近江守法城寺橘正弘

   上作






新刀(寛文頃 約350年前)
財)日本美術刀剣保存協会 
  特別保存刀剣鑑定書






長さ69.7cm 反り2.0cm 目釘穴1個
元幅3.05p 先幅2.0cm 重ね0.75p

 法城寺正弘は南北朝時代に活躍した法城寺国光の末流と称し、生国但馬から江戸に移住し、成功を収めました。 江戸新刀の代表的な刀工で、彼の築いた法城寺派は江戸の一大勢力として大いに栄え、一門からは正照、貞国、吉次など多くの名工を輩出しました。 正弘は同時代の名工長曾祢虎徹と作風が近似しており、何らかの関係があったことが考えられています。

 姿、鎬造、庵棟、身幅尋常、元幅の幅差つき、踏ん張りごころがあり、反り深く、中切先つまる。 鍛え、小板目肌つみ、流れごころ、沸よくつき、地景細かに入る。 刃文、直刃調に小互の目交じり、互の目の足よく入り、葉交じり、匂深く、沸よくつき、金筋・細かな砂流し盛んに入り、焼き頭に湯走り長くかかり、匂口明るく冴える。 帽子、小丸に返る。 茎、生ぶ、先浅い入山形、鑢目筋違、目釘穴一。

 正弘は腕も良く、また同時代の名工虎徹と作風が非常に似ていたため、虎徹の偽物を作る贋作者は正弘の刀を好んで使用したそうです。 長年虎徹の傑作として広く知られていたものが実は正弘の刀だったという話もよく聞くところで、正弘の技量が虎徹に伯仲することを図らずも贋作によって示されていることは皮肉なことです。 本作も所々虎徹を彷彿とさせる出来口を見せており、流石は江戸の町にて一世を風靡した法城寺一派の頭領の名に恥じぬ見事な出来栄えです。 反りの浅い体配が主流である寛文期に於いて、反りの深い優美な姿に造り込んだところからも注文による入念作であることが窺えます。