ITALIA 90 

 6月13日

昨日ヴェネツィアに泊ったのは、今日ウディネで試合を観る予定があったからでした。ウディネという地名は、セリエAをよく見ている人ならご存知でしょうが、普通はわかりませんよね。そのとおり特に何もない普通の街で、ゆえにホテルも少ないだろうと、そこから一番近い観光地ヴェネツィアに目をつけたという次第。ヴェネツィアの右上、スロヴェニアとの国境近くです。見つかりましたか?私は今、高校地図帳を開いています。表記はウディーネとかウジーネになっているかな?このように2音節目にアクセントつけたくなるのが人情ですが、これは例外的に頭にアクセントがあります。F1でおなじみモ(ー)デナやイ(ー)モラと同じです。

買物をしにヴェネツィアを少しそぞろ歩いてみる。私は開幕前にかなり堪能していたけどちっとも飽きない街だし、Yさんは昨年の出張以来久々の再訪。でも目にとまるのは、サッカー関係の落書きと、サッカーグッズ、サッカー雑誌ばかり。病膏肓…。美しいおみやげなど視界の外、紙類とバカなTシャツばかりが増えていくのでございます。

ウディネまで、列車でGO。コンパートメントでの今日の道連れは、ヴェネツィア大学建築学科の学生さん二人。日伊ハーフの友達がいるんだそうです。それで話したくなったのだね。若き日のデ・ニーロ似のマルチェロはよくしゃべり、顔の下半分がヒゲに覆われているエルマンノは聞き役。英語がとても上手でかないませんでした。
ウディネで降りてからも、どのバスに乗ったらいいか案内してくれました。このバスだね、じゃあバイバイって感じだったのだけど、乗車して席につき、発車までしばらくYさんと話していると、エンジンがかかったところでツンツンと肩をつつく人が。ふりむくと話し好きな方のマルチェロで、「じゃ、僕達これで行くからね。よい旅を!」。ああびっくりした。でも感激。北イタリアの人は親切の度合いがほどよい。うまい具合に琴線にふれてくる。

同じバスに東洋人の学生風の男の子二人組が乗っていました。顔の感じから韓国人だろうとYさんも私も言っていたのですが、二人の会話が日本語で驚き!ウディネで行われる予選リーグ3試合のチケットを持っているとのこと。

食べ物の屋台も応援グッズの屋台もないので、ヒマだねぇと言いつつぶらぶら。いろんな国のサポーターと軽く声を交わしながら歩いていると、赤と青のたて縞のユニフォームを着た白人兄ちゃんが目に入りました。
ユニフォーム姿の人なんて各種そこらじゅうにいますが、その1着だけが信号を発したのですな。「ん?バルサかな?」今日はスペインの試合だからそれが一番順当。バルサとはバルセロナの略称です。「ははは。まさかバイヤー・ユルディンゲンではなかろう」(同じ配色ですがドイツのチーム)「クリスタル・パレスはもっとありえない」(同じ配色ですがイングランドのチーム。なぜありえないかというと、イングランド代表は、今回悪質なフーリガンをとじこめる意味で、サルディーニャ島の会場にされてしまったの。わざわざ島から出てくるような徘徊イングランド人はいないと思われました)。
しかし、その赤青ユニフォームの隣にいた連れの子のユニフォームを見るや私は駆け出していました。後姿だったけど私は見逃さない。「アーセナルだ〜!ってことは赤青はまさかのクリ・パレだよ、ロンドンなんだあの人たち!」大当たり〜。
その辺りには、他にもチェルシー、ウルブスなど、イングランドのクラブのシャツを着た人がいました。結構、島から出て楽しんでる人も多かったんだ。島に幽閉されていたのは札付きのフーリガンだけだったのかも。
Yさんと私は、スコットランドの旗を後ろに隠して(見つかったってフクロにされるわけじゃないけど)少しお話しました。これだけですごーく、なごんだ。“イングランドにん”だから。Yさんも、FA杯決勝をTVで見てクリ・パレが好きになっていたので、嬉しそうでした。

試合はスペイン×ウルグアイ。くどいラテン顔対決で、Yさんのめくるめく世界。私としてはスペインはなじみがあるのでオッケー。強い思い入れはないからのんびり観戦しようっと。
チケットは66,000リラで落札。スコットランド戦の約半額ですね。あちらは一番いい席だったし、今日のは1ランク下の席ですが、それにしても差が…。Yさんは、値切った方がいいのかなとつぶやいています。あまり高くないと言い値で買ってしまう私たち。
畑の中に突如現れるスタジアム。スタジアムなんてどこもたいてい郊外にあるものですが、ここのように周囲が畑というのは、W杯で使われたスタジアムの中ではめずらしい方です。2日目に行くのをやめたバーリのサン・ニコラ・スタジアムは、ここ以上に周囲に何もないとのこと。
ピッチの周囲に一応トラックがあるけど幅が狭く、あまり気になりません。客席との間に堀があって、動物園みたい。暴徒と化した観客がなだれこんでくるのを防ぐには、これはなかなか効果がありそうです。
結構、選手が近くに見える席でした。双眼鏡で見ると顔がどアップになってしまうほど。

17時キックオフ。ほのぼの、のどかな試合でした。割と血の気の多い国同士という組み合わせだけど、やはり予選リーグはまだ殺気がさほどないのね。
国歌吹奏のために軍の楽団がつめていたのですが、メインスタンドのはしっこの客席にいて、試合中は一緒になって観戦を楽しんでいました。そして、スペイン・サポーターの音楽のリズムがいつのまにかやけに上手になってるな、と思ったら、国歌吹奏軍楽隊の面々が席をわざわざ移って混ざっていた!楽しすぎる!今日はここに来て本当によかった。幸せだよ…。双眼鏡でそういうことをチェックしていた私です。
警察官も憲兵も、貴賓席のVIPも、軍楽隊の皆さんも、一緒になってウェーヴ!みんなにこにこ。んも〜、最高よっ、ここの人たち!

