時々、こけた数だけうまくなる、という話があるが・・・。あれは、実際のところどうなんだろう。まずは分析してみよう。
まず、賛成派の意見。
こけるのを怖がっていては、うまくならない。
うむ。それは一理ある。
では、反対派の意見。
こけるということは、何かエラーを起こしているわけであり、多くこける人間はそういうエラーの原因を多く持っているわけであり、上達は遅いはず。
うむ。それも一理ある。
さて、では前者の意見をつぶそう。怖がっていてはいけないことは事実だが、それはこけてもいいという理論にはつながらない。怖がらないが、こけない、というのがBestなのだ。
さてさて、前者の意見に賛成派の人は意見を送ってもらうことにして、僕の主張をぐいぐい押していこう。
こける、ということは、基本的には、体の軸が倒れる、体の軸が折れる、つまずく、のいずれかだろう。ジャンプの転倒はほとんどが1つ目に入る。バランスを崩す類が2つ目だ。単におっちょこちょいか、集中力の欠落か、が3つ目。最後の一つは仕方がないとしよう。前の2つは、技術的な問題だ。つまるところ、何らかのエラーを起こして、こけるわけだ。エラーを起こしていると言うことは、それはすなわちこけるべくしてこけているわけであり、始めからこける原因を持っているのだ。しょっちゅうこけるということは、多くのエラーを持っているか、同じエラーが体に根強く染み付いてしまっているかになる。
どちらにしても、それは上達への障害だ。その原因を取り除かなければいけない。こけまくっている人間は、まずこけなくするところから始める必要があり、こける原因を残したままどんどん先へ進んでいってはいけない。ますます、その原因が根強くなり、取れなくなっていくからだ。そう、こけるという、エラーを取り除くことが、1つの上達への道なのだ。
そう、怪我や故障の話を抜きにしても、こけないように努力することが上達への道であることが分かる。実際には、こける原因を持っていることで、それが怪我にもつながるのだ。そう、こけないようにすることで、上達への道と、怪我の防止がぴったり同じ方向に向く。それを考えれば、指導にあたってまず何から直さないといけないのか、おのずから分かってくるだろう。
最後にもう1つ。多くこけることはいいことではない。しかし、こけるという中には多くのヒントが隠されている。しかし、このヒントは、本人にはほとんど見つけることができない。それを自分で見つけれるのは、ごくごく一部の限られた人間だけだ。だからこそ、それを見つけることは指導者にゆだねられる。逆に、指導者としては、教えている人間がこけることで、顕著なエラーを発見しやすいのだ。ある意味、指導者には、こけた原因を少しでも多く見つける能力が必要ということになるのかもしれない。
(元の記事はここまでですが、意見が投稿されてきたので、追記します。こういう投稿は意見を求めたこのページに限らず、どのページも大歓迎です。)
[投稿内容概略]
こけ方と、受け身のうまい下手もある。基本的には正しくて、少しのずれでこけているのと、根本的に間違っているのでは雲泥の差が生まれると思う。僕はこけることも多いが、ほとんど怪我はしないし、しそうなときはちゃんと空中ではじけることもできるし、受け身もできる。その辺も踏まえた意見をアップして欲しい。(さとみ2000)
全く、ご指摘のとおりです。そう、同じこけるでもピンきりです。実際、成功までもう一歩のところで練習中こけないわけはないですし、正しいジャンプを飛んでいても、ちょっとしたずれでこけることもあります。そう、こけることすべてが悪ではないです。そう、基本的に正しい動作をしている人に関しては、こける数が多かろうが、少なかろうが、上達の速さには影響しないでしょう。そう、上で書いたエラー自体もピンきりだということです。基本的に正しくて、誤差から生じるエラーに関しては、問題ないでしょう。
それを認めた上で、最初に書いた極端な意見のフォローしたいと思います。
考えた1つ目の話はこうです。両極端である、根本的に間違っている人と、基本的に正しいが、少しの誤差でこけている人が上の記事を読んだとき、上の記事は前者を対象にしていますので、前者に関しては、いい情報となります。では、後者の人はどうでしょうか。後者の人でも、こけた原因を探求することは決して悪いことではないですし、転倒を減らそうとすることも練習の一つですから、プラスになるかは分かりませんが、少なくともマイナスではないでしょう。
これを考えたとき、両者を挙げることで別の要因が加わって話が見えにくくなるより、前者にはプラス、後者にはマイナスはないなら、わかりやすい話だけ書いとこう、という判断で、極端な方の話をしています。
そしてもう1つ考えた話がこうです。もし、ちゃんとした指導者(先輩ではなく、インストラクター)についているか、十分に経験をつんで、根本的に間違っているのか、基本的にあっているのかを自分で判断できる人には、この記事の情報は無意味でしょう。
ただし、そういう指導者に見てもらっていない学生については、恐らく自分で判断できる人間は現在いないと思われるため、こけることに対して疑いを持つことが大事です。上の記事は、まず自分に疑いをかけてもらい、本当に正しいかどうか誰かの判断をあおいでもらいたいという狙いがあります。多数派に役に立つ意見となる、と判断したということです。
こけることに対し、根本的な間違いがあるかないか、その疑いを解消できた人は、別に普段こけまくっていても、問題ないですから気にせず練習しましょう。