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| ■ 2008長崎帆船まつり 平成20年4月24日(木)〜4月28日(月) |
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会 場 |
長崎港(長崎水辺の森公園、松が枝国際観光埠頭、長崎出島ワーフ周辺) |
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イベント |
日本丸入港パレード、入港セレモニー、帆船イルミネーションライトアップ、
船内一般公開、観光丸・飛帆体験クルーズ、出港セレモニーほか |
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問合せ |
さるく観光推進課
〒850-8685 長崎市桜町2-22
TEL 095-829-1314 FAX 095-829-1232 |
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| ■ 長崎さるく
平成19年4月1日(日)〜 |
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長崎には皆さんご存知のグラバー園や大浦天主堂、平和公園など、観光ガイドブックに紹介されているもの以外にも魅力的な観光名所や旧跡がたくさんあります。あの坂本龍馬、勝海舟、福沢諭吉など多くの偉人も長崎で学び、日本の近代化に大きく貢献しました。また、愛八の『ぶらぶら節』に歌われているように、ハタあげやくんちなど長崎ならではの季節感あふれる暮らしや風情が今も受け継がれています。それらの魅力をたっぷり味わってもらうには、長崎のまちを歩くのが一番です。
そこで、平成18年4月1日から212日間にわたって実施した「日本ではじめてのまち歩き博覧会長崎さるく博′06」。市民の皆様をはじめ全国の皆様に、長崎のまちの知られざる魅力をご紹介しながら、好評のうちに終了することができました。観光客と長崎市民がふれあうという新しいスタイル、長崎のまちのイメージが変わったという声。そしてなにより、このままずっと続けてほしいという要望もたくさんいただきました。このような様々な声にお応えして、平成19年4月1日から「長崎さるく」として再スタート。 “さるく”とは、まちをぶらぶら歩くという意味の長崎弁。「長崎さるく」では、特製マップ片手に自由に歩く 長崎遊さるく、長崎名物・さるくガイドの説明を聞きながら歩く長崎通さるく 、専門家による講座や体験を通してさらに深く探求する長崎学さるくのほか、団体でのご利用などお客様のニーズに合わせたオーダーのさるく、修学旅行向けのさるくなどもご用意!皆さんの興味や形態に応じて、まだ知らない長崎をさるいていただけます。和華蘭(わからん)まち長崎の歴史、隠れた魅力などを存分にご堪能ください。
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| ■ 出島 |
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寛永13年(1636年)に築造された出島は、安政6年(1859年)、オランダ商館が閉鎖される218年間に渡る鎖国時代、日本と西洋を結ぶ唯一の窓口であり、経済・文化・学術の交流拠点として、日本の近代化に大きな役割を果たしました。しかし、明治以降、出島周辺の埋め立てが進み、明治37年の第2期港湾改良工事により、海に浮かぶ扇形の原形を失ってしまいました。出島は、日本だけではなく世界史上においても貴重な歴史的遺産であり、その復元は市民はもちろん、国内外の多くの人々が待ち望んでいます。出島は大正11年に国の史跡に指定され、長崎市では昭和26年度から整備計画に着手し、昭和27年度以来、史跡内の民有地の公有化や施設整備に取り組んでいます。これまで研究会や審議会での検討を経て、平成8年度からは本格的な復元整備事業を実施。平成13年度には民有地のすべてを公有化するなど、完全復元に向けて整備は着々と進んでいます。現在、出島の代表的な建物だったカピタン部屋(商館長居宅)や水門など10棟を復元、建物と家具・調度品などにより、当時の生活や貿易の様子などが紹介展示されています。ぜひご見学してみてはいかがでしょうか。 |
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| ■ グラバー園 |