すいてたので目立ったのか、韓国人のTVクルーが「ヘイ!」と叫んで韓国サッカー協会のバッジを2個投げてくれました。同胞じゃないんですけど、ありがとね。昨日は応援しなかったけどね。内緒内緒。

席はがらがら。最初は周囲にウルグアイのサポーターがちらほらいたのだけど、後半になったら、仲間がいっぱいいる方に移ってしまったので、田舎の運動会でも見に来ているようなくつろぎっぷりになってしまいました。
Yさんは、大好きな選手達を前にうるおっていました。スペインはよく知っていたし、ウルグアイも結構わかるって。私ものんびりながめていましたが、ふと、ウルグアイ側に渋い仕事人がいるのに気づきました。ところで、私の好きなタイプの選手というのは、攻撃的な左サイドのディフェンダーで、華やかなゴールゲッターよりもこっちばっかり目が追ってしまうのです。今回おっ?と思ったのは背番号「7」で、ディフェンダーの番号ではありませんが、左サイドでやや守備的な中盤という役をやっているように見えました。「Yさん、ウルグアイの7番っていいなぁ。誰?」と聞いたら、バカうけ。常日頃「ラテン系は管轄外。南米なんて問題外」と言っていましたからねー。彼の名はアントニオ・アルサメンディ。当時34歳。てっきりDFかと思ったらFWって書いてあるじゃないか。いやー、いぶし銀とはこのこと。顔もきりっとしていてよかった。相手ボールのカットの仕方が最高。ウルグアイといったら3人くらいしか知らなかったけど、ちゃんと見るといろいろいるもんだ。
0-0で試合終了。

またヴェネツィアに戻って、駅のヴィジョンで21時からのソ連×アルゼンチンを観戦。アルゼンチンになんの義理もない私達は、悲痛な思いでソ連の応援をするも、2-0で負けてしまう。あああ、やばい。予選リーグ敗退…?そんなー。
ソ連の3試合目を応援しに行く!とYさんは決心していました。私はその頃はもう日本に帰っているので私の分も応援頼むよ!

 6月14日

17時からのユーゴスラヴィア×コロンビアを見にボローニャへ。うう、ボローニャ。ペストが蔓延してそうな街(←とっても主観的)。
早く着きすぎたので、ホテルは後で探そう、と荷物を全部持ったままの私達でしたが、スタジアムから結構離れた地点から、一般路上で早くも異常な厳戒体制。女子供も容赦なく、厳しい荷物チェック。試合を見にきたんじゃない、普通の観光客ですなんて通用しませんね、この装備では。どこから見てもサッカー好きだ。
私は缶詰のオイルサーディンが好きで常備していたのですが、やはり缶詰は投げると危ないから持ち込み禁止。ここで食べろとうるさい。おなかすいていたからそれはいいんだけど、ゴミになった缶はどこへ?と聞くと、そこでいいと、草むらを指差す。おいおいおいっ!あんたが責任とれよと思いながらそこに缶を置きました。でも絶対ほっぽらかしになると思うわ。
それと、スコットランド戦の時に二人して買い込んだスコットランドの国旗。そしてスコットランドのマフラー。これらがひっかかってしまいました。今日の試合に関係ないからだって。何よその理屈は。そんなこと言われたのってここが初めて。ぶつぶつぶつ。とりあげはしない、預けていけ、帰りにここへ寄れば返すからと強硬に言う。仕方ないので、預けました。数台ある装甲車や警察の車の一台に入れるところを確認。
Yさんは薬もとりあげられそうになっていました。写真フィルムの空ケースに入れていたので、投げて凶器にする可能性があるからだって。屁理屈。というより、悪しき官僚主義ですね。マニュアルどおり。せっかくのW杯がぶちこわしよ。Yさんが、預けるのはいいが返してくれるのか?と聞くと、処方箋を持ってないなら返せないとぬかすので、これがないと大変なんだからと必死に食い下がってOKをとりました。
ものっすご感じわる〜…ボローニャの印象は冗談抜きで悪くなりました。…街のせいじゃないんだけどね。

チケットは、スコットランド戦と同じ一番値段の高いカテゴリーのものでしたが、80,000リラ。やはりこんなものでしょう、普通は。
席につくと、周囲はコロンビアのサポーター。ああやりにくい…。コロンビアにも名物サポーターがいて、国旗の色(赤・青・黄)の鳥のかぶりものを着ています。高い柵からロープでぶらさがってはばたいてみせるので有名。太鼓などの鳴り物もいっぱい。ラテン国の応援は概してノリが良くて、聞いていて楽しいものですが、ここのはちょっと押しが強すぎて好きになれませんでした。
それと、全体を見回して、びっくり。いろんな国の旗が持ち込まれてるじゃありませんか。あ〜あ、私達は運が悪かったんだ。別の道を通って、あいつじゃない警官に当たっていれば…。Yさんは、帰りにはびしっと言ってやる!と噴火。
私は、まぁ返してもらえるんだからいいか〜とのんきに構えていました。

角度が急なスタンドで、見下ろすような感じ。試合の流れは後でビデオで見ればいいや、と双眼鏡でストイコヴィッチを追うことに専念。へへへ。生で見るってこういうことなの〜。ブラウン管じゃわからないことを見に足を運ぶのです。場の空気、ベンチの選手、警官が連れているシェパード(じゃれている犬がたまにいる)、ボールボーイ達、サポーターの体温、あっちサイドでばかり攻撃が行われてヒマな時のGK、などなど。
こんなことしてるとストイコヴィッチの大ファンなのかと思われそうですが、それほどではありません。見てて楽しいんだけど、そこまで。彼を見にリーグの追っかけまでしようとは思いませんでした。しかし、ほどなく日本に来るなんて、この時は夢にも思いませんでしたねぇ…。いまだに信じられない。車のCMに出てボケたりして。
ラテン国とそうでない国の対戦の時はラテン国を応援するYさんですが、今日はユーゴスラヴィアの応援。今でもクロアチアが大好きです。スラブも好きなんですよね。この試合でも新たなお気に入り選手を見つけていました。
1-0で勝ち、めでたしめでたし。裏でやっていた試合でカメルーンがまた勝ち、予選リーグを突破。初日にアルゼンチンを破っただけのことはあります。やるじゃん!アフリカ・サッカーの夜明けです。カメルーンのおかげで、W杯のアフリカ出場枠を増やしたらどうかとの動きになりました。

