伝統とは・・・


クラブの伝統とは、なんだろうか。
確かに、良き伝統を持ったクラブは結構あるだろう。しかし、良き伝統を持っているからといって、それに頼っていていいのだろうか。いや、僕はそうは思わない。伝統を守ることによって、その伝統に沿ったいいスケーターは生まれるかもしれない。しかし、それは伝統の枠で抑制された、ある一定の限界を越えることができないスケーターを生むだけだ。そう、伝統を守るだけでは既存のものを越える事はできない。
そう、100の知識を教わっても、身に付くもの、あるいは理解できるものは多くても80までだろう。伝統だけを受け継いでいては、もとの100を維持するどころか、年を重ねるごとに過去の遺産は忘れられていくのみである。
事実、かつて僕の知る限りでは、時代を塗り替えるスケーターは必ずクラブの枠を越えた活動から生まれてきた。僕自身もその一人だと思う。僕の成長過程を思い起こせば、1年の間、ひたすら阪大の良き伝統を受けつづけた。幹部からの指導もさながら、当時大学院生であった多くの方からの指導を受けた結果、自分でも気がつかない間に自分の中に大きな財産を築き上げていた。そして、2年からはその枠を越えようとした。それまで同様に上回生、OBの方々にいろいろな教えを受けながら、僕はそこで止まろうとはしなかった。常に何が正しいのかを考えつづけた。たとえOBであっても、常にその言葉を疑いつづけた。疑いをかけた上で、その疑いが晴れたとき、本当にその知識が自分の中に根付くからだ。そうやって自分の道を開拓しながらも、いろいろな人の話に耳を傾けながら、自分の道を軌道修正していった。実際、自分で開拓することへの限界を感じたとき、新たな道を開拓するため、大西先生のレッスンについた。そうしながら、従来の伝統によって成長した自分を、更なる上の世界に持っていこうとしていた。
そうして伝統を越えて成長していったのは僕だけではない。近年大きく変貌を遂げた関西大学も、酒井君あってのものだろう。そう、僕も彼を指導した一人だが、彼が僕一人に教わっていれば、僕という既存の枠を越えたスケーターにはならなかっただろう。彼は、僕一人ではなく、多くの人間から多くの知識を得、そして自分のスケートを作っていった。それが、今の関西大学の原型になった。
伝統とは、それを守っていくだけではいずれ廃れる。廃れる前に軌道修正を行い、時には抜本的な改良を行い、高いレベルを保ちつづけてこそ伝統なのである。自分が教わったものをただ下に伝えていくことは、決して伝統を守ることにはなっていない。そう、それを続けていくことで確実に伝統は忘れられていくからだ。そう、改善しつづけていくことこそが、本当の伝統なのだ。
伝統とは、教わるものだけではないと強く思う。伝統とは、自ら切り開くものでもあるのだ。かつて誰かが切り開いたものが、今現在の伝統なのだから。そう、元を正せば伝統とは誰かが切り開いたものなのだ。伝統がある、というのは単に過去に誰かがそれを切り開いただけに過ぎない。
近年の関西学連では、確かにどの大学も伝統を維持しようとしている。しかしながら、誰もその伝統を変えようとはしていないように思う。結果、過去の伝統は徐々に薄れ、どの大学も確実に弱体化している。
最後に声を大にして言いたい。伝統とは、受け継ぐものではない。自ら作るものなのだ。


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