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ペリーの浦賀入港から5年後の安政5年(1858年)、諸外国は通商貿易を求めて相次いで来航し、幕府に開国を迫った。幕府は開国へと踏み切り、英国やアメリカをはじめとした5ヶ国と修好通商条約を締結。翌、安政6年(1859年)、長崎は、横浜、函館ともに開港され、外国との自由貿易時代へと突入。外国の商人たちがやってくることから、住む家や活動拠点を確保する必要があり、幕府は、急いで埋め立てや造成をはじめ、東山手、南山手、大浦、小曽根、下り松、梅ヶ崎、新地、広馬場、出島地区一帯に外国人居留地が形成されていった。居留地は、海岸に近い方から、上等地、中等地、下等地の3つに分けられ、借地料の高い上等地には貿易のために訪れた外国商人たちの商館や倉庫、その背後の中等地にはホテルや銀行、病院、娯楽施設、山手の下等地には、住宅、教会、領事館などが建設された。山手の中でも、南山手が住宅地として利用されたのに対して、東山手は当初「領事館の丘」と呼ばれ、ポルトガルやプロシアなど、各国の領事館が建ち並んだ。こうして様々な種類の洋館が建てられ、大浦バンドと呼ばれる海岸通りを中心とした居留地独特の町並みが形成されていった。明治32年に外国人居留地は廃止されたのだが、その後も洋館は残り、長崎のまちに異国情緒をかもし出していた。そして昭和45年、しだいに少なくなってきた洋館を保存しようと、グラバー住宅などがあった南山手の丘を整備。市内に現存していた様々な洋館を移築して、昭和49年にグラバー園が誕生したのである。それ以来、グラバー園は長崎を代表する観光地として多くの人々に愛され続けている。ちなみにグラバー園内には、龍馬が隠れたとされる部屋もある。また、高知市から贈呈された龍馬の等身大写真も展示されている。ぜひ、龍馬ファンのみなさんも見学してみてはいかがでしょうか。 |
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| ■ 唐人屋敷 |
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1635年(寛永12年)から中国貿易は長崎一港に制限されており、来航した唐人たちは長崎市中に散宿していましたが、貿易の制限に伴い密貿易の増加が問題となっていました。幕府はこの密貿易への対策として、1688年(元禄元年)十善寺郷幕府御薬園の土地で唐人屋敷の建設に着手し、翌1689年(元禄2年)に完成しました。広さは約9,400坪、現在の館内町のほぼ全域に及びます。周囲を練塀で囲み、その外側に水堀あるいは空堀を、さらに外周には一定の空地を確保し、竹垣で囲いました。入口には門が二つあり、外側の大門の脇には番所が設けられ、無用の出入りを改めました。二の門は役人であってもみだりに入ることは許されず、大門と二の門の間に乙名部屋、大小通事部屋などが置かれていました。内部には、長屋数十棟が建ち並んでいたといわれ、一度に2,000人前後の収容能力を持ち、それまで市中に雑居していた唐人たちはここに集め、居住させられました。長崎奉行所の支配下に置かれ、管理は町年寄以下の地役人によって行われていました。輸入貨物は日本側で預かり、唐人たちは厳重なチェックを受けた後、ほんの手回り品のみで入館させられ、帰港の日までここで生活していました。1784年(天明4年)の大火により関帝堂を残して全焼し、構造もかなり変わりましたが、この大火以後唐人自前の建築を許されるようになりました。重要文化財旧唐人屋敷門(現:興福寺境内所在)はこの大火の後に建てられた住宅門と思われます。鎖国期における唯一の海外貿易港であった長崎において、出島と共に海外交流の窓口として大きな役割を果たした唐人屋敷は、1859年(安政6年)の開国後廃屋化し、1870年(明治3年)焼失しました。唐人屋敷は江戸時代には和蘭屋敷(出島)と並ぶ、日本の対外貿易の2大拠点であり、我が国の近世の対外貿易の重要な歴史的遺産です。しかし、安政5年の開港以降は外国人居留地と同じような取扱いがなされ、その後、明治期の住宅政策のために日本人の住宅に同化しました。江戸時代当時の道路、石垣、空堀等の遺構が多く残されている唐人屋敷を見学してみてはいかがでしょうか。 |
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| ■ シーボルト記念館 |
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シーボルトは、1796年2月17日、現在のドイツ連邦共和国バイエルン州ヴュルツブルク市の医学者の家に生まれました。その後、ヴュルツブルク大学医学部の時代には、医学ばかりでなく、動、植物学や民族学なども学びました。この広い科学的知識が、のちにシーボルトが日本の調査・研究をするときに大いに役立ちました。1823年、シーボルトは、出島のオランダ商館医として、長崎に派遣されました。日本に滞在中には、阿蘭陀通詞(オランダ語の通訳)や、絵師川原慶賀、全国から西洋の学問を学びに来た学者たちの協力を得ながら、日本の調査・研究を行い、その成果をヨーロッパに紹介しました。その中には、長崎の自然・地理・歴史・風俗・美術工芸も含まれていました。1832年に出版を始めた著書「日本」には、当時の人々が実り豊かな自然を背景に、素晴しい文化を築き上げたことがうかがえます。シーボルトは、日本に近代西洋医学を伝え、日本の近代化やヨーロッパでの日本文化の紹介に貢献しました。ヨーロッパ人でありながら、日本の文化などをこよなく愛した人物であったといえます。このようなシーボルトを、記念館では紹介しているので、みなさんも見学してみてはいかがでしょうか。ちなみに、長崎龍馬会の顧問であった中西啓先生(故人)が館内のテレビを通じて説明してくれるので必見だ。 |