さて、預けていた物を請け出そうと、さっきの装甲車のところへ行きました。警官は交替して別の人だったけど、問題はないだろうと私は思っていました。
Yさんは、最初は普通に、返してもらいにきたって言ってたんだけど、そんなものは知らないと言われて、再び噴火。ここでこの車に入れたのだからないワケがない!とYさん。そうなのか?と一緒に車の中を見ると、Yさんの旗だけがありました。でもきちんと巻いて留めてあったのが広げられていたので、Yさんの理性解除スイッチがオンに…。他の人達はよその国の旗を持ち込んでいた、なぜ私達だけが没収されたのか?と抗議を始めました。が、自分がやったわけじゃないからと断固たる態度で言い返された!ああ、やり場のない怒り…。
そして私の旗と、二人のマフラー計3本はどこに?「僕は知らない」と言い張るのを、一歩も引き下がらず、しぶしぶながら全部の車を見に行かせたYさん。オトコマエ。一台に1本、もう一台に2本のマフラーが、他の没収品の山の中から出てきました。気に入っていた珍しいデザインのマフラーだったのでほっと一息。
しかし、そこ一帯の車を全部見たけど、私の旗は出てきませんでした。そんなにいい品じゃなかったのと、もうどうでもいい気持ちになっていたのとで、私の方は冷めていたのですが、Yさんは熱くなる一方。他のサポーターが自分のだと言って持って行ってしまったんだ、という推理を披露する警官。冷静な奴。憎らしい。だいたい預かり証を作らないのが間違ってるんじゃないか。紙に手書きでもいいんだから。
ふと回りを見ると、なんだなんだ?と警官が集まってきており、Yさんもここらで打ち止めにすることにしたようです。大嫌いだー!と言い残して。彼女は、もう一試合スコットランド戦を見る予定なので、同じ旗を売店で買って帰ってあげると言ってくれました。もると・じぇんてぃーれ。

21時からのイタリア×米国をTVで見なくちゃ!と適当なバールに入りました。暖かい飲物を飲みながら観戦。お客さんは近所に住む常連さんといった感じ。自国の試合なので皆じっくり画面に見入っていました。しかし、サッカー不毛の国アメリカ相手に1-0の辛勝。まだ力を抜いているのか。アメリカが勘違いしないといいんだけど(心配しなくてもボロなんてすぐに出るか)。

朝の時点ではボローニャで一泊するつもりでしたが、よく考えると、私はそうもしていられないことに気づきました。というのも、開幕前にしこたま買い込んだ新聞・雑誌・書籍などの荷物を、11日からジェノヴァ駅に預けっぱなしにしていたのです。私が見る最後の試合は、サルディーニャ島カリャーリで行われるもの。ここへはローマから飛行機で行き、観戦後、空路ローマへ戻りそのまま日本への便に乗り継ぎます。つまり、ローマへ向かう前にジェノヴァへ寄って荷物を回収せねばなりません。それをいつにするか。
明日15日はフィレンツェで試合を見てそこに泊る予定です。あさっては私だけローマ経由でカリャーリへ行かねばならないので、フィレンツェへ行く途中でジェノヴァへ寄る他ありません。それなら、これからもう夜行を使ってジェノヴァ経由でフィレンツェへ行ってしまおう!
Yさんもジェノヴァに荷物を預けていました。あさってからは私と別行動になるので、何も今一緒に行くこともないのですが、すっかりボローニャが嫌いになっていた彼女は、早くここから離れたい!と行動を共にすることにしました。
深夜の鉄道、久しぶりだなぁ。相変わらず人が多い。小さな男の子に愛想をふりまいたりして楽しむ。Yさんは初めての夜行列車の旅かな?どさくさで夕食をとりはぐったけど、夜行列車の旅をしていると食事をはしょることが多いんですよね。
ボローニャからジェノヴァへ行くにはまずはミラノへ出て乗り換えねばならない。TVの試合が終わったのが23時、ボローニャの駅を発車したのは0時を回っていました。そしてミラノへ着いたはいいが、そこはまたしてもポルタ・ガリバルディ駅で、ジェノヴァ行きはチェントラーレ駅からしか出ない。12日と同じように、地下鉄で移動したいところですが、午前4時なので地下鉄は動いていません。結構な荷物をしょって深夜のミラノ市街を歩く二人-夏時間だから日本の午前3時を思い浮かべて下さい-真っ暗だし車も少ししか走っていないし重いし、かなりとぼとぼしていたと思います。
大通りを歩いていると、一台の乗用車が停まって若いドライバーがどうしたのかと聞いてきました。チェントラーレへ行くのだと答えると、歩くには遠すぎるから乗せてってあげると…。どうするよ?この時間に知らない男の車に乗るのは、定石では避けるべき。しかし、なんたって重い・遠い、こちらは二人、後部座席ならいざというときもなんとかなるかも…銃の可能性は考えませんでした。で、数秒の逡巡の後、私達は車中の人に。幸いにも、その人は善人でした。運転席にはインテルのステッカーやペナントが…ああサッカー野郎なのね、君は。すいている道を安全運転で快調に走って、無事に駅に到着。この人は“都会のあっさりした親切者”というカテゴリーに入れよう。
ミラノからジェノヴァへ列車移動。しらじらと夜が明けていく…。ジェノヴァに着く頃にはもう人々の活動時間になっており、駅はW杯な連中でごったがえしていました。荷物を引取り、背中にもおなかにも肩にもひっかけて、ものすごい態勢になってしまった…まだこの時も、形の残らないことにお金を使うのがいやだったので送るつもりはありません。あと2日だもの、がんばるよ。自慢の背筋と腹筋にかけても。

 6月15日

ジェノヴァから、列車でフィレンツェへ。コンパートメント式の車両ではなく、日本の新幹線のような座席の新しめの車両。ふと、斜め4〜5列前に座っていた男の子グループの髪や顔がスコットランドくさいことに気づきました。ユニフォームやキルトではない、普通のTシャツにGパン姿なので、ただの観光なのかも?Yさんと「ねぇねぇあれってスコッツじゃない?」「あ、それっぽい!きっとそうだよ」と話してにやける。だからどうだってこともないのですが、嬉しいんですよ、これだけで。降りる時に、こちらの旗に気づいて声をかけていってくれました。やっぱりスコットランド坊やだった。

ああ花の都。あのボローニャの後なので、よけいに輝いて見えました。
普通の観光客に加えて、大挙押し寄せてきたオーストリア・サポーターで、街はわいたわいたの大賑わい。夏!バカンス!そしてワールドカップ!いいですねぇ。この雰囲気。ゲルマン民族ですから、朝から昼から、テラス席でビールを飲んで楽しそう。チロリアンもいました。スコットランドの次にキュートだ。民族衣装っていいですよね。国旗の色をあしらった巨大なシルクハット型の帽子をかぶったグループもかわいい。自分達で作ったのかな、この帽子。

今日の試合はオーストリア×チェコスロヴァキア。どっちを応援しようかな。街でみかけたサポーターが楽しかったからオーストリアにのったら楽しかろう。でも、チェコスロヴァキアのルボーシュ・クビク(←人名)のファンなのでこっちかな。
行ってみてその場のノリでいいやってことにしました。ははは。適当な。

開幕前にキャセイのスチュワーデスさん親子と一緒に泊ったペンシォーネが感じ良かったので、そこに部屋があればと思って行ってみました。あいにく、ツインはなかったけれど、4人泊れるドミトリーに2人しか入っていないから、同室でよければとのこと。先客はもちろん女性。問題のあろうはずもなく、ここに決めました。部屋に行ってみると、昼間なので先客は観光に出ていてお留守。私たちも荷物を置いて行動開始です。

試合は17時から。Yさんとは1時間ほど別行動をとりました。彼女は22日にイタリアを出てロンドンとエジンバラを旅する予定なので、航空券を買うつもりだそう。私はぶらぶらと書店などをひやかすとしましょう。職場へのお土産も物色。

フィレンツェのサッカー・チームの名はフィオレンティーナといいます。かわいい響き。私達は花組と呼んでいました。チームカラーは紫。観光地ですが、その気で見ると、住民のフィオレンティーナ・ファンの姿が見えてきますよ。紫に白百合の紋章が目印です。
そのチームの本拠地であるスタジアムへと、歩いて行きました。きのうと違って、荷物は部屋に置いて身軽なので気持ちも軽い。歩いて40分くらい。高台から景色をながめながらのお散歩です。歩いて行く人はほとんどいませんが。

例によってダフ屋から入手したチケットの値段は6万リラ。こうしてみると6〜8万リラというのが相場であるらしいですね。
ここではやばそうな客以外は荷物チェックもほとんどなく、警官や憲兵がソフトで都会的。やっぱりこうでなくちゃ。入場する際には、通りかかった国歌吹奏要員の軍楽隊の皆さんと挨拶を交わし、とっても心なごみました。生き返るー!
席はオーストリア・サポーターのエリアで、かなり高い位置でした。フィレンツェの街を見下ろして、絶景かな絶景かな。すぐ近くには、人数は少ないけれどチェコスロヴァキア・サポーターのかたまりもいました。いい感じ。
今まで見てきた中では初めて、試合前にビジョンに両国の紹介ビデオが流されました。甲子園大会のTV放送みたい。BGMには、オーストリア:美しき青きドナウ、チェコスロヴァキア:モルダウ。サポーターも合わせて歌っていました。試合前の気分がより高揚して、いい試みです。でも対戦によっては、相手へのブーイングがひどくて興ざめになるかも。
試合はチェコスロヴァキアが支配していました。PKによる1点しか入らなかったものの、オーストリアはあまりにもレベルが低かった。はあぁ…こんなチームに差し置かれて東ドイツは涙をのんだのかと思うと情けなや。時の運ってものを感じます。
チェコスロヴァキア側はとても生き生きとしていて、これまで見てきた中では一番おもしろいチームでした。PKでの1点しか入らなかったけれど、パス回しが良くて、時のたつのがあっという間。ええ〜、もう終わりなの〜?もっと見ていたいよう。
試合終了後、チェコスロヴァキア・サポーターのかたまっているこちら側に選手達がわらわらと走ってきて、声援に応えました。この光景は今回の旅行中でも白眉。幸せな記憶として死ぬまで消えないと思います。ちょっと泣けてきそうでもありました。

駅前までまた徒歩で帰りました。遠くに雷鳴を聞きながら。北の方が真っ暗で、時折稲妻も光ります。きれい…。
キャセイのスチュワーデスさん親子と入った食堂が気に入っていたので、Yさんにもお薦め!と連れて行きました。単なるトマトのパスタがめっちゃおいしいの。カルボナーラもお薦めだ。経験を積んだ今では標準的なおいしさだったと訂正しますが、イタリアでまともなものを食べたのはこの店だけだったので大感激したのでした。イタリア料理って私はまだなじみがなかったし。パスタってこんなにシンプルでこんなにおいしいものだったのか!ってカルチャー・ショックを受けたものです。
21時からも試合があるからどこかTVの見られるバールに入ろうと夜の観光地を歩いていると、スコットランドのユニフォームにキルトという完全な姿のバックパッカーが歩いているのが目に入り、二人ともふらふらと後をついて行きました。少し距離をとって。そうして歩いているうちに、昼間通らなかった通りに、にぎやかなバール発見。なんといっても、店内の壁という壁に、ヨーロッパ中のサッカーチームのペナントやポスターが所狭しと貼りつめてあったのです。「ここしかない!」と迷わずとびこむ私達。道案内の(?)スコッツマンは私達の尾行に気づくことなく闇に消えていきました。
試合は西ドイツ×アラブ首長国連邦というカード。ここフィレンツェでは雨の気配はありませんが、試合会場は大雨。あまりにもレベル格差のある対戦なので、結果は見るまでもないのですが、それを言っちゃあ身も蓋もないか。雨なんかなんのそのの絶好調な西ドイツ、ラクラクと勝って予選リーグ突破。いいなぁすっきりしてて。
今大会、引き分けが異常に多くて、若干シラケ気味だったんです。イタリアにいるうちは空気にだまされていてまだよかったんですが、帰国してTV観戦になったら冷静になっちゃった。引き分けばかりで得失点差でにじにじと予選を抜けるのって、サッカー強国には似合わない。この西ドイツのように、ちぎっては投げ状態でスカーッといってほしいのよ、イングランドには…よよよ。

0時近くにそーっと部屋に戻ると、同室の二人のうちドイツの女の子はもう眠っていました。イギリスに住んでいるという日本人の女の子は起きていて、少し話をしました。こんな時間まで試合を見ていた、昼間もこの街で観戦したんだーと話すと、びっくりして「えっ?W杯ってイタリア全土でやってるの?!どこか島だけでやるんだと思ってた」…興味ない人にとってはそうでしょうね。彼女はイギリス在住なので、ニュースでイングランドが島で試合をすることだけは耳にしていたわけです。こういう人が今イタリアに観光に来たら、ホテルの埋まりっぷりと異様な騒がしさに面食らうでしょう。悪い印象を持って帰る人すらいるかもしれない。

明日、何時にここを出たらいいか、列車の時刻表を手に計画をたてる私。大変なことがわかってしまった。いきあたりばったりに適当にやってきたらこのザマ。深く考えずに、ローマ→カリャーリの飛行機を13時発のにしていたのだけど、それに間に合うようにするには、朝暗いうちに宿を出なければならないのであった!さらに、一般的にフィレンツェの駅といえば、正式名称フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅のことで、私はなんの疑いもなくその駅へ行けばいいと思っていました。ところが、少々離れたところにもう一つ小さな駅があり(名前は失念)、私が乗らなくてはならない列車はそこから出ることが判明したのです。本当に本数が少なくてまいってしまう…。この大荷物をかかえて歩くのか…。
朝食が出る数少ないお宿なのに〜。それにここのパンはおいしいのに〜(泣)。早起き自体つらいし〜。
明日はあいさつできないと思うので、Yさんとしばしのお別れを言い合って、おやすみなさい。

 6月16日

もぞもぞと起き出し、そーっと出発。緊張しているからちゃんと起きられました。
小さな駅にえっちらおっちらたどりつくと、暇なのか、気のよさそうなおじさん駅員がどこへ行くのか尋ねてきました。乗り場を教えようというわけです。で、何時何分発のローマ行きと答えると、自分用の時刻表を見て、その列車はないと言う。おじさんおじさん、それは通常の時刻表。私はちゃんとW杯期間中だけの特別ダイヤ時刻表を見てやってきたのだよ。で、それを見せて「これに乗るの」と言うと、しげしげとその時刻表をためつすがめつしていました。それから自分の机にとってかえしてガサガサ調べて「あ、ほんとだ」。のんきでいいねぇ。利用者の少ない駅だと駅員の意識もこうなのね。結構好き、こういうの。と、自分がちゃんと把握してたから余裕をかますのであった。

なんとかローマに辿りつきましたが、空港まで行くのに思ったよりも時間がかかってしまいました。空港のカリャーリ行きの出発ロビーはごった返しており、全員がサッカー関係。時間が迫っているので、あたふたとチェックインカウンターに行きましたが、前に並んでいるイングランド人グループの表情が険しい。予約してあった13時発の飛行機は、まだ出てはいなかったけれど、もう締め切っていてアウトなんだそうです。当然私も。はあ〜、早起きした甲斐がない。でも、次とその次の便に結構空席があるからきっと皆さん乗れると思いますよと、カウンターのお姉さん。試合に間に合えばなんでもいいですぅ。

さて、ちょっと説明しよう。サッカーの細かい話がうざったい人はとばしてくださっても大丈夫です。
今日の試合はイングランド×オランダ。両国ともに、悪質なフーリガンで有名なため、いっしょくたにして島に封じ込められてしまったの。サルディーニャ島とシチリア島です。私が行こうとしているカリャーリはサルディーニャ島(イワシがとれるからこの名前)。一部の馬鹿者のせいで善良なサッカーファンが迷惑している。イングランド人だからってだけで「…フーリガン?」って敬遠されたり。刺青してたってフーリガンとは限りませんことよ。
で、フーリガンが危険だから、このカードに特に関係ない人は近寄らないのが無難であると、一応警告が飛び交っていたのです。しかし、そんなにびびるほどのことかい?ぽや〜んとしていたら危険かもしれないけど、無知ゆえの排斥に近いものがある。勢いの落ちてきたオランダだけど、イングランドとはいい試合をするだろう。行かない手がありますか。日本のサッカー雑誌の中で、この試合は目玉の一つだから行く機会の持てる人は行ったほうがいいと主張しているフリーライターが一人いました。常日頃から、この人の書くものには共感し、尊敬できましたので、やはり言うことが違うぜ!と、仲間うちでも話題しきり。
イングランドの試合は予選リーグではこのオランダ戦の他にエジプト戦とアイルランド戦があり、できればアイルランド戦も見たかったのですが(アイルランドも好き。選手はほとんどイングランド・リーグやスコットランド・リーグで働いているからよく知っている)、その日の飛行機がとれなかったのであきらめてスコットランド×コスタリカにしたのでした。結果オーライでしたけど。なぜなら、あきらめたイングランド×アイルランドは大雨だったから。そして替わりに行ったジェノヴァではスコットランドにまみれて幸せだったから。
エジプト戦はあまり魅力がないし、第一私が帰国した後に行われる。こうなると、何がなんでもオランダ戦ははずせません。だって“イングランドにん”だもの。

時間ができてしまったので、サポーター観察。
オランダの国の色はオレンジ色です。世界史でオレンジ公ウィリアムという人が出てきたのを思い出して下さい(オランダ語の発音ではオラニェ公ウィレム。公はなんていうんだか)。それでオレンジ色。本当だろうか(^^ゞ国旗は、赤白青の横縞、フランス国旗を寝かせたやつです。オランダのサポーターは、オレンジ地に黒獅子の紋章の旗と、赤白青の国旗と、両方使います。ユニフォームはオレンジ色。三色旗はヨーロッパだけでもたくさんありますから、オランダ!っていったらオレンジ色を身につける方がわかりやすくて好まれます。
平均身長がヨーロッパ一になったこともあるくらいで、とても体格のいいのがオランダ人。男も女もたくましい。170cmの女性なんて普通。身長だけじゃなくて、肩とかがっしりしている。そんなでっかい人々が、おそろいのオレンジ色のスーツをあつらえて、オレンジ色に黒獅子の模様がぽつぽつ入っているネクタイを締めて、集団でにこにこしている。さすがに目立つ。結構品のよさそうなグループでした。フィリップスとかブラウンの社員だったりして。その他、ばらばらな服装だけどオランダとわかる物を身につけている小グループもあちこちに散見。
一方、イングランド人はまばらでした。普通の格好か、ユニフォームにGパンというのが主流。島を出て本土をうろうろ観戦してた人はやはり少なかった&今日の試合だけを観に英国から直接来た人も少なかった、ということですかね。
あと、報道関係者の姿が目立ちました。あちこち飛びまわって大変だなぁ。ライターはいいけど、カメラマンは機材が重いし。
じきに次の便に乗れる人の呼び出しアナウンスがあり、私も無事にそれで行けることになりました。やれやれ。
しばらくすると、日本人の団体さんが入ってきました。たちまち、情報交換の輪。「うっわー、すげぇ荷物!」「外に寝たこともあるの?」「ホテルはあった?」「毎日観戦できたの?いーなー」「根性あるなー!」と大人気(…)。到着したらスタジアムまでどうするの?と聞かれて、考えてなかったけど(おいおい)いつもどおり歩くと思うけどって答えると、「乗って行きなよ!俺達ツアーバスだから。添乗員さーん、いいですよね一人くらい」ってすぐに話が決まってしまいました。

このツアーは、カリャーリ空港から直接スタジアムに乗りつけるとのこと。ノリで彼らのバスに乗せてもらったはいいが、この荷物どうすんねん?スタジアムからの帰りもこのバスを使うのなら、試合終了まで荷物を預けておけるのだけど、帰りは別のバスが来ることになっているとのこと。ツアーメンバーの荷物は別の車でホテルに運び込んであるそうです。乗る前に聞くんだったわー、失敗した。私は今夜は駅に泊ることにしていたので(もう一人でも宿をとるのは平気になってたけど、翌朝もものすごく早く起きないといけなかったので、宿代がばかばかしくて)、例によって駅に預けるのがベストでした。
駅が見えたところで降ろしてもらうことも一瞬よぎりましたが、なんだか悪い気がしてそのままスタジアムまで行っちゃいました。まっなんとかなるでしょ。皆と別れてから、手近な警官に駅までのバスはないか尋ねました。しかし、駅・市街地からそんなに遠くないせいか、バスは出てないのでした。身軽なら歩けるけどこの状態ではとても無理。で、ボローニャみたいに(わはは)荷物預かったりしないか、あるいはこのあたりにコインロッカーの類はないかと尋ねてみました。親切な警官たちは、気の毒そうにどちらも無理だと答え、まさかこれ全部持って入場はできませんよね?と身振りで尋ねるとやはり気の毒そうに首を横にふりました。一番大きなバックパックをポンポンとなでて「少なくともこれは許可できないなぁ」。市街地まで行けばコインロッカーがあるよと教えてくれましたが、私もここで策がつきたらそうするしかないとわかっていました。「バスはないけどタクシーならどう?つかまえてあげるよ」と協力的な警官。運転手に行き先を告げるとこまでやってくれて優しい。運ちゃんはW杯価格を要求したけど、もう最後だし重さに耐えるよりはマシなので太っ腹さ、こっちも。その前に、スタジアム周辺のダフ屋をチェックしましたが、高いです。しかも品薄。駅前でも当たってみて決めよう。
荷物を駅にあずけ、身軽になったところでチケットさがし。ここは建物も植物もこれまでのイタリアとは違ってギリシャみたいな感じ。南国ですね〜。食文化も本土とは違うそうですし。なんて、どうせスタジアム周辺の屋台でパニーニを食べるんだけど。イタリアの食事の楽しみを知るのは翌年の旅行からで、この旅ではファスト・フードかバールのパニーニか切り売りピッツァばかりでした。フィレンツェの食堂だけが例外。
チケットですが、相場はスコットランド戦を上回りました。でもこれを見ずしてなんのためにイタリアまでやってきたのかと思うし、1試合くらいしょうがないか。品薄なので、駅近くの繁華街で最初に当たった人から買いました。「イングランド側の席だよ」の一言が決め手。22万リラ也。1ヶ月間で一番の高い買物でした。

チケットも手に入ったし、応援グッズの屋台をじっくり見ながらスタジアムへ向かうとしましょう。歩いて行く人が大半です。地元の人は自家用車。
すでに一杯やってできあがってるイングランド人達がうようよとわいてきました。やはりサッカーは下層階級の楽しみとあって、フーリガンではないにしろあんまりガラはよくない。スコットランド人サポーターと違って、あんまり話しかけたくないし、向こうもこっちに興味なし。ちょっぴり残念。途中、フーリガンどもの暴動がついさっきあったという場所の横を通りました。奴ら、今頃は鉄格子の中でしょう。何しに来たんだか。あ、暴れに来たんだっけね。
イングランドの旗やグッズを記念に買って帰ろうと思いましたが、もしかして入口でひっかるかもしれないと考え直して帰りに買うことにしました。なにしろ一番警戒されている試合ですから。

イングランド国旗(この項の日付横にあるやつ。白地に赤い十字。セント・ジョージの旗といいます。スコットランドのはセント・アンドリュース)をマントのようにはおっているいかしたバカどもが入念なボディ・チェックを受けている様子を見て、バカなんだけど憎めない〜と、内心にっこり。友達になりたくはないけど、会場に是非いてほしいタイプです。その手の連中は座席もかたまってて、入場ゲートも1ヶ所で、おまわりさんに厳しくチェックされるのです。どうか、暴れないでね。本物のフーリガンはやめてね。
彼ら以外はチェックも甘く、とても気持ちよく入場できました。拍子抜け。これなら、行きに旗やグッズを買っても大丈夫でした。
席はゴール裏の上の方、オランダサポーターの中でした。ひーん、ダフ屋め、大うそつき!オランダ人にでも先に尋ねておけばよかったよ、どっちサイドがあなた方の席ですかって。
でも、これはこれで居心地はよかったと、試合が始まるとわかりました。ベネルクス三国の人は外国人にフレンドリーという定説がまたしても証明され、思い入れのないオランダなので特別盛り上がったりはしませんでしたが、和気藹々と過ごせました。例の、オレンジ色のおそろいスーツの一団が近くにいて、ひそかにウケてしまった。歌もヤジも節度があり、オランダ・ファンなら感激だろうなぁと思う。
私は対岸の人々の応援を見て、混ざりたいよ〜と心で泣きながら、それでも結構ウキウキでした。あっちの中に入ってしまったら、落ちついていられなそう。動きが激しいんですよ。ちょっとだけ、モンキーダンスのような応援をやってみたい気もするけど(^^ゞ
ウェーブは半周で止まってしまいます。敵が始めたウェーブになんかのらないぞって。何度もウェーブが起こりましたが、断固として止める。意地の張り合いがおもしろい。
イングランドの方が優勢で、得点のチャンスが何度かありました。とっっても惜しいシュートが2回もあったでしょう。この2回がはずれた時、一瞬息をのんだオランダ・サポーターは生き返ってカエルの鳴き声をまねていました。これが彼らのからかいの表現なんですね。イングランドにんの私は苦笑するしかありませんでした。
あ〜あ、2-0で勝てた試合だったのに、0-0で終了。同じ引き分けでも、1-1とか2-2ならまだ盛り上がりがあるけれど。

にぎやかに駅までの道が明るく照らされている。試合はぴりっと決まらなかったけど、しめくくりに記念品を買おうと、屋台の旗を物色。これはというのがあったので、くださいなと言うと、そこのイタリア人の若い売り子が頑として売ってくれない。なぜ?とくいさがるけど、厳しい顔をして無言で首をふるばかり。試合は終わったんだよ?私が何をするというの?呆然とする私の左右でイングランド人やイタリア人にはどんどん売っていく。外国人だからなの?答えはない。腹がたつやら悲しいやら、こんな扱いを受けたのは後にも先にもここだけでした。彼は日本人が嫌いだったのかもしれない。そう考えるしかありません。行きと違ってもう店はほとんどたたまれていて、いくつかがんばっていた他の店には買いたくなるような物もなく、戦利品なしで終わりました。行きには、買っていきなよ〜という声がいくつもかかったんですよ。あの時買っておけばね…。いつでもいいから、この思いを帳消しにできるようなハッピーなできごとを、イングランド代表がらみで作りたいな、とぽつんと思いました。

小さな駅構内は、雑魚寝するイングランド人で足の踏み場もない。国旗をかけて寝てる人あり、寝袋持参の人あり、総じてどこかに刺青の一つはある連中ですが、おとなしくしています。こういうもんなんですよ実態は。下の階級の子だと、若い頃に刺青を入れるくらい普通にやってる。品はないけど、刺青イコールならず者ではない。彼らなりに秩序を守ってる。大人になると「ガキの頃はやんちゃしたよなぁ」なんて感じになります。
警察と憲兵が交代で見まわっていますし、明かりが煌煌とついていて、女一人でいても危険は感じません。駅に着いたのが0時、出発まで数時間だから、寝ないで起きていることにしました。さすがに、この状況で眠りこむ勇気はありません。
それにつけても、半袖のポロシャツ姿だと寒くてかなわない。新聞をまきつけてしのぐ。ベンチに座って雑誌を読んだりしていると、「おお〜!」と日本人の声。私を見て驚いている二人組の学生風の子が寄ってきて、ベンチの隣に座りました。ここいいですか?ってちゃんとしてました。彼らもここで夜明かしをするそうで、じゃあ一晩サッカーについて語り明かそうではないかということに。やはり学生さんで、ツアーに申し込むのが遅くて、予算の合うコースはすでにいっぱい、一つだけ残っていたコースでやってきたそう。日通旅行の、すきま産業的なおもしろいコースです。サルディーニャ島にずっといて、さっきの1試合だけを観るという。バカンスっぽくてそれもいいんじゃねぇ?と思ったそうです。
一人がトレーナーを貸してくれて、さらにイタリアの旗を買ったからこれをかけていようと、3人でくるまって朝までとりとめのないおしゃべりにふけりました。来年は就職するからもうこんな旅行はできないだろうなぁ、でも一週間くらいの観戦ツアーがあるからそれを励みに働くんだ〜、って言っていました。男の子のサッカーファンとしては、めずらしくミーハーを隠そうとしないこの二人に好感を持ちましたね。

 6月17日

↑ちなみにこれがオランダの国旗。
まだ暗いうちから、キヨスクに新聞が運び込まれてきました。おお、さっきの試合の結果が載っている!イタリア人だって勤勉なのさ。キヨスクはまだ閉まっているので買うことはできません。空港で買うとしよう。
空が白み始めた頃、私はそろそろ空港行きのバスを見つけて乗らなくてはと、重たい腰を上げました。が、バス乗り場らしき場所はわかるけど、時刻表がない。昨日のうちにインフォメーションで聞いておくのを忘れていたマヌケです。何かわからないか、バス以外の交通手段はないか、二人も手分けして駅前を走りまわってくれました。時間はどんどん過ぎていきます。もうタクシー使っちゃおうかと思い始めた時、もう一度バス乗り場の方を見に行ってくれていた一人が「あっちに日本人のジャーナリストの人が一人いますよ!空港に行くって言ってたから聞いてみたら?」と教えてくれました。ありがとうありがとうとお礼を言って、荷物を全部かかえて、その人の方へ走りました。バイバーイと手を振る二人。いい奴らだ。あれから何度かイタリアに行ったかしら?
そのジャーナリスト氏は、いきなりのアタックにちょっと驚きつつも、自分も空港に行くところだから相乗りでタクシー使いましょうと言ってくれました。バスを使うつもりだったのかもしれないけれど…。
車中で、きのうスタジアムで見かけたよと言われて苦笑。女の子一人なので目についたそうです。フリーであちこち見たということは相当のスキモノだね、という話になり、「そんな人は日本の雑誌は物足りないでしょう?」と水を向けられました。勢いづいて、もう話にならないから海外雑誌をとりよせですっとか、でも日本人のライターの中でも一人だけ信用できる人がいて、友達も同意見ですっとかと話しました。そのライターの名を出すと、「…ぼく本人ですけど…」とぽつり。車内に響く大声で「えええーっっ???!!!」と叫び、その人が首から下げているIDカードをまじまじと確認してしまいました(大会中は、ジャーナリストはこのIDカードを、いつでもどこでも首に下げていなくてはならない規則)。本当に本人だ。びっくり。最後に大感動が待っていたのです。もー、大ファンでしたから。空港までみっちり話をして、あっという間に着いてしまいました。料金を半分出そうとしましたが、いいよいいよと受けとってくれなかった。ありがたくおごられることにしました。うふっ、ファンとしては嬉しい☆
空港は大勢のサッカー好きで混雑しており、ジャーナリスト氏は、お仲間と話をしに行きました。私は興奮を胸にベンチで休む。搭乗時刻に氏が戻ってきた際サインを求めたところ、「じゃあ名刺をあげときましょうね」と1枚渡してくれたので、裏に一筆いただきました。近くにいた観戦ツアーの人に「誰ですか?あの人」って聞かれたので名前と連載している雑誌名を教えたけど「ふ〜ん???」とわかっていなかった。んもー、チェック甘いぞ。

さまざまな人のおかげを持ちましてつつがなく旅が進み、日本行きの便にも無事に乗れました。ローマ空港の免税店で、W杯記念ボールとか、おみやげ用の公式Tシャツとか、ばらまき用チョコレート等々しこたま買物をして、いよいよにっちもさっちもいかなくなり、ついにカートを購入。韓国製だ。安っちいけど結構丈夫で、いまだに大活躍しています。イタリアノヴァンタ号(ITALIA90のイタリア語読み)と名づけました。

 7月9日閉幕までTV浸りの日々

↑で、優勝国・西ドイツの国旗に敬意をこめて。そういえば生では見なかった西ドイツ。
サッカー同人仲間としょっちゅう集まっては盛り上がり、TV観戦ながら一喜一憂の大騒ぎをして7月9日閉幕。深夜や早朝に、座布団を噛んで声を押し殺しながら観戦した日々…親が寝ている部屋にしかTVがなかったので(^^ゞ

ここからしばらくはサッカー話。
予選リーグも引分が多かったけれど、決勝トーナメントに入ってからも引分→延長(→PK戦)という試合の目立つ今大会でした。大会のおもしろさという点では、前回のメキシコ大会にまったく及びません。とにかくPK戦だけはいかん。勝った方もすっきりしないし、負けた方は孫子の代まで納得いかない。
このことはサッカーが進化してきたからこその結果でもあり、ジレンマではあります。むか〜しの試合って、今のサッカーを見なれた目で見ると、試合自体のおもしろさは落ちるのです。選手個々の能力も向上しているし。でもシンプルに試合は決まった。ただ、歴史背景を考えたり、それこそ試合場の雰囲気を楽しんだりといった付加価値もあって、昔のフィルムもおもしろいといえます。
W杯も過渡期なんだなぁ。どんどん肥大し、出場国も増えていく。巨額なお金も動く。この先、原始的なおもしろさが消えていくことが誰にも予想されました。そもそも、ルールが簡単で原始的なスポーツであるサッカーなんだから、シンプルであるほど盛り上がるのに〜。今大会は、純粋にお祭りサッカーを楽しめるギリギリ最後のラインだったと思い返しています。
プロの大会なんだから、弱い国にゲタはかせることなんかないのよー。シンプルに強い国だけが予選突破してくればいいのよー。悪しき平等主義は勘違い者を生むのよー。がんばったからってどうにもならないことも世の中にはいっぱいあるのよー。……平等主義というよりは結局はお金なんでしょうけど…。
さて、引き分けばかりで二勝しかせずにのらりくらりと決勝までやってきたアルゼンチンを、私達はどうしても許せませんでした。あんなチームがファイナリストとは。86年のアルゼンチンなら納得もするけれど。決勝戦は内容も良くなかったし、これで西ドイツが勝たなかったら暴れていたぞ。
一方、多くの人が「今大会のベスト・マッチ!」と絶賛したのが三位決定戦のイタリア×イングランド。内容もおもしろかった上に、私の場合やはり好きな人・よく知っている人ばかりがでていたゆえの思い入れも強い。試合終了後、両国の選手が全員で仲良くしてたのがずっと中継されたのも嬉しかったです。あれ、途中で切ったりしたら、NHKを襲うぞ。ホスト国が一応3位になって、とりあえずはよかったなというところ。この試合が決勝なら言うことなしなんだけど。一生言ってろ?

その舌の根もかわかぬうちに、引き続いてツール・ド・フランスの中継に没頭する私でした。NHKの中継番組は、今から思えば最高でしたね。解説の小林さんがまたいいんだ…。

次の旅行は翌年です。この旅行が終わった時点でスタートしていたともいえる、煩悩の追っかけ旅行。語学留学中のYさんはもちろん登場します。そして、思いがけなく世界ウルルン滞在記めいた展開にもなっていきます。
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