栄が約束される。
第七節   聖なる信仰は天徳を謝し、摂理を重ずる処から始まる。
第八節   人間至高の精神は天徳に学び、神秘なる自然のしくみを敬うことによって
      築きあげられる。
第九節   四季の巡り、風雨の潤いは人間生活に詩情とゆとりとをもたらし、
      創造進化の原動力となる。
第十節   天変地異は偉大な鎮魂の道場で、俗身が霊体と化する唯一の潔場でもある。

第二章 地恩
第一節   地上の生物は凡て繁栄が約束されている。
第二節   繁栄は睦み合うことによってもたらされる。
第三節   高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かんみむすびのかみ)は
      睦みの神であり、結びの神でもある。
第四節   地恩とは二神のお働きの総称であり、又、地上一切の生物の聖なる父母
      でもある。
第五節   二神は天之御中主神の思いはかりによって宇宙に出でまし、万象を産み、
      育て、修め、造る業を受け持ち給う。
第六節   二神の御神徳には、陰陽の別があり、生物には雌雄を作り、又、強には弱、
      有情には無情、建設には破壊のお働きがあり、或いは又、人類社会には善
      には悪、喜には悲などと様様な現象を現し給う。
第七節   二神は主神(天之御中主神)のみこともちとして、山には山の神を置き、
      海には海の神を置き、河川、草木、家屋、心意(人の心)にもそれぞれ司の
      神を置き給う。
第八節   この神はみたまであり、みたまは物本来の正しい姿であり、穢れて崩れない
      前のものである。
第九節   飲むもの、食べるもの、着るもの、住む家、凡て二神の恵みである。故に、
      司の神を敬わなく、これを受けることは穢れの始めである。
第十節   動物と植物とは互いに助け合って、共存共栄の生活を営んでいる。故に、
      彼の本質を見極め、これを生かして用うることが二神の御心である。
第十一節  神は適者のみを地上に送り給うとは限らない。即ち、不適者や敗者の存在は
      神が人類社会に清浄と光明とを求めしめ給うてだてである。
第十二節  二神への信仰によって万物の霊を知り、万神への信仰によって物心の尊貴を
      知る。
第十三節  総ての神は異名同体であり、万神は一神より出で、一神は万神に連なる。
第十四節  異なる民族は異なる神の下にあるが如き錯覚を持つが、いずれも真実では
      ない。
第十五節  真の神は宇宙の根本生命である天主で、神道ではこれを天之御中主神と称ぶ。
第十六節  伊邪那岐神(いざなぎのかみ)、伊邪那美神(いざなみのかみ)はむすび二神の
      よき遺鉢を受け、人類の完成を計り給う。
第十七節  天照大御神は日本民族の理想神で、天の徳である至高の慈悲、久遠の仁愛、
      鉄石の真実を具現し給い、恵みの光を以って民族を守護し給う。
第十八節  人類は神の大御心の中に生きてこそ真に生活の充足が得られるものである。
第十九節  天徳の神秘を知り、地恩の妙相を悟れば、人生の機微も自ずと判り光明世界
      への第一歩を踏み出すことができる。
第二十節  人類の叡智こそはまさに神の与え給う心眼であるから、これを妖悪不浄の雲
      に穢してはならない。

第三章 清浄
第一節   清浄は神の世界であり、人類の理想である。
第二節   穢れは万象の病いであり、好んで穢れに触れる者は神の世界を穢すことである。
第三節   人間は本来聖なるものである。聖なるものは犯すことができない。
第四節   聖は清に通じ、社会現象の一切は清を本体とする。
第五節   利己排他は自己保存の権利の如く見えるが、これは過ぎると滅亡のもととなる。
第六節   他人の生命はもとより、自らの生命にも触れてはならない。それは神のもので
      あるからである。
第七節   盗んで快い者は悪である。人間は本来悪でないから盗んで快いと言う
      ことはない。
第八節   策を施して、欺かなければ善い。策を施さなくて、欺かなければ聖である。
第九節   女犯、男犯は不善の最で、社会紊乱の元である。
第十節   純潔とは操を保つことで、操とは節であり、分である。
第十一節  闘争によって物事を処理するは素手で激流を堰ぐに等しく、自らも生命を落とす
      こととなる。
第十二節  貪慾は鬼畜世界のもので、人智の長けた人類社会のものではない。
第十三節  不浄心のある者は憎しみの心を持ち、憎しみの心ある者は神の試みの中にある。
第十四節  怒りを消すものは浄で、浄の中に静があり、静を見出すは祓いである。
第十五節  澄みて清らかなるは天来の魂で、稼れて醜なるは凡心の迷いである。
第十六節  迷える心は鎮め、穢れる心は祓って、伊邪那岐神の橘の小戸の神事の如く、
      常に心身を洗い清めれば清浄の人生を保つことができる。
第十七節  心に真を求むる者は神を見ることができる。即ち、神は真であるからである。
第十八節  心に善を求むる者は神を見ることができる。即ち、神は善であるからである。
第十九節  心に美を求むる者は神を見ることができる。即ち、神は美であるからである。
第二十節  心に聖を求むる者は神を見ることができる。即ち、神は聖であるからである。