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| ■ 長崎歴史文化博物館 所在地:長崎市立山1丁目1番1号 |
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常設展 |
歴史文化展示ゾーン(大航海時代から近世、近代までの長崎の海外交流の歴史)
長崎奉行所ゾーン(長崎奉行所の役割や機能、歴史的事件、キリシタン関係資料)
長崎歴史情報コーナー(原始・古代から現代までの長崎の歴史) |
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企画展 |
北京故宮博物院所蔵 開館記念特別展第2弾「北京故宮博物院展」清朝末期の宮廷芸術と文化(会期:1月21日(土)〜3月5日(日)) |
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| ■ 長崎県立美術館 所在地:長崎市出島町2番1号(長崎水辺の森公園内) |
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常設展示室 |
「長崎ゆかりの美術」や「スペイン美術」など、所蔵する3733点の作品を紹介。また、15世紀から1940年代までの幅広いコレクションを誇る須磨コレクションの中から厳選し紹介。夏休み期間中は、親子で楽しめる企画として、花や樹木などをテーマにした「植物展−木をみて、森もみる」を開催。 |
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企画展示室 |
南フランスモンペリエファーブル美術館所蔵
魅惑の17〜19世紀フランス絵画展(会期:1月11日(水)〜2月12日(日))他 |
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県民ギャラリー |
県民の皆さんが企画する書道展、絵画展、写真展などの展覧会を年間を通じて開催。 |
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| ■ 長崎ランタンフェスティバル 平成20年2月7日(木)〜2月21日(木) |
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長崎市は、1571年の開港以来、外国との交流によって発展してきた街であり、市内には、港を見下ろす南山手の丘に、数々の明治の洋館が建ち並ぶグラバー園をはじめ、東山手の洋館群、大浦天主堂、鎖国時代に海外で開かれた唯一の窓口であった出島、そして中国との交流を偲ばせる唐人屋敷跡、眼鏡橋、崇福寺や興福寺などの唐寺、新地中華街と数多くの史跡や観光名所に恵まれております。このように異国情緒あふれる長崎で、中国色豊かな灯の祭典『長崎ランタンフェスティバル』が、15日間にわたり開催されます。このお祭りは、長崎在住の華僑の人々が、中国の旧正月(春節)を祝うための行事として始めたもので、もともと「春節祭」として長崎新地中華街を中心に行なわれていましたが、平成6年から規模を拡大し、長崎全体のお祭りとして、冬を彩る一大風物詩となっています。期間中は、長崎新地中華街はもとより、浜市・観光通りアーケードなどの市内中心部に、約1万5千個にも及ぶランタン(中国提灯)が飾られ、湊公園をはじめ各会場には、中国陶器(景徳鎮)を1万個組合わせて作られた「龍と鳳凰」や孔雀などの大型オブジェが所狭しと飾られ、皆様のお越しをお待ち致しております。 |
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会場:湊公園・長崎新地中華街・中央公園ほか
内容:媽祖行列・皇帝パレード・中国獅子舞・中国雑技・龍踊り・ニ胡演奏ほか |
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| ■ 長崎くんち 平成19年10月7日(日)〜10月9日(火) |
