肥前国住藤原忠廣
     (初代忠吉同人)

   最上作 最上大業物



 新刀 (江戸初期 寛永頃)
 

財)日本美術刀剣保存協会 
   特別保存刀剣鑑定書附








長さ32.8cm 反り0.5cm 目釘穴1個
元幅2.9cm 先幅--cm 重ね0.6cm



 橋本新左衛門尉忠吉は肥前(佐賀県)長瀬にて橋本道弘の子として生まれ、後に鍋島直茂公に召抱えられ、慶長元年には藩命により同門の宗長と共に上京し、埋忠明寿の門を敲き、鍛刀の極意を学ぶ。 慶長三年には佐賀に戻り、元和十年には再度上洛すると武蔵大掾を受領し、名を忠廣と改め同時に源姓から藤原姓へ替える。 寛永九年八月十五日歿す。

 平造り。 身幅広く、寸が延び、重ねが厚めで、僅かに反りがつき、慶長新刀然とした造り込み。 鍛え、小板目よくつみ、地沸微塵によくつき、細かに地景入る。 刃文、中直刃、匂深く、小沸よくつき、匂口冴え、小足入る。 帽子、直ぐに小丸。 彫物、表に旗鉾、裏には素剣を浮き彫りにする。 茎、生ぶ、入山形。

 武蔵大掾銘は寛永元年八月紀が最も古く、寛永九年二月まで続きます。 忠廣銘の中には本作のように受領銘を切らないものがあります。 所伝によると「鍋島家では、同家に収めるものには受領銘を切るに及ばず」とあり、受領銘の無い忠廣銘は「献上銘」呼ばれました。 主家に納める献上品ゆえ当然入念な作となり、その出来の良さから古来より珍重されてきたものです。
 板目よく詰み、地沸厚くつき、細かに地景入り、最も得意とした直刃を焼いた作風はあたかも来国光を見るようであり、刃の冴えは来国光を凌ぐかのようです。 表裏に施された彫物は鏨が利いて実に巧緻であり、献上品に相応しい見事な彫りで、刀身によく納まって調和が取れ、刀身を一段と引き立てています。
 藩の庇護の下大いに繁栄し、長きに渡る肥前刀王国の礎を築いた初代忠廣ですが、肥前刀最高位の匠であると同時に数少ない新刀の最上作刀工でもあり、斬れ味においても最上級の評価を得ている名匠です。