第四章 光明
第一節   神ながらの道の終極は光明世界で、人は己の人生を光明の世界に置くを第一義
      としなければならない。
第二節   罪の深い者にも善の高い者にも、不徳の者にも有徳の者にも、光は常に等しく
      降り注いでいることを知るべきである。
第三節   光明は神で、人類の歩む道である。
第四節   我執妄執は曇りで、光を胸中に入れようとすれば先ず雲を祓わなければ
      ならない。
第五節   耳を天に向けよ。更に地に移せ。汝の魂を神の御手に還せ。
第六節   大なる宇宙も、小なる我も共に神の掌中にあるものであるから狭い心で物事を
      図ってはいけない。
第七節   心の明るいものは災いを受けないと言うが、明るい中に暗い芽のあることは
      災いのもとである。
第八節   日日仕事に励むことはよいが、身に余ることをするのは無理で、無理の中には
      光明はない。
第九節   他人の穢れた言葉を耳にしたならば、ただちに、清い言葉を以ってこれを清め
      なければならない。
第十節   不遇逆境に耐えて、常に努力を忘れない者は光の中に生きることができる。
第十一節  我を謗る者もこれを敬い、我を疎ずる者もこれに謝するは光明不動の叡智
      である。
第十二節  垣一歩をせめる者には垣を外して順逆を説け。
第十三節  物を買う人の心になって物を売り、売る人の労苦を想って物を買えば、
      光明おのずと相互に及び、心は富み、先き先きもよく見えてくる。
第十四節  物を作るには魂を入れて作れ。即ち、その魂は使う人に通って物の真価が
      発揮される。
第十五節  物を使うに物を敬って使えば、物を授けた神と物を作った人との霊力を共に
      受けることができる。
第十六節  人は使うのではない、用いるのである。用い用いられて、互いに感謝の念に
      生きれば光明を得ることができる。
第十七節  他人の富をねたまず自らの富を産め。
第十八節  富の蓄積は善である。しかし、生かして使わなければ悪になる。
第十九節  夫婦の和は神の御旨を知るもので、不和のときは見直し、聞き直して、
      速く思い図れ。
第二十節  夫婦の睦びは人の世の珠玉で、神の国のものである。神の神秘な配慮を感謝
      して、老いて益益敬い合うべきである。
第二十一節 親は子のためには水火をもいとわないというが、子の人格を認めない愛は
      盲愛である。
第二十二節 子は親に対して慎みを持て。親は汝の生命で、神の義を踏んだものである。
第二十三節 老いた親は口数を尠く、心で念え。老いて後の幸福は春日の如きのどけさ
      がよい。
第二十四節 子は成長しては常に親の心を推し図って念え。この念願によって、
      尊敬と慈愛との光明世界に親と共に入ることができる。
第二十五節 兄弟姉妹は広い天地の中に奇しくも同胞として生れ出でた機縁を尊び、
      互いに助け合い、励まし合うべきである。
第二十六節 血縁の愛を隣人に、隣人の愛を社会に及ぼし、先ず自ら清く明るく生きて
      ゆくことは人間の心掛けの第一義である。
第二十七節 真に神の声を聴かんと願えば嘘偽りの心を祓え。
第二十八節 祖先の霊を敬うは己の魂を敬う義で、己の魂を踏みにじるものは
      祖先と子孫とを穢す義である。
第二十九節 天神を崇め、地祇を拝むは己の心を崇め人の心を拝む義である。
第三十節  神道は敬神崇祖が第一義で、清く明るく直く正しい道であり、光明世界
      である。人類が等しくこれを覚るとき、天の徳、地の恩に満ち満ちた清浄の
      世界と、光明にあふれる生活とを享有することができるのである。03/09/08
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