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「京都の加茂祭り」大阪の「天満宮の祭り」と共に、日本三大祭りの一つに数えられる長崎くんちは、370年の歴史と伝統を持つ長崎市民の氏神様である諏訪神社の秋の大祭。旧暦9月9日に行なっていたことから、9日すなわち「くんち」と呼ばれるようになったといわれている。この長崎くんちの最大の特徴は、他から受け入れ模倣したものではなく、評判の歌舞伎や出島や唐人屋敷の風俗に、町人が年毎に工夫を加えて育て上げてきた町人による奉納であるということ。そして歴代の長崎奉行が経費を貸して保護したので、年々盛大になっていったということだ。踊町(おどりちょう/出演者)は「龍踊り」、「コッコデショ」などそれぞれ歴史を誇る自慢の演し物を持っており、7年に1度、出番がまわってくる。本番は、10月7、8、9日の3日間。7日は諏訪神社の踊り馬場で各踊町の奉納が行なわれた後、「おくだり」と称して3つの御輿が多数のお供を従えてお旅所へ向かう。8日は、各踊町は花(寄付)をもらい、市内を踊り歩く庭先回り。9日は3つの御輿がお旅所から諏訪神社へと戻り、御輿を担いだまま参道の坂段を駆け上がる「おのぼり」が行なわれ、3日間の祭りの幕を華やかに閉じる。異国情緒に溢れ豪華絢爛! これが「長崎くんち」最大の特徴であり魅力なのだ。長崎くんちの奉納踊は、昭和54年(1979)に国の重要無形民俗文化財に指定されている。
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会 場 |
諏訪神社(長崎市上西山町)、長崎市公会堂前広場(長崎市魚の町)、
お旅所(長崎市元船町)、八坂神社(長崎市八坂町) |
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踊り町・出し物 |
万才町: 傘鉾・本踊
銀屋町: 傘鉾・鯱太鼓
麹屋町: 傘鉾・川船
西M町: 傘鉾・龍船・本踊
興善町: 傘鉾・本踊
五嶋町: 傘鉾・龍踊
八幡町: 傘鉾・弓矢八幡祝い船・剣舞 |
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| ■ 精霊流し
平成19年8月15日(水) |
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『長崎ぶらぶら節』の中で、ハタ揚げや長崎くんちと並び規模で“盆祭り”と唄われている精霊流し。長崎の盆は、先祖や親族の精霊があの世から旧7月(新8月)の13日に我が家へ帰ってきて、15日にまた冥土へ引き返すのをあたかも生きている人間に接するように歓待するという情緒に満ちた行事として伝承されている。毎年8月15日に行われる豪華で賑やかな精霊流しは、盆前に死去した人の遺族が故人の霊を弔うために手作りの船を造り、この船を曳きながら街中を練り歩き海へ流すというもの。他の地方で行われる灯籠流しと同じ意味だ。各家で造られる船は大小様々。材料は主に竹、板、ワラ。長く突き出した船首(みよし)には家紋や家名、町名が大きく記される。故人の趣味などを反映させたり、町内合同でもやい船を出したりと、8月になると細部の飾り付けにまでこだわった様々な造りかけの船が路上に多く見られるようになる。当日、夕暮れ時になると町のあちらこちらからそれぞれの船の出発を知らせる鐘の音と、耳をつんざく爆竹の音が鳴り響く。相当数の花火を鳴らすためこの日の長崎は非日常的な空間が形成される。「チャンコンチャンコン」という鐘の音に「ドーイドーイ」の掛け声。最終地の大波止までこの船の行列は続く。現在は実際に海へ流すことはせず無惨に壊されてしまう。ここでは船から遺影をはずし、その壊される船を眺めながら悲しみにくれている遺族の光景を目にする。爆竹を鳴り響かせ、一見派手なお祭り騒ぎのような精霊流し。初盆を迎え、船を自らの手で造り、見送り、悲しみと訣別する。大波止で見られるこの光景は、賑やかさの裏にある精霊流し本来の姿だといえる。
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会 場 |
長崎市街地一帯(メインストリートは思案橋〜県庁坂〜大波止) |
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問合せ |
長崎市さるく観光推進課:095-829-1314 |
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| ■ ながさきみなとまつり 平成19年7月28日(土)〜7月29日(日) |
