摂州住藤原長綱

  上作 業物






  新刀 (寛文頃 約350年前)
財)日本美術刀剣保存協会 
  特別保存刀剣鑑定書







長さ75.2cm 反り1.6cm 目釘穴1個
元幅3.0cm  先幅1.8cm 元重0.6cm
 

 長綱は本名北村市右衛門といい、名人である初代粟田口忠綱の門人です。 聴覚障害があったようで、自らの作に聾長綱(つんぼながつな)と銘切ることから、古来より通称「つんぼながつな」として広く知られています。

 姿、鎬造り、庵棟、身幅尋常、元先の幅差つき、反りやや浅めにつき、中切先詰まる。 鍛え、小板目肌つみ、地沸微塵につき、沸映りあがる。 刃文、直ぐに焼き出し、その上は丁子に互の目交じり、華やかに乱れて出入りがあり、足長くよく入り、処々金筋長くかかり、匂深く小沸つき、匂口明るい。 茎、生ぶ、先刃上りの栗尻、鑢目大筋違、目釘孔一。 

全ての刀鍛冶にも言えることですが、刀鍛冶自身の人となりを物語る資料はほとんど残されておらず、現在それを窺い知ることはできません。 しかし、この点では長綱は非常に珍しい刀工と言えるでしょう。 中世に於いて視覚障害者は法的にも保護され、社会的地位を保証されるのみならず、そのコミュニティを十分に活用し社会進出をも果たしていました。 (視覚障碍者の官職の最高位である「惣録検校」は十数万石ほどの大名と同等の権威・格式があったとされます) ところが聾唖者に関してはほとんど記録が残されておらず、どのような生活をしていたかほとんど分かっておりません。 手話がまだなく、意思疎通が筆談のみのとなると、文盲である視覚障碍者はその社会と隔絶され、歴史から消された存在となってしまうのでしょう。 そのような社会背景で、長綱が名人として名高い忠綱に入門を許され、頭角を現し、後世に名を残したことは驚愕に値し、中世社会の隠れた歴史に光を照らす好資料ともいえます。 北村姓と伝わっていることから武家の出で、家督を継いだり、他家への婿入りが絶望であるため、職人の道を選んだのかもしれません。 (脱線気味ですみません) 

 この刀は丁子乱れに互の目・尖りがかった互の目などが交じり、足よく入り、匂口深く小沸がよくつき、明るく冴え、地鉄も小板目よくつみ、地沸厚くつき、この時代には珍しく映りもあがるなど刀工の個性がよく表れており、師風と異なる見どころでもあります。 あか抜けた華やかさ溢れる作風はいかにも大阪物らしく、評判に違わぬ出来の良さです。