無銘 伊賀守金道(初代 )

   上作 業物


 


  新刀 (約400年前)
公財)日本美術刀剣保存協会 
   保存刀剣鑑定書







長さ71.5cm 反り2.3cm弱 目釘穴2個
元幅3.1cm  先幅2.4cm 元重0.75cm
 

 初代伊賀守金道は美濃の兼道の長男で、永禄年間に弟である来金道・丹波守吉道、越中守正俊らと共に京都西洞院夷川に移住し、これが三品一派の始まりとなります。 以後三品一族は朝廷や権力者と密接な関係を築きながら大いに繁栄します。 文禄三年(1594年)には長男金道が伊賀守を受領し、禁裏御用(現代の宮内庁御用達)を賜るようになると、さらに名声が高まります。 京五鍛冶の筆頭となった金道は、天下分け目の決戦を控えた徳川家康の大量注文を滞りなく納めます。 この功績により家康は朝廷への働きかけ、金道は菊紋の使用許可と『日本鍛冶惣匠』の称号を賜ります。 これによって金道は日本国刀匠の棟梁となり、全ての刀匠は朝廷より任官銘を受領する際に金道を通して朝廷へ奏請しなくてはならなくなりました。

 彼の作風は受領前の前期には、白気ごころのある鍛えに尖り互の目を交えた刃、或いは互の目丁子やのたれ刃等を焼き、匂口しまりごころに小沸がつき、三品帽子もまだ形成されていないなど、末関作域を踏襲するものである。 しかし、受領後の後期には、小のたれに大互の目・角がかった刃・尖りごころの刃などを交えた大乱れで、沸強く、金筋・砂流し等がかかり、「三品帽子」も顕現されるなど、一見すると志津風な作が多くみられるようになります。

 本作は大磨り上げながらもその典型的な作風により初代金道に極められた佳作。
 姿、鎬造り、庵棟、身幅広く、元先の幅差さほど開かず、重ね厚く、反り浅く、大切先。 鍛え、板目に杢目交じり、地沸微塵に厚くつき、地景細かに入る。 刃文、互の目乱れに尖り刃交え、小のたれ・小互の目交じり、小足よく入り、葉交じり、沸よくつき、処々荒めの沸を交え、総体に砂流しかかり、金筋入り、焼き頭に湯走り状の飛焼きや二重刃かかる。 帽子、直ぐ調に浅くのたれ、先突き上げ気味に尖って返る。 彫物、表裏に棒樋を掻き通す。 茎、大磨り上げ、鑢目切り、目釘穴二個。

 上記の説明のように彼の得意とした志津風の出来口で、互の目乱れに尖り刃が交じり、砂流し・金筋が盛んにかかるなど美濃気質が一段と強調され、また焼き頭に湯走り状の飛焼きや二重刃がかかるなど初代金道の特徴が余すところなく表示されています。 同工作中の特に秀でた作と称しても過言でなく、金道の重要刀剣指定品と比しても遜色のない優品です。