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鎖国時代には、出島が我が国唯一の海外との交流窓口となり、異文化が取り入れられるとともに、安政の開国では函館・神奈川などと並んで、長崎港がアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスとの貿易港に選定されるなど、我が国有数の国際貿易港として、長崎の繁栄に大きく貢献をいたしました。このように輝かしい歴史を有する長崎港も開港の時期さえ不詳で、開港を記念する行事等は全く行なわれず、港に関する市民の意識は薄れがちな時代がありました。
長崎商工会議所では、かねてから長崎港に対する市民の認識を深め、一層の発展を期するため、開港記念行事について議論を重ね、昭和5年4月史学者の古賀十二郎らに委任して、史実によって長崎開港を1571年と認め、県・市・海事関係者とはかって、長崎開港記念会を設立いたしました。私どもは、毎年4月27日の開港記念日に先賢顕彰式をはじめとした開港記念行事を行うとともに、夏季には海・港に関わりを持つ数多くのイベントを実施して参りました。中でも、ながさきみなとまつりは、市民や観光客が港に集い、まつりを楽しむことにより、長崎の海と港のすばらしさを再認識し、これからの街づくりを共に考える機会とするとともに、県内外からより多くの来街者を促し、長崎の経済・文化の振興発展を願って開催している事業であります。 |
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会 場 |
長崎水辺の森公園・特設ステージ |
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イベント |
長崎ペーロン選手権大会(松ヶ枝国際観光埠頭)、ベイサイドコンサート、花火大会(両日合計5,500発を予定)、ベイサイドマーケット、先賢まつり長崎さるき山車パフォーマンス、市民ステージ、飛帆クルーズ |
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問合せ |
長崎開港記念会・ながさきみなとまつり実行委員会
〒850-8685 長崎市桜町4番1号(長崎商工会議所内)
TEL 095-822-0111 |
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| ■ 2007長崎帆船まつり 平成19年4月26日(木)〜4月30日(休) |
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会 場 |
長崎港(長崎水辺の森公園、松が枝国際観光埠頭、長崎出島ワーフ周辺) |
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イベント |
入港パレード、入港セレモニー、帆船イルミネーションライトアップ、船内一般公開、
体験クルーズ、セイルドリル、ステージイベント、打ち上げ花火、出港セレモニーほか |
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問合せ |
長崎帆船まつり実行委員会事務局
〒850-8685 長崎市桜町4番1号(長崎市観光宣伝課内)
TEL 095-829-1314 FAX 095-829-1232 |
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| ■ 長崎ランタンフェスティバル 平成19年2月18日(日)〜3月4日(日) |
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長崎市は、1571年の開港以来、外国との交流によって発展してきた街であり、市内には、港を見下ろす南山手の丘に、数々の明治の洋館が建ち並ぶグラバー園をはじめ、東山手の洋館群、大浦天主堂、鎖国時代に海外で開かれた唯一の窓口であった出島、そして中国との交流を偲ばせる唐人屋敷跡、眼鏡橋、崇福寺や興福寺などの唐寺、新地中華街と数多くの史跡や観光名所に恵まれております。このように異国情緒あふれる長崎で、中国色豊かな灯の祭典『長崎ランタンフェスティバル』が、15日間にわたり開催されます。このお祭りは、長崎在住の華僑の人々が、中国の旧正月(春節)を祝うための行事として始めたもので、もともと「春節祭」として長崎新地中華街を中心に行なわれていましたが、平成6年から規模を拡大し、長崎全体のお祭りとして、冬を彩る一大風物詩となっています。期間中は、長崎新地中華街はもとより、浜市・観光通りアーケードなどの市内中心部に、約1万5千個にも及ぶランタン(中国提灯)が飾られ、湊公園をはじめ各会場には、中国陶器(景徳鎮)を1万個組合わせて作られた「龍と鳳凰」や孔雀などの大型オブジェが所狭しと飾られ、皆様のお越しをお待ち致しております。 |
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