於鷺山麓雅楽頭忠以真鍛造之
  天明貳年壬寅貳月日


  (播磨姫路藩第二代藩主 酒井忠以)





  新々刀( 1782年頃)

財)日本美術刀剣保存協会 
  保存刀剣鑑定書








長さ54.1cm 反り1.2cm 目釘穴1個
元幅2.8cm  先幅1.95cm 



 酒井忠以(ただざね)は宝暦五年に生を受け、18歳にして酒井雅楽頭家十代当主そして播磨姫路藩第二代藩主となりました。 酒井雅楽家は譜代大名筆頭格であり、江戸においては将軍家の補佐など幕政に参与し、藩政においては天明の飢饉による一層の財政危機を打破すべく改革を断行し、善政を施しました。 早くから武芸に勤しみ、能、連歌、俳句を嗜みましたが、中でも絵と茶湯は余芸の域を超えており、絵は狩野派総本家の狩野高信に学び、後に長崎派の宋紫石や宋紫山に教えを請い、江戸琳派の祖である弟酒井抱一にも多大な影響を与え、茶湯は早くから石州流を学び、宗雅と号する大名茶人で、後に松江藩主松平治郷(不昧)と出会い、師弟の交わりを結びます。
 多芸多才な忠以は晩年鍛刀にも情熱を注ぎます。 祖父である初代藩主忠恭が姫路の護国神社に鍛冶小屋を設け、そこで作刀に携わった影響でしょうか、忠以はその鍛冶小屋を姫路城内に移築し、忠恭以上の情熱を以って作刀し始めます。

 本作は江戸期に於いても非常に稀有である藩主による作。
 形状、鎬造り、庵棟、身幅・重ね尋常、反り浅く中切先。 鍛え、板目よくつみ、地沸つく。 刃文、浅くのたれがかる直刃、匂い深く、沸よくつき、喰い違い長くかかり、細かな金線交じえ、匂口明るく冴える。 帽子、直ぐに焼き深く、小丸に返る。 茎、生ぶ茎、鑢目筋違い、化粧つく。

 忠以の近習武左平太の日記には天明元年十二月八日に藩主忠以公と栄八様(抱一)が御鍛冶小屋で「お鍛え遊ばされ候」とあり、恐らくこの時に鍛刀したものが本作かもしれません。(天明二年二月年紀の入った忠因(抱一)銘の刀も現存します) 城内に鍛冶小屋を移す熱意を合わせみても、単なる大名の余芸で焼き入れだけをしたものではなく、かなりの工程に携わっていたものと思われます。
 本作は流石は藩主が自身の名を刻むだけあり、名品の呼ぶに相応しい出来栄えです。 同時代の名工の作と比しても決して劣るものではありません。 商業ベースに乗って製作されたものではなく、人的、時間的、金銭的な制約が著しく少ないため無いため傑出した作品が出来るのでしょう。
 多忙な政務の合間を縫って、高度な文化的創作活動に勤しんだ忠以は僅か三十六歳でその生涯を終えます。 忠以の作は元々が自身で帯び、自らが使うために鍛刀したものであり、また製作機会の少なさから現存する遺作は極めて少なく、大変得難い作品です。