| 銘 国廣 (金象嵌銘) 寛文六於武州青山釣揚一之胴截断號籠罋 山野加右衛門六十九歳永久(花押) 最上作 大業物 新刀 (慶長頃 約410年前) |
財)日本美術刀剣保存協会 |
国広は、もと九州日向の飫肥の城主であった伊東家に仕えた武士で、同家が没落したのち諸国を遍歴しつつ鍛刀の技術を磨き、その間各地で作刀した。慶長四年以後は、京都一条堀川に定住し、多くの優れた弟子を育て、慶長十九年に歿したといわれる。 彼の作風は概ね二様に大別され、堀川定住以前の作(天正打)には、末相州や末関風のものが見られ、定住後の作(慶長打)は、それらのものと作風を異にして、相州上工に範を取ったと思われるものが多い。 この刀は、身幅が広く、元先の幅差が目立たず、反り浅く、中鋒が大きく伸びた造込みで、慶長新刀の特徴的な姿態を呈している。 刃文は中直刃調に浅くのたれごころをおび、互の目・小互の目・小のたれ・尖りごころの刃文等が交じり、小足が入り、沸がつき、細かに金筋・砂流しがかかり、帽子(裏)は直ぐ状に小丸となるなどの出来口を見せている。 直刃仕立ての作例であるが、横手下の焼幅を広めにとって刃取りに動きを加え、さらに小さな湯走りやほつれ・金筋・砂流し等の動きが刃文に変化をもたせている。 また鍛えは常々の同作に比して、つんだ肌合をあらわしている。 彼の一作風を示した一口であるが、焼刃の匂口や沸のつき具合にややむらな感があり、匂口が沈みごころとなるなどの態は、国広の手くせである。 なお同作中、金象嵌裁断銘を施されたものは少なく、しかも山野家のそれは稀有である。 山野加右衛門永久は寛文七年六月十三日に歿しているところから、彼の最晩年の裁断銘であり、彼の裁断の年紀と行年銘も資料的に頗る貴重である。 これに依って逆算すれば、永久は慶長三年生まれである事が理解される。 (重要刀剣等図譜説明より) 鎬造り、三ッ棟、身幅広く、元先の幅差目立たず、身幅の割に鎬幅広め、磨上ながら僅かに踏ん張りごころがあり、反り浅くつき、中切先大きく延びる。 鍛え、板目に杢交じり、肌立ちごころとなり、地沸微塵に厚くつき、地景細かによく入り、地斑状の肌を交える。 刃文、中直刃調、浅くのたれごころをおび、互の目・小互の目・小のたれ・尖りごころの刃など交じり、横手下辺やや焼き幅広くなり、小足入り、沸つき、部分的にむらづいて荒めの沸を交え、小さな湯走り交じり、少しほつれ、細かに金筋・砂流しかかり、匂口沈みごころとなる。 帽子、表浅く小さくのたれ、先少しくびれて丸く、地蔵風となり、裏直ぐ状に小丸、沸崩れ、共に掃きかけ、裏は特に強く掃きかける。 茎、磨上、先切り、鑢目大筋違。 堀川国廣は後年京都堀川に居を構え、自らの作刀のみならず後進の指導にもあたりますが、国路、国儔、国安、正弘、広実、国武、吉武、国貞、国助と後世に名を残す名工を数多く生み出したことから新刀鍛冶の祖と称されます。 本作は銘振りから慶長八、九年頃と思われる慶長打ちの傑作。 総体的に沸が強く、焼刃の上に湯走りがかかり、二重刃風を呈している様には古作の相州物を想わせるものがあり、鍛えも常々の同作に比して肌目がつんで精緻であり、一段と優れています。 総じて穏やかな作柄に仕上げた同作中の優品で、国広の本領が遺憾なく発揮されています。 茎に施された金象嵌截断銘は稀代の据え物斬りの名手山野加右衛門永久に依るもので、試し切りを行った旨とその斬れ味の良さを称え籠罋(かごのかめ、籠釣瓶と同じ意で切れ味鋭い名刀の代名詞)と号しています。 永久の金象嵌截断銘は国廣には極めて稀であり、重要、特重、重要美術品、重要文化財中本作のみとなります。 |
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