■   長崎の龍馬に関する史跡紹介    ■



史跡料亭「花月」 大浦 慶 上野彦馬

坂本龍馬の銅像 馬渡 善裕
長崎風頭公園の坂本龍馬像
長崎市風頭山はハタ揚げや桜で有名な地である。近くに坂本龍馬がつくった貿易商社「亀山社中」がある。また、皓台寺には同志の近藤長次郎・小曽根英四郎、龍馬の写真を撮った上野彦馬が眠っている。その風頭山に坂本龍馬の銅像が建っている。ブーツを履き、筋肉に満ちた腕を組み、台座からはみ出した左足は自由奔放で枠にとらわれない姿であろうか。視線は長崎港を見下ろし世界の海援隊を夢みているのだろうか、日本の夜明けを夢みているのだろうか。台座1.8m、銅像3mと手を伸ばせばブーツに触れることができる。おかげでブーツの先端が光って見える。この銅像は、「龍馬の銅像建つうで会」が約2年間の活動を通じて全国に呼びかけ、その活動に賛同した有志の浄財によって平成元年5月21日に建てられたものである。それは、長崎市銅座町にある「風雲児焼鳥竜馬」から始まる。長崎に龍馬の銅像がないのはおかしいと念仏のように唱えるマスター河野健一氏。銀行に勤める板屋俊彦氏をはじめとする常連
客が建つうでと声を上げる。酒の席での出来事であったが現実となっていく。準備会発足後、銅像製作者山崎和国氏への協力依頼、建立場所丸山公園の決定、マスコミや関係機関への後援依頼、実行委員会の正式名称決定、口座の開設を経て昭和62年6月28日に約60名の同志が集まり発会式を行う。街頭募金の開始である。毎週日曜日に「海援隊発祥の地、長崎に坂本龍馬の銅像を建てるための募金活動にご協力をお願いします!」の掛け声。この募金活動が1年間続くこととなる。その間、活動を知ってもらうためNBC放送「新長崎歴史散歩」をはじめ多くのメディアに顔を出すとともにファミリンピック綱引き大会などのイベントにも積極的に参加。また、資金集めのためガレージセール出店やテレホンカードをつくり販売したり、主催イベントとして龍馬ゆかりの地めぐりや謹賀龍竜展で龍馬史料の展示会を開催したりした。発会式から1年近く経過。募金状況が思わしくないことから企業まわりを開始する。だが、社会経験が浅い若い青年たちであるがゆえに思うようには協力をもらえない。「坂本龍馬は土佐人、なぜ長崎に銅像を建てる必要があるのか?」「明治維新の立役者坂本龍馬は長崎に亀山社中を設立し、ここを拠点に活動し薩長同盟を締結する。薩長同盟から大政奉還、明治維新へと時代は大きく変わっていく。坂本龍馬を育てたのは長崎である。その銅像を建立することは青少年へ勇気と希望を与えることになるし、長崎の観光にも大きく寄与する。」しかし、社長にはなかなか理解してもらえない。寄付はもらえないで当たり前。活動が伝えられただけでもプラス。この積み重ねが必要なんだ。結果は必ず付いてくると言い聞かせる。企業まわりをしてしばらく経過した頃から急激に寄付が集まり始める。信念を持って行動を続けることで不思議な力がつくものです。昭和63年11月15日には募金目標額1千万円を上回る1千2百万円を集めることができた。この間、龍馬像原型となる1mのミニ像のお披露目や龍馬の夕べで歌手河島英五氏のコンサート及び宮地佐一郎先生の講演、座談会を開催した。平成元年3月21日に除幕式を行うことで準備を進めていたが、突然地元自治会が反対を表明。説得に当たるが聞き入れてもらえず断念。延期を余儀なくされる。候補地探しが始まり、最終的に風頭公園に決定する。今となっては、この場所が景観からいってよかったかも知れない。反対されたのがよかったのか複雑な気持ちであるが、落ち着く所に落ち着いたと言える。起工式を経て銅像の設置、前夜祭と時が流れていく。前夜祭では、地元自治会公民館で弁士池俊行氏による活動写真「阪妻の坂本龍馬」を上映する。そして平成元年5月21日坂本龍馬像建立除幕式の日を迎える。小雨がぱらつく中、幕が引かれ龍馬像の顔が現れる。歓声が沸く。感動の瞬間である。実行委員のメンバーは「龍馬が嬉し涙ば流しよる」と興奮気味に語りながら銅像完成を祝った。この瞬間を迎えるため汗をかき努力してきた。メンバーにとってこの日を迎えられたことは、誇りと自信になった事だろう。式典の最後は、感動の涙とともに「龍馬の銅像建つうで会」の解散式となった。その後は、長崎龍馬会へと改名し銅像を中心とした活動を続けている。年2回の龍馬像掃除、情報発信、史跡案内、イベントの開催、全国の龍馬ファンとの交流などを活動としている。自己実現に向けて自己を磨く。自己研鑽の場を提供することが長崎龍馬会の役目である。最後に、台座裏の銘板を記す。「此の銅像は龍馬の銅像建つうで会の呼び掛けに賛同した長崎を始めとする全国の有志から寄せられた資金により建立されたものであり未来を担う青少年へのメッセージである」
趣 意 書
近代日本の黎明期における偉大なる先達、坂本龍馬の功績については、万人の知るところであります。
二十七歳で風雲に激して、土佐勤王党に参加して活動が始まり、その後三十三歳で暗殺されるまで短い青春を東奔西走の日々の中で燃焼し尽くしました。
この間に、薩長連合、大政奉還と平和革命運動を進め、明治維新という時代を大きく転換させる大業を成し遂げました。その活動の中心として、長崎において設立した亀山社中(後の海援隊)は、日本における株式会社と近代商社の祖となったものであり、龍馬の経済感覚のすばらしさをも物語っています。
これらを推進せしめた原動力は、本来青年が共通に持っている進取の精神・自由な発想と行動力を、龍馬がその豊かな個性と共に思う存分発揮し、若者らしくさわやかに生き抜いたことにあるといえます。
混迷の時代といわれる現代、天性の自由人といわれるこの龍馬の心を呼び起こさなければならない時ではないでしょうか。
坂本龍馬銅像建立の声が有志の間に起り、まさしく夢への好機ととらえ、龍馬の心を永遠に残していきたいとの決意のもと県下の青年を中心に運動を展開してまいります。
この銅像は未来を担う青少年へのメッセージであり、龍馬をその範となし、又幕末から維新へと長崎が果たした計り知れない功績を知ってもらい、誇りに思う心を育て、さらには全国に多数いる龍馬ファンや長崎を訪れる人々にも魅力あるものとなることを、私達は念願するものであります。
どうか皆様には、この銅像建立の趣旨をご理解いただきご協力、ご支援を賜りますよう衷心よりお願い申しあげます。
                                     「龍馬の銅像建つうで